第81話 どこから思いついた言葉なの?

「お兄様、どうなさったんですか?」


 俺たちが緊迫感を漂わせていると、森男の背中を見つけて遠くから声をかけてくる少女がいた。森男と同じ、光合成しているんじゃないかと思えるくらいの緑色の髪の毛。淡い緑色の瞳は、お兄様と呼んだ森男と同じ色だ。

 年齢は俺たちと同じくらい、十代半ば。長い髪の毛を綺麗に後頭部に結い上げ、周りを歩く人たちと同じようなシンプルな紺色のワンピースに、編み上げのブーツ。いかにもお忍びで街に遊びに来ているといった雰囲気を漂わせた彼女は、貴族なんじゃないだろうか。

 その彼女の左右には、明らかに護衛らしき男性が二人いる。身体を鍛えているだろう立派な体格、鋭い目つき。

 一触即発といったこの空気に、護衛二人が少女の前に出てリカルド先生たちを睨みつけるが、少女が慌てて手を振りながら言った。

「ごめんなさい、兄が何かやってしまったようですね? 申し訳ありません」

 そう言いながらも、その視線は素早く辺りを見回し、状況把握に努めているようだ。にこやかな笑顔の裏に、聡明さも垣間見えた。


 とりあえず、この場の空気を軽くするためにも、俺は言った。

「こちらこそ、急に胸を触られたので痴漢かと」

 ざわ、と辺りの空気が揺れた。軽くなったどころか、空気が乱れまくりである。森男も慌てたように言い訳をしようと何か言いかけた。

「胸を……? お兄様どういうこと?」

 ふと、少女の目が冷たく輝き、笑顔であるのに冷気を纏う。ああ、リカルド先生と同じ香りがする。下手に関わっては大変なタイプ。

「いや、それは」

 森男が何か言いかける前に、俺はとどめを刺す。

「わたし、急にブラウスを脱がされそうになって、まさかわたしもこんな街中でこんな酷いことをされるとは」

「君は黙っててくれないかな?」

 森男が俺に詰め寄ってこようとして、リカルド先生に阻まれた。さらに、少女が冷たい微笑をたたえて彼に静かに言った。

「お父様に報告しますわね」

「ちょっと待ってくれ、アデル」

「他国で問題を起こさないという約束でしたのに」

「いや、でも」

 森男は困ったように笑い、俺が神具であることを口にするかどうか悩んだようだ。彼が自己弁護をしたいと思うなら、俺の正体について口にした方がいいだろうに彼はそうしなかった。大人しくアデルと呼んだ妹に頭を下げ、改めて俺たちにも謝罪する。見た目のチャラさに反して、それなりに真面目なのかもしれない。

 それに俺も少し落ち着いてきて、恥ずかしく思い始めていた。何か、急に自分が女であることを意識したというか。


 とりあえず、どんな目的があろうと、俺のこの残念な胸を揉んでいいのは俺だけだ。

 他のやつには触らせない。ただし、女の子は除く。


「何? 騒々しいわね」

 そこへ、少しだけ遅れて淫乱ピンクも姿を現した。どうやら買い物をしてきたらしく、腕の中には大きな袋がある。

 しかし、チャラい男とはいえ森男はイケメン。淫乱ピンクは彼を見た途端、笑顔を張り付けて彼を見定めるように観察、そしてその横にいる緑色の髪の少女も見て、困惑したように首を傾げた。

