第90話 呪いが魔方陣として刻まれている

「あなた様も気が付いたことがありましたら、ぜひおっしゃってくださいね」

 アデル嬢が、俺が近づくなりそう微笑んでくる。俺の思い違いだろうか、この子、めっちゃ位置が近い。

 気づけば俺の横に並び、色々な魔道具を指さして楽しそうに「あれも凄いですよ」とか上機嫌に言ってる横顔は、確かに魅力的だ。人外的な髪の色を除けば、俺の好みと言っても間違いじゃない。

 笑顔も可愛いし、声も可愛いし、体つきも小柄で抱きしめるのにちょうど良さそうなサイズだし。

 しかし。

「でもわたし、魔道具に詳しくないですよ? 何かあったら先生かブルーハワイ様にお聞きください」

 俺は余計なことを考えてはいかんと自分に言い聞かせ、そう言いながら視線を先生たちに向ける。リカルド先生は見事に眉間に皺を寄せ、色々な魔道具の前で足をとめてはその皺を深くする。見終わる頃には皺が完全に固定されそうだ。

「ブルーハワイ……様?」

 困惑した少女の声に我に返り、俺が口を開く前に淫乱ピンクの呆れたような声が飛んできた。

「その子、勝手にあだ名をつけるのが好きみたいですよー。髪の毛が青いからブルーハワイ、なんて短絡的じゃないですかー?」

 ――ほっとけよ。

 俺が目を細めてヴィヴィアンを見やると、彼女は意味ありげに笑って首を傾げて見せる。

「まさか、リヴィア、わたしにもあだ名をつけていたりする?」

「何のことかわたしにはさっぱり」

 淫……ヴィヴィアンから目を逸らし、アデルの手を引っ張って一番近くの魔道具の前に立つと、背後から舌打ちが聞こえた。


「ええと、アデル様は鑑定魔法、得意なんですね?」

 俺は魔道具――いや、呪具の群れを見ながらアデルにそう声をかける。

「そうですね、得意です。王族は基本的に魔力が高いですし、上級魔法を覚えるのも比較的楽です。でも鑑定魔法は簡単ですから、あなたにも使えるのでは? それとも、神具って魔法は使えないんですか?」

「ああ、いいえ」

 俺は苦笑しつつ手を振った。「魔法は使えます。自分で言うのもなんですが、神具って不思議です」


「……予想外だったんです」

 やがて、アデルは俺にだけ聞こえるような小声で、こそりと囁いてくる。多分、たまにこちらの様子を窺うように見てくるリカルド先生を気にしている。

「予想外、ですか?」

「ええと……神具って、ほら、人間味のない存在だって噂があったので。でも、実際に会ってみるとあなたは全然違いますよね。こうして会話できるなんて凄いと思いますし、その……凄く可愛いというか、綺麗だと思って」

「綺麗……」

 そうだよな、俺は自他共に認める美少女だよな。

 リカルド先生はたまに残念そうに俺を見るが、世の中では、可愛いのは七難なくすって言われているはずだ。あれ? 可愛いじゃなくて肌の白さ、か。どっちも似たようなもんだろ。

 そんな、俺が変なことを考えて唸っていると、アデルは僅かに目元を赤く染めつつ、躊躇いがちに言うのだ。

「その、わたしもリヴィア様とお呼びしても大丈夫でしょうか」

「え、それはもちろん歓迎ですが」

 俺の左腕にそっと触れた彼女を見つめ、俺は何となく。


 これってワンチャンあるんじゃね? と思ったのは秘密だ。


「いえ、呪いを解いてくれそうだから興味を持った、というのがきっかけですけど、でも……」

「人の縁ってありますよね」

 俺はさらに前世のことを思い出しながら続ける。「一期一会、なんて言葉がここで知られているかどうか解りませんが、たった一度の出会いが特別になることなんてよくあることなんだと思いますよ。そう考えてみれば、街で会ったのも何かの縁だったんでしょうね」


 俺、今、とてもいいことを言った!


 そうとも、出会いというのは一度きりなのだから、大切にしなくてはいけない。ジュリエッタさんとは違う感じの美少女が目の前にいて、ちょっといい感じに仲良くなれそうなら、頑張ってみるべきなのではないかと思うのだ。失恋の痛みを癒すには新しい恋、とよく言うじゃないか。

 大体、リカルド先生と婚約しているとはいえ、どうせ期間限定である。

 きっとそのうち、適当なところで解消されるはずなのだ。そうしたら、別に他の相手といちゃついても問題ないだろうし。


 いや、違う。

 そもそも、婚約状態であろうとも女同士でいちゃつく分には、浮気には含まれないのではなかろうか!


 俺、今、とてもいいことを思いついた!

