第85話 幕間 12 ヴィヴィアン

 駄目だ、前世の記憶に引きずられる。

 夜会の音楽が酷く遠くに感じられた。


 わたしは思わず、自分の身体を抱きしめた。肌に爪を立てると、痛みが心地いい。生きているって気がする。

 前世では、痛みはただの苦痛そのものだった。母親に殴られている時、早く終われってずっと祈っていた。生きていてもいいことなんて何もないって思ってた。

 家の中で呼吸することが苦しかったから、学校生活に逃げようとした。

 でも、そこにもわたしの居場所なんてなかった。


 いじめだって、最初のうちは何とかしようとしたんだ。

 わたしだってほんの一瞬だけだったけど、戦おうとした。誰かに助けを求めようとしたし、理解者を欲した。


 だから、傷のなめ合いでもいいから、と。

 同じようにいじめられている女の子と仲良くなって、一緒に何とかしようとしたんだ。いじめられることによって与えられる苦痛を知っているからこそ、信用できると思った。同志になれると思った。


 まあ、幻想だったけど。


 みんなに無視をされて、透明人間のように扱われて、それでもやっと手に入れた友達。

 でも、そいつもいつしか、わたしをいじめる側に回った。あいつらに言われたんだって。一緒にわたしのことをいじめれば、そいつのことをいじめない、って。

 誰だっていじめられるのは厭。だから、わたしを生贄としたんだ。

 あいつらと一緒にわたしを無視して、教科書を破り、制服やジャージをハサミで切り裂いたり、罵声を投げつけてきた。いじめる側に回ったあいつの顔が、あまりにも醜くて驚いた。

 あんなのと友達になろうとしたこと、信用しようと思ったこと、全部間違いだった。

 女って陰湿なのよ。そう思い知らされた。


「こっちの世界なら、幸せになれると思ったのにね」

 わたしがそう呟くと、リヴィアは困ったように眉を顰める。

 変なの。

 本当に、目の前の彼女は奇妙な存在だ。さっき言った通り、女の厭なところを感じないのは何でだろう。ゲーム制作者が男なのかな? 女の子に幻想を抱いているのかも。女の子は可愛くて、優しい。無邪気で善良。そう信じている誰かが、この世界を作ったのかも。

 でなきゃ、リヴィアの態度は理解できない。わたしが彼女にやろうとしたこと、きっと気づいていると思う。わたしがお姉さまを殺そうとしたことも、リヴィアをオスカル殿下に襲わせようとしたことも、きっと。

 それなのに、こんなに甘い対応をしてくれるなんておかしくない? わたしが逆の立場だったら、絶対に許さない。


 でも、そうよね。

 この世界は作り物。

 生きている人たちは、全部、全部、作り物。

 わたしが好きにしていい世界。

 だから、みんなわたしに優しい。わたしに都合のいいように動く。


 そうなんだって信じてた。


 何だか解らないけど、妙に目の前がクリアになったように思える。こんなふうに感じたのは、これが初めてかもしれない。

 まるで、目の前に広がっている世界が、現実世界みたい。虚構のゲームの世界じゃなくて、誰もが生きている、普通の世界。

 これまで虚構の世界に生まれたんだって思っていたから、どうでもよかった。何が起きようが、何を起こそうが気にしなかった。


「リヴィアはさ、誰かを死ぬほど恨んだことってあるの?」

 わたしがリヴィアの顔を見つめて訊いてみると、彼女は困ったように笑う。

「死ぬほど恨まれたことならあります」

「へえ、意外」

 リヴィアは美少女だ。それは認めざるを得ない。わたしとは方向性の違う、クールな感じのする美少女。

 笑っていれば、きっと彼女は男性に好かれて幸せにしてもらえるだろう。それなのに、毎日すごく頑張ってるって感じがする。そうやって頑張ったから、リカルド先生の婚約者になれたのかなあ。

 いいなあ、リカルド先生ってゲームの設定では、デレるとすごく優しくなってくれるんだもの。

「生きていると、誤解だったりすれ違いで、敵になることもありますよね」

 リヴィアがわたしの隣に立ち、わたしと同じように壁に寄りかかる。

 まるで、友達みたいに。


 友達なんて作るつもりはないわたしは、ちょっとだけ複雑な気分だ。


 いっそのこと、リヴィアがわたしを殺してくれればいいのに、なんて思う。そうすれば、次の人生に突入できる。新しい人生では、今よりずっと幸せになれるかもしれない。


「でも、頑張りましょう? やり直しがきくこともあるかもしれませんが、逆にやり直しができないことだってあると思います。今の人生を大切にしないと、次の人生では雑草とかに生まれ変わるかもしれないですよ?」

「雑草ねー」

 わたしは思わず苦笑した。別に、それだっていいけどな。苦痛を感じない人生なら、それだけで幸せだ。

 もうちょっとこの世界を楽しむつもりだけど、もう破滅まではリーチがかかってる状態よね。オスカル殿下は寝込んでいるけど、きっと元気になったらリカルド先生に全部言ってしまうんだろうし。わたしがリヴィアを襲わせようとしたこととか、全部。

 そうしたら、リカルド先生はわたしを容赦しないだろう。婚約者を傷つけようとした、邪魔者なんだもの。

 殺されるのかな?