 そして、俺に近寄って小声で訊いた。

「……どこかの貴族?」

「多分、そうだと思いますが」

 と、適当に俺も返す。

「ちょっと、ムカつく感じの顔ね」

 その淫乱ピンクの言葉に、俺は驚いて口をぽかんと開いた。金持ちイケメンなら何でも来いというタイプなのかと思っていた。

「……何よ」

「いえ、何も」


 俺と淫乱ピンクが微妙な顔を突き合わせている間に、いつの間にか他の連中には何かしらの結論が出たらしい。

 とりあえず、森男からの謝罪を受け入れ、お互い何もなかったということで別れることになったようだ。

 そして、あっという間に護衛たちの姿が消え、のんびりとした買い物の時間が戻ってきた。ファルネーゼ王国の護衛たちは気配を消すのが上手い。


「わたし、ああいう女装したら女より美女になるタイプの男は許せないのよね。あんなのと恋人になったら、他人から毎日比べられるようになるのよ」

 ウィンドーショッピングというのだろうか、色々な店先を冷やかしながら、淫乱ピンクは俺に言う。

「森男さんのことですか」

「何それ」

「頭髪が森みたいで」

「あなたの表現、たまに変よね」

 彼女は苦笑してから、どこか思いつめたような表情で足をとめる。彼女の目線の先には、可愛らしいピンク色のマントが展示されていて、これが欲しいのかと俺が唸っていると、予想外のことを口にした。

「ねえ、わたし、昨日の夜に唐突に思ったんだけど。あなたのネーミングセンスとか、ちょっと……おかしいわよね? ブルーハワイ様って、どこから思いついた言葉なの?」

「え?」

 俺は変な顔で彼女を見つめただろう。

「ごめんね、わたしもちゃんと頭の中で整理できていない。ただ、ブルーハワイってわたしのイメージじゃ、かき氷とかのシロップなのよ。目が覚めるような鮮やかな青、ブルーハワイ。日本人には当然のように頭に浮かぶ言葉なんだろうけど、何であなたの口からそれが出るんだろうって思ったの」


 ヤバい、と思ったのはこの時だ。

 俺は淫乱ピンクの頭の中が花畑だと思っていたから、油断していたのかもしれない。言葉選びなんか考えていなかったし、どうせ大丈夫だと思っていた。


「あなた、以前わたしに注意したわよね。わたしが狙ったように上手くいかなかったことで、わたしが主人公じゃないと疑わなかったのか、みたいな?」

「そうですね。そんなようなことを言ったような気がします」

 俺が眉を顰めて彼女の言葉の続きを待っていると、彼女は弱々しく微笑んだ。

「もしかしたらこの世界は、あなたが主人公なの? だからわたしの思った通りにならなかったの? わたしのハッピーエンドはもうどこにもないの?」

「え?」

「あなたはNPCってやつなのかしら。ゲーム制作会社が作り出した、新しい主人公。それとも、あなたは転生者? どちらにしても、あなたがこの世界で重要な立場にいるんだろうってことは間違いない。だって、剣に変身するとかおかしいもの。そんなの、単なるモブじゃない。そんなキャラクター、わたしは知らない」


 どうしようか。

 今が俺も転生者だとばらすタイミングだろうか。

 少なくとも、今の淫乱ピンクは魔力を失ったせいで、その他大勢の一般人程度の扱いなのだ。脅威は感じない。

 教えたことで、俺にメリットはあるだろうか、と難しい表情で考えこんでいるのを見て、淫乱ピンクは何を思ったのか首を横に振った。


「やっぱりいいわ、聞きたくない。もし、ここで『この世界がわたしのために造られたものじゃない』と答えが出てしまったら、立ち直れないかもしれない。希望は残しておくべきだわ」

「……あの?」

 俺は何も知らないふりをして首を傾げたが、彼女の言いたいことはよく理解できた。ある意味、淫乱ピンクは気づかない方が幸せだったのだろうから。

「まあ、ブルーハワイって言葉が出てきた理由としては、このゲームの開発者が日本人だったら、それもおかしくないのかもしれないし。それより、主人公がわたしにしろあなたにしろ、ここがゲームの続編ならさっきの緑色は攻略対象の可能性があるわよね。目立つイケメンだし、貴族か王族か知らないけど……わたし、この後のストーリー展開が読めた気がするわ。きっと彼らとは、夜会とやらで再会するに決まってる。このマントを賭けてもいい」

 と、彼女はピンク色のマントを指さし、そのままそれを買うために店に入っていってしまった。お気楽な鳥頭だと思っていた彼女だが、その背中は少しだけ、前とは違っているように思えた。

 気のせいかもしれないが。


 だが、彼女は賭けに勝った。

 緑頭の二人には、夜会とやらで会うことになったのだから。

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