第82話 魔大陸からの客
ぬおおおおお!?
俺はコルセットを装着した! 死ぬかと思った!
「もう少し頑張ってください。美しい女性は細い腰からです」
俺の身支度を整えるべく部屋にやってきた召使たちは、とても暴力的だった。何人もの女性が俺を取り囲み、下着から何から準備してくれたけれども、腹の周りに装着されたコルセットというのは心の底からいらないものだったと断言できる。ぎゅうぎゅうと締め付けられる腹、途端に失せる食欲。
俺が魂をどこかに飛ばしている間に、用意された淡い水色のドレスを着せられ、鏡台の前に座らされて化粧を施され、短めの髪の毛を丁寧に結い上げられ、キラキラ輝くアクセサリーをこれでもかとつけさせられた。
気が付いたら鏡の中にとんでもない美少女が出来上がっていて、俺は思わず心の中で『おおお』と歓声を上げる。
極限まで絞り込まれた腰は、今までだって充分細かったが、それ以上に華奢な感じになった。思わずドレスの上から触れると、これは見事な細腰で、俺が男だったら抱き寄せて腕の中に閉じ込めてみたいと思うだろう。それと、腹の周りの脂肪が上に寄せられたせいか、胸に谷間が! 谷間が!
今までで一番ちゃんとした膨らみになった胸に、このまま頑張ればAカップがBカップになるのではないかという希望が芽生えた。もう少し感動に震えていたかったが、召使たちに促されるままに椅子から立ち上がる。
それと同時に、俺の部屋のドアがノックされ、淫乱ピンクが入ってきた。彼女もまた、気合の入ったドレス姿である。
ピンク色の髪の毛に合わせたのか、ドレスも淡い桃色。ドレスのデザインも、アクセサリーも、全体的に可愛らしさを意識した出来上がりと言える。
「準備できたー?」
お気楽な口調には似合わない、真剣な表情。
彼女は俺を見て、少しだけ悔しそうに唇を噛んだ。
「ムカつくわ」
「え、何がですか」
「でも、売約済みなんだから大丈夫よね」
「だから、何がですか」
淫乱ピンクは俺の問いに応えず、眉間に皺を寄せて何事か考えこんでいた。しかし、何らかの結論を出したのか、納得したように頷いた後、俺の手首を掴んで部屋の外に出た。
俺には夜会とか舞踏会とかの違いは解らないが、とりあえず王城で行われるからには一大イベントには違いない。
城で働く人間は、早朝から忙しいようでばたばた動いていたし、リカルド先生も手伝うことが多いのか俺たちと会話する暇もなさそうだった。
お気楽なのは俺たちだけで、暇な時間は図書室だったり中庭だったりで遊んでいて、午後になったら夜会に出る準備が始まったというわけだ。
で、着替えた今、後悔していることが一つ。
コルセットの締め付けがきついせいで、俺の唯一の楽しみ、夜会で出る食事がほとんど食べられそうにないということだ。軽く絶望できる。
「リヴィア、似合うな」
夜会の会場となる大広間に向かう途中、廊下の真ん中でラウール殿下が俺たちを待っていた。そのすぐ横で、疲れ切った表情のブルーハワイ。二人とも、夜会に出るためにキラキラした服装である。こちらもまた、召使たちが頑張った成果が見えている。
「……殿下もお似合いです。いい出会いがあるといいですね?」
俺が引きつった笑みでそう応えると、ラウール殿下は意味深に笑って俺の手を取った。
「出会いならあっただろう?」
「初耳です」
俺はわざとらしい動きで俺の手の甲にキスしようとしたラウール殿下を振り払い、その手を淫乱ピンクのドレスで拭こうとして彼女に殴られる。淫乱ピンク、最近は俺に遠慮というものをしない。暴力反対である。
俺の髪型が乱れそうになるのを見て、召使たちが小さな悲鳴を上げたが、とりあえず気にしないことにした。
廊下の窓の外に見えるのは、魔導馬車の群れである。次々にやってくる来客。
大広間に到着する前から、そこで演奏されているらしい穏やかな曲が流れてきている。
一応、ダンスはジュリエッタさんのところに通っている間に教えてもらった。淑女たるもの、上手に踊れるダンスもマナーの一環らしい。しかし、攻撃力高そうな俺の靴で、相手の足を踏み抜く予感しかしないからできれば避けたい、なんてことを考えながら大広間へと足を踏み入れた。
陽が暮れそうになる時間帯。
ファルネーゼ国王陛下の短い挨拶の後、夜会とやらが始まった。
一般的な体育館の何倍もあるような広さの大広間に、数百人の着飾った人間が集まるのはなかなかの壮観で、誰もが僅かな緊張と期待に満ちた目で辺りを見回している。
一応、今夜の夜会の趣旨としては、新しい出会いで友好を深めようという感じらしい。他国からの客も多いが、もちろん彼らは貴族の一員であり、平民は参加していない。身元の確かさは保証された、軽い結婚相手探しの場みたいになっているようだ。
本当ならば、ここに未婚であるオスカル殿下が出るべきだったのだろうが、相変わらず彼はベッドの上の住人らしいから、代わりに何かとリカルド先生が働いている。ある程度それが終わったのか、疲れ切った表情の先生が俺を見つけて近寄ってきた。
「……似合うな」
