第83話 呪具についてお聞きしたいことが

「申し訳ないのですが、わたしもよく解らなくてー」

 意外なことに、淫乱ピンクはとぼけることにしたようだった。「噂は聞いたことありますけど、わたし、そんなに魔力も持ってないし、万が一……そうだったとしても、そんな大それた存在ではないと思うんですよね」

 てへ、と言いたげな明るい笑顔でそう言った彼女は、もうこれで会話は終わりかな、と辺りを見回した。穏やかながらも賑やかな大広間、生演奏で流れる軽快な音楽、壁側には料理の並んだ大きなテーブル、飲み物をさりげなく渡してくれる給仕たち。

 そっちに興味があるんだよ、と態度と表情で示した彼女は、どこからどう見ても無邪気な少女である。


 裏の顔を知らなければ、間違いなく男どもは騙される。

 淫乱ピンク、マジすげえ。


「確かに、魔力はそれほど感じられないですね」

 美少女――アデル嬢は目を細め、淫乱ピンクを鑑定するかのようにじっと見つめる。そして、ヴィヴィアンの言っていることに嘘はないと知ると興味を失ったかのように、今度は俺に目を向けた。

「そして、わたしが興味があるのはあなたなのですが……その」

 そこで、彼女はとても綺麗なお辞儀をした。スカートをつまんで、淑女らしい仕草で。

「失礼いたしました、わたしはアデル・サクラーティと申します。そして、ご迷惑をおかけしてしまった不肖の……兄と呼びたくはないのですが、クレオ・サクラーティが……」

 アデル嬢は薄目でクレオさんとかいう森男を見上げ、心の底から厭そうな表情でため息をこぼした。

「申し訳ない、先日は」

 森男は慌てて頭を下げ、俺を見る。

 自己紹介されてしまった以上、こちらも返さねばならないだろう。

「リヴィアと申します」

 そう言ってから、念のため牽制として、リカルド先生の腕を掴んで引き寄せて微笑む。「わたしの主がこちらです」

「……リカルド・フォレスといいます。姓は違いますが、ファルネーゼの王族の血を引いています。お互い、良いお付き合いができればいいですね」

 先生は急に話を振られて困惑したようだったが、冷静な口調でそう挨拶をした。

 ファルネーゼの名前を聞いて驚いたように目を見開いた二人だったが、どこか納得したような色が目に浮かんだのが見えた。

「なるほど、こちらの国は神具を二つ手に入れたということですか。それは安泰のようで」

 森男は笑顔でそう返したが、何か言いたいことがあるのに言えない、といった様子だった。ぎこちなく妹の方へ目をやって、彼は首を傾げて見せる。

 アデル嬢は微かに頷いて見せた後、リカルド先生に真剣な表情を向けた。

「実は、ご相談がありまして……国王陛下にお会いさせていただくことは可能でしょうか。本当はこちらの第一王子殿下、オスカル・ファルネーゼ殿下にお会いしたかったのですが、今夜はお見受けできませんでしたので」

「どういった件でしょうか。私で力になれることがあれば」

 先生はあくまでも丁寧な口調を貫く。

 俺に対するような大雑把なところは全くない、余所行きの穏やかな笑顔。完全なる紳士。


 そんな俺たちの様子を他人事のように観察しているラウール殿下とブルーハワイ。通りがかった召使の手から飲み物を受け取って、高みの見物とやらにしけこむことにしたようだ。

 淫乱ピンクは俺たちの話が長引きそうだと判断し、先ほど目を付けた金髪イケメンの方へ歩み寄ろうとして、俺の手に引き戻される。目を離したら絶対こいつはろくなことをしない。そんな自信があるから逃がすつもりはないが、めちゃくちゃ手を振り払おうと動かしてくる。


「場所を変えませんか?」

 やがて、アデル嬢が小さなため息と共に、そう提案する。「ここでは、ゆっくりお話しできそうにありませんから」

「しかし」

 リカルド先生は笑顔ながらも、僅かに拒否の感情が混じったように見える。というか、『見せた』のだろう。面倒ごとは避けたいという気持ちはとてもよく理解できる。


「じゃあ、わたしたちはお邪魔しちゃいけないですよねー?」

 淫乱ピンク、相変わらず空気を読まず、振り払えないのならば俺の腕ごと引っ張っていこうとする。そして、俺の耳元で「せっかくの夜会なんだから、楽しまなきゃ駄目でしょ」と力強く囁いたのだが――。