 痛くないといいけど。


 そこで、急にリヴィアがわたしの手を握ってきて、びくりと肩を震わせてしまう。

「もう、敵に回らないですよね? もしも魔力を取り戻したとしても、悪用したりとかないですよね?」

 そう言った彼女の目は、冷たく輝いていた。本当、おめでたい頭をしている。何なの、わたしに何を期待しているの?

 それとも、期待なんてしていない?

 ただ敵にならないこと。邪魔をしないこと。それだけを望んでいるのかな?


 だから、わたしはせいぜい悪役らしく笑うのだ。

 そう、今のわたしはもうヒロインじゃないんだと思う。完全に悪役。お姉さまがなるはずだった、ヒロインの当て馬。

 ヒロインはリヴィア。

 認めたくはないけど、きっとそう。

「あなたの邪魔はしないわよ。そんな力はもうないし。邪魔になったら、適当にわたしを蹴落として、上に行けばいいじゃない」

「んー」

 聞きたい答えじゃなかったのか、リヴィアは唇を尖らせる。可愛いけど、可愛くない。ムカつく。でも、それを口にはしないくらいの分別はついている。


 夜会で目ぼしい出会いはないまま、次の日はやってくる。

 あの緑色の兄と妹――リヴィアいわく、濃縮された森の二人は一度、国に帰っていった。魔導馬車でファルネーゼ王国を出て、そこから召喚獣で移動らしいから、そんなに往復に日数はかからないのかもしれない。

 呪具だか呪いだか知らないけど、リヴィアに頑張ってもらって、わたしもおこぼれで上手く報酬がもらえればいいな、なんて考える。

 とりあえず、彼らがまたやってくるまで――暇な時間はファルネーゼの王城の中にある図書室で、読書に明け暮れることにした。

 勉強は嫌い。

 でも、そんなことを言っている場合じゃない。

 わたしの知識はゲームから。だから偏っている。神に愛された乙女の一族なんて恥ずかしい呼び方されているけれど、実際のところ、どうなんだろうって急に思い立ったのだ。

 わたしに何ができて、何ができないのか。そこから調べ直す必要がある。

 膨大な蔵書の中から、役に立ちそうなものを探す。何故かリヴィアもわたしと一緒に読書することにしたようで、彼女はアイテムに関しての本だったり合成についての資料を開いていた。

 そして、グラマンティでは収集できないアイテムを見つけては、リカルド先生に「ここに行きたいです」と交渉している。そのほとんど却下されているようだったけれど、彼女は諦めない。リカルド先生の服を掴んで、睨み合う。

 何なの、いちゃつくなら他のところでやってよ! うっざ!


 わたしは彼らを無視して、ある本を手に取った。背表紙には『禁術と魔道具』と書かれている。ぱらぱらとめくると、過去に問題となった危険な魔道具について書かれているのだと解る。

 呪具とかいうものも、ゲームの中には出てこなかった。

 オスカル殿下はただ、毒親に影響されて病んでしまっただけ、のはずだった。その彼が、ここまでとんでもない結果になってしまったのはどうしてだろう。

 もしかしたら、ゲームみたいにヒロイン監禁ルートなんてものもないのかもしれない。

 もっと真剣に彼に向き合っていたら、わたしにだって彼が救えていたのかもしれない。

 まあ、そんなことを考えたって今更なんだけど。


 さらに、光属性の魔法について書かれている本を読む。

 魔力を失ったわたしはグラマンティ学園を退学して、何か別の生き方を探さなくちゃいけないと解っているのに、やっぱり諦めきれない。

 治療魔法、浄化魔法、色々あるけれど。

 植物を育成する魔法は難しいとされている。


 そう言えば、前世であった話。

 草さえほとんど生えていない不毛の大地に、少しずつ植林して緑を増やした人がいたって。何十年もかけてやった、素晴らしい功績。救世主のようにその人は崇められたって聞いた。


 わたしにも、そんなこと、できないだろうか。

 魔力がもしも戻らなかったら、どこか辺境の地――荒れ地にいって、植物を育てる。でも、そういう土地には魔蟲もたくさん出るだろうし、戦えるようにならなきゃいけない。

 他人を頼るのは馬鹿馬鹿しい。どうせ、みんな、裏切るんだもの。

 わたし一人でやらなきゃ駄目。

 だったら、魔道具で何とかしなきゃ。自分の身を守り、戦って、死ぬ前に少しくらいはいいことをしておかないと――雑草に生まれ変わっちゃうかな。


 わたしはつい、一人でそんなことを考え、苦笑した。

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