先生は俺のドレス姿を見て、小さく笑う。
先生もまた、気合の入った服装である。青を基調としたブレザータイプの上着、スラックス。
「先生もどこかの王子様みたいで、モテそうですね」
「褒めてるつもりなのか?」
「どうでしょう」
そんな会話をしていると、いくつかの視線がこちらに向くのを感じた。そっと辺りを見回すと、リカルド先生に声をかけようとしているらしい女性たちの姿がちらほら。
淫乱ピンクも、真剣な目で辺りを見回していて、イケメン探しに集中しているようだ。
男性より女性の方が恋人探しに必死なのかもしれない。
ラウール殿下とブルーハワイにも女性たちの視線が止まっているが、二人は完全なるマイペース。立食スタイルの食事に目をやって、美味しそうなのはどれか言い合っている。
「ちょっと、あれ」
そこで、淫乱ピンクが俺の横腹をつついた。彼女の視線の先を目で追うと、見覚えのある派手な二人の姿がある。
歩く光合成、緑の髪のイケメンと美少女。
「森男さんたちですね」
俺が顔を顰めると、リカルド先生が「森男……」と呆れた声を上げたが、すぐにこう続けた。
「彼らはアデル・サクラーティ、クレオ・サクラーティ。私も来客の受付の時に初めて知ったが、サクラーティ王国という――随分遠くからの客だ」
「サクラーティ」
桜のお茶、か? 何とも美味しそうな名前だ。
「そんな国、初めて聞いたわ」
俺の横で淫乱ピンクも困惑したような声を上げている。つまり、彼女が知っているこのゲーム世界のシナリオには出てこなかったということだろうか。
「ただ気になるのは、サクラーティ王国というのは魔族領にある国なんだ」
「魔族領?」
リカルド先生が言ったその言葉に、俺も淫乱ピンクと一緒に首を傾げる。
俺はこの時の先生の説明で、この世界には『魔大陸』と呼ばれる場所があるのだと初めて知った。
魔王が統治する大陸、魔大陸。
魔物が多く住み、大地そのものにも大きな魔力が潜んでいる場所。そこで人間が暮らすのは厄介らしいのだが、遥か昔、そこに移り住んだ人間も少なからずいたんだとか。
そして、サクラーティ王国というのも魔大陸における数少ない人間の統治する国。しかし、人間だけでは安心した暮らしを保てず、魔王の庇護下にあるのだという。
「つまり、魔王というのは人間の敵ではないということですか?」
俺が軽く手を上げてそう訊くと、あっさり肯定の返事が返ってきた。
「ああ、特に敵対関係にはない」
「なるほど」
「しかしわざわざ魔大陸を出て、この聖大陸までやってきたのには何か理由があるのではないかと疑っている。魔大陸と聖大陸では、遠く離れすぎていて単なる観光と言うわけでもなさそうだしな」
「聖大陸」
これも初耳だったが、俺たちが住んでいる大陸のことを聖大陸と呼ぶらしい。魔大陸よりも平和な土地。魔物の出現も少ないらしい。その割には魔蟲がガンガン出ているような気がする。
「でも、わたしたちには関係のない話ですよね?」
淫乱ピンクはあまり興味なさそうにそう言ってから、視線を別のところに向けて先生に訊いた。「それより、あちらの男性はどちらかの王子様とかでしょうか?」
彼女の目線の先には、金髪美男子、いかにも白馬の王子様的な美少年が立っていた。十代後半、キラキラしたオーラを纏う彼は、確かに淫乱ピンクの好きそうな細身のイケメンである。真面目そうな目つきと、将来有望そうな精悍さを併せ持つ感じが淫乱ピンクの琴線に触れたらしい。
「……ああ、確か彼はドルチェ王国の第二王子」
リカルド先生が目を眇めて淫乱ピンクを見下ろした。明らかに呆れている様子だが、もちろん淫乱ピンクは気にした様子もない。
第二王子、と目を輝かせた彼女は、自分のドレス姿を見下ろしてどこにも乱れがないことを確認し、よし、と気合を入れてそちらに向かおうとした。
だが。
「先日は失礼しました」
と、光合成二人組が俺たちに声をかけてきた。
アデル・サクラーティという美少女と、その兄の森男。森男は申し訳なさそうに俺を見つめ、アデルという美少女はリカルド先生を見上げて微笑む。
「少し、お話ができればと思い、声をかけさせていただきました」
アデルがそう微笑んでいると、こっそり淫乱ピンクが隙をついてこの場を逃げ出そうと動く。しかし、すぐに森男に輝くような笑顔で呼び止められていた。
「そちらの可愛らしいお嬢さんも、よければ一緒に」
「えっ、わたしですかぁ?」
にこやかに微笑んでそう返した淫乱ピンクだったが、気のせいだろうか、その笑顔の裏に苛立ちが見える。何も、そんな毛嫌いするような相手じゃないだろうに、と俺が困惑していると、森男はチャラい雰囲気を醸し出しながら続けた。
「先日会った時には気づかなかったのですが、あなたはもしかして、神に愛された一族のお嬢さんかな、と思いまして」
「……あら」
淫乱ピンクは驚いたように目を見開いた後、何て言葉を返すか悩んだようだった。
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