「ぜひ、そちらのお嬢さんも。ええと?」

 と、アデル嬢が淫乱ピンクに微笑みかけると、俺の手を引っ張る力が緩んだ。

「何でこうなるのよ。やっぱりあんた、この続編だか何だかの主人公枠なんでしょ。ムカつくわ」

 淫乱ピンクがぶつぶつとそう言った後、見事なまでに『嫣然』という言葉が似合う笑顔を浮かべて会釈をするのだ。

「失礼しました! わたし、ヴィヴィアン・カルボネラと申します。本当、わたしは何もお役に立てませんよ?」

「いえいえ、そんな」

 アデル嬢はにこやかに俺たちの前に歩み寄り、何故か俺とヴィヴィアンの顔を交互に見つめてから、微かに頬を染めて俺を見つめ直した。

「その、仲良くなれたらと思いますので、ぜひ」


 おおお、可愛い。

 久しぶりに、純粋な可愛らしさを見たような気がする。

 淫乱ピンクみたいに演じられたものじゃなくて、ふわっとした女の子らしさ。恥じらうことで染まる目元、長い睫毛にピンク色の唇。


 っていうか、妙に俺をじっと見つめているのは何故だろうか。

 神具に興味があるんだろうか、と俺が困惑していると。


「実は……呪具についてお聞きしたいことがあったのですよ」

 森男が、リカルド先生にそう声をかけているのが耳に入って、俺は我に返る。

「呪具?」

 先生の声は静かではあったし、動揺も見られない。でもきっと、驚いているのだろうと俺には解る。ほんの少しだけ、冷気が漂った気がしたから。

「ええ、実は」

 アデル嬢が俺に寄り添うように立ち、小首を傾げながら続けた。「少し、困った事態に陥ってしまいまして、ライモンド王国が持つとされる、予言ができる神具に会ってきたのです。先見の杖、と呼ばれる神具です」

「なるほど?」

 先生が話の先を促す。

「そうしましたら、この国で行われる夜会に出るように、と言われまして。こちらでファルネーゼの王子殿下と会い、解決の糸口がもらえるとの言葉をもらったのです。ですから、その」

「解りました、場所を変えましょうか」

 先生はそこで軽く手を上げ、俺たちの顔をぐるりと見回した。


 呪具と聞いてラウール殿下の顔も強張っていたし、ブルーハワイも飲み物の入ったグラスを手に固まっている。

 そんなブルーハワイの肩に先生は手を置き、にこりと笑って言うのだ。

「私より、あなた方の手伝いができそうな人間がここにいます。ちょうどよかったですね」

 そして俺たちは全員で大広間を出て、とある個室へ足を踏み入れることになった。


 その部屋は広めの応接室、といった感じだった。重厚な家具に絨毯、壁には赤々と燃えるランプが下がっている。

 大きな窓は開いていて、大広間から流れる音楽が微かに聞こえてくる。

 召使たちが俺たちを案内した後、飲み物やら料理やデザートの皿を次々に運んできてくれる。部屋の中央にあるテーブルセットに色々と置いた後、彼らは部屋を出て行った。


「出会いの場……」

 淫乱ピンクが負のオーラを漂わせつつ、ソファに深く座り込んでいる。

 俺は淫乱ピンクの絶望を感じながら、テーブルに用意されたジュースを飲む。料理もデザートもとても美味しそうなのに、コルセットが限界まで締め付けているので、俺の胃は食事を拒否している。何ていうことだ。


「お時間を取っていただき、感謝します」

 やがて、俺の向かい側のソファに座ったアデル嬢が、静かに口を開く。俺の左側に座ったリカルド先生は、手ぶりで気にしないで欲しいと示した。

 ラウール殿下はさりげなく応接室にあった本棚を覗いていて、その横にブルーハワイが立っているが、こちらの会話に耳を澄ませているのが解る。


「先日、わたしたちはとある魔道具を手に入れたのです」

 アデル嬢が言葉を探しながら言う。「色々な国を行き来する古物商が持ってきたものなのですが、ある貴族の屋敷にずっと前から保管されていたものだと言われました。それは色とりどりの魔石がはめ込まれた宝石箱みたいな形をしていて、鍵がつけられて開けることができませんでした。鍵そのものは貴族の屋敷にも見つからず、開けられないとはいえ、見た目だけでも高価だと思われる逸品。鍵さえ開けば、中には何かお宝があると商人は信じていましたし、だからきっと、高値で売れると考えたのでしょう。随分と熱心に売り付けられました」


「実は、我々もそれが普通の宝石箱だと思い込んでましてね」

 アデルの横に座った森男が、神妙な顔つきで言う。「ですから、不用意にそれを買い取り、箱を開けてしまったのです。私が触ったら……結構、簡単に鍵が開いてしまって」

 それを聞いたアデル嬢は、冷ややかな視線を彼に投げる。

「だから考えなしだと言うのです。いつだってそうやって色々なものに手を出して、問題を起こしますよね?」

「ああ、耳が痛い。でも、本当に開くとは思わなかったんだよ?」

 二人はそれぞれ気まずそうに見つめ合った後、また俺たちの顔を見回した。


「そしてそれが魔道具ではなく、とても厄介な呪具だと気づいたのは、我々が呪われてしまってからなのです」

 森男が肩を竦めながら苦笑し、アデル嬢が眉尻を下げる。

「呪いを解く方法を知りたくて、ここまで来ました。それに、もしかしたら大きな力を持つ神具でしたら呪いを解く力を持ってるかもしれないと思いましたし」


 ――呪い。


 俺の視線は自然とブルーハワイに向いた。先生もラウール殿下も、淫乱ピンクでさえ。


「えっ」

 ブルーハワイだけが、居心地悪そうに身を竦めてそこに立ち尽くしていた。

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