 と思ったけれども。


 それでも、若干の罪悪感はある。でも、リカルド先生相手とは恋愛関係にはならないはずなのだから、これは裏切りではない、よな? そう信じてもいい、はずだ。


 いや、やっぱり。

 駄目かなあ。

 俺は唐突に前世のことを思い出して、急激に心臓が冷えた気がする。

 形だけだとはいえ婚約者がいるのに、相手が女の子だろうと心を移すのは……やっぱり駄目のような気がする。


 でも仲のいい友達、くらいなら大丈夫?

 そういやアデルって王族なんだから、身分が違いすぎる?


「……これも縁、もしよかったら仲良くしてください」

 複雑な心情を抱えつつ彼女に微笑みかけると、嬉しそうに「もちろん」と微笑む彼女の顔が見られて、また心臓がざわめいた。

 どっちにしろ俺もいいところを見せたいし、頑張ってみよう。

「それで、使えそうな魔……呪具はありますか? そちらが持ってきた呪具は、壊せそうなものなのでしょうか」

 そう言うと、彼女は眉根を寄せて考えこむ。そして、そっと自分の胸元辺りに視線を落とし、ドレスの襟に手をかける。

 彼女が身に着けているドレスの襟は、少しだけ高い位置にある。それを指先でめくると、白い肌が見えた。そして、俺よりちょっと大きめの谷間も。

「実は、ここに呪いが魔方陣として刻まれているんです」

 俺の心臓がエロイ方向に暴れていたのは一瞬で、すぐに胸の低い位置の方に黒い模様があるのが目に入ってくる。見ただけで直感で解る、これはヤバいヤツ、という気配。

「その呪具を壊せば、この呪いも解けるのかというのが問題です。おそらく、その呪具はこの呪いの術式を放つだけのものだったのだろうと考えています」

「放つだけ?」

「はい」

 彼女は襟を元通りにして、困ったように微笑む。「あの呪具は、敵を弱体化させるための呪いを封じてあって、それが放たれた結果、わたしも……兄も、こんなことになってしまったのではないかと」

 そう言えば、どんな呪いなのかまだ聞けていないんだよな。恥ずかしい呪いだから、と。

 俺が首を傾げていると、彼女は言葉を探しながらゆっくりと続けた。

「壊した瞬間に、中にある呪いの術式まで壊せるのか……というのが問題ですね。多分、宝石箱の形をした外側は、呪いを封じ込めるだけ。触らなければ、何も問題は起きないのかもしれません」


 なるほど。

 つまり、不用意に箱を壊せば、呪いは無差別にまき散らかされる、かもしれない。

 でも逆に言えば、箱に触らなければ、これ以上の呪いは発動しない。封印している今の方が安全とも考えられる。そのままずっと、誰も触らない場所に置いておけば――。

 だが、それでは問題は解決しない。


「わたしたち王族は魔力が高いから、呪いが進行するのがゆっくりですが、こうしている間にも魔力が確実に吸われていっています。おそらく、我々の魔力が枯渇すれば、呪いは終わるのかもしれませんが、それだけは避けたいのです」

「そう、ですよね」

 魔力が吸われていく、のか。

 そうして枯渇するまで続く? つまり、淫乱ピンクやオスカル殿下の身に起きたようなことが彼女たちにも起こっているということだ。王族なのに魔力を失えば王位継承権まで危うくなるという状況は、もうここに前例としてある。

 だから、アデルや森男も早く何とかしないと、と焦っているわけだ。

 俺は唸りつつ、そっと視線をリカルド先生に投げる。あちらはあちらで、いつの間にかラウール殿下とブルーハワイ、森男と淫乱ピンクという顔ぶれで呪具を前に何か言い合っていた。

 微かに聞こえる感じでは、『神具と交換できそうなものは』やら『ない』やらと言ってラウール殿下が肩を落としている様子もあったが、それでも。

 このたくさんの呪具の中に、呪いを解除するようなものがあればそれで解決。


 っていうか。

 問題の呪具を造ったのは、やっぱりカフェオレさんじゃねーのかな、と思うんだがどうだろう。

 ブルーハワイの中にカフェオレさんの記憶がまだ残っているならば、無理やり叩き起こして解決方法を聞けばいいんじゃないだろうか。


 しかし、下手に起こせばまたカフェオレさんがブルーハワイの肉体を操って悪さするかもしれないし。

 何というジレンマ。俺が思わず頭を掻くと、必死に考えこんでいた俺の顔を見ていたのだろうアデルが、優しく笑ったのが解った。

「何というか……もうちょっと早くお会いできていたら良かったですね」

「え?」

 俺はそこで彼女を見つめ直し、首を傾げた。

「主従契約が済んでしまっていたのは、とても残念でした。もっと早くあなたに会えていたら、わたしがあなたの主になれたかもしれないのに。そうしたら」


 そうしたら?


 俺はそこで、ふと思ったのだ。

 やっぱりこれは、俺の二度目の春、ということなのではないだろうか、と。

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