第77話 治療魔法の限界
先生は淫乱ピンクに詳しく説明するのは避けたが、そう言えば俺は、普通に妊娠出産できる身体だと……あれ、じいさんに聞いたんだっけ?
俺は男性とそういうことをするつもりがなかったし、すっかり忘れていた。もちろん、先生だってそうだと思った。俺とそういうことをするはずがないから、俺には無縁の話だと思って詳しく聞かなかった。だからこうして言われるまで頭の中から完全消去されていたわけだ。
で、改めて聞いたところ。
神具が妊娠したら、普通に『人間の』子供が生まれるそうなのだ。
アンブロシアというのは神具の餌ではあるものの、肉体は人間と全く同じなのだから当然だ、というのが先生談。ただし、生まれた子供がアンブロシアになる可能性も高く、そうでない場合はとんでもない魔力持ちになるんだとか。
そりゃまあ、現在の肉体が女性ということもあって、性的なことには興味があった。
でも、何と言うか俺の考えていることって、『ジュリエッタさんと万が一、いちゃいちゃするとしたら』くらいのことだったし、相手が男性というのは敢えて考えていない自覚もあった。
だって、ヤバいだろ。
前世で聞いたことあるんだよな。妊娠出産の痛みは男性には我慢できないレベルで、ショック死することもあるって。『鼻の穴から巨大なスイカが出てくるくらい痛い』とか、もっとエグイ表現もあったから、できれば経験したくない。
「まさかとは思うが……」
そこで何故か、ラウール殿下がショックを受けたように俺を泣きそうな目で見た。「リヴィアってもう処女じゃな」
「殴っていいですか」
「相手は王族だということを忘れるな」
俺とリカルド先生が無表情のまま見つめ合う。
「でも、その、婚約したのは間違いないですし」
俺はそこでリカルド先生にさらに近づき、彼にだけ聞こえるように続けた。「するんですか」
「……何をだ」
「いや、あの」
思わず目を逸らして遠くを見る。そして唐突にいいことを思いついて手を叩いた。
「この世界には、性転換するような魔法があったりするのでは? 先生が美女になってくれれば、わたしもワンチャン」
そこでリカルド先生に耳を引っ張られて、痛みのあまりにぱしぱしと彼の腕を叩く。
ギブギブ! 暴力反対!
「そんな魔法はないし、あったとしても私がお前を押し倒す立場だと思うが」
「今ほど、誰かをケダモノと呼びたくなったことはないです」
「その前に、お前は色気をつけるべきだ。今のままでは全く食指が動かん」
結構酷いことを言われているが、ある意味ほっとした。
さすがにまだ、俺の心は男性のままなので先生やラウール殿下に押し倒されるようなことはごめんこうむりたい。
っていうか、いつか俺、女性としての自覚が芽生えたりするのだろうか。
そして恋愛対象が男性になったりとか……?
と、背筋に冷や汗が流れるような気がしたが、気づかなかったことにしておく。
「もう、何なのよ! 本当にムカつく!」
俺がある意味修羅場を迎えている状況で、淫乱ピンクはその場で地団駄を踏んでキレているし、誰も手がつけられない。
もう、こいつをここに捨てていきたい。
だが結局、リカルド先生に促されて、全員でファルネーゼの王城へ向かうことになったのだ。もう、その頃になると俺もぐったりしていて、何も話す気力はなかった。
ラウール殿下はその後もぐちぐち言い続けるし、ブルーハワイもどうしてこんな空気になっているのか解らず気難しい顔で口を噤んでいるし、リカルド先生はラウール殿下への牽制のつもりか、いつもより俺と一緒にいるようにしているし、まさにカオスと言える。
しかし、何となくだが、これが何かの小説やアニメとかだったら、最大の敵であるカフェオレさんが敵ではなくなったことで、ハッピーエンド、になるんだろうかとか期待していた。
この後は何も問題が起こらず、俺は学園に戻って平和な生活に――。
まあ、それがないものねだりってやつだったと知るのは、それほど遅くはなかった。
ファルネーゼの王城へ到着したのは、午後遅めの時間だった。
オスカル殿下が倒れた後ということもあって、城の中の空気は少しざわついているように思えた。
リカルド先生は、オスカル殿下の代わりに来客のもてなしを王城の召使たちに命令しているが、それに困惑している人たちの姿も多かった。
考えてみれば、それもそうだろうと思う。
リカルド先生は、確かにファルネーゼ王族の人間とはいえ、今はグラマンティ学園の教師。この国とは縁を切ったとも言える立場だ。
でも、リカルド先生の命令を嬉しそうに聞いている人たちも多くて、何だか、一波乱くらいありそうだな、と思ったのはこの時である。
どうやら、ファルネーゼ国王陛下と夕食の前に挨拶する予定らしく、それまでは客室でゆっくりしていてくれと先生に言われた。
俺たちはそれぞれ一人部屋を与えられている。
ブルーハワイのところには王城の医師が足を運ぶとかで、ラウール殿下もそれに付き添うのだという。ブルーハワイは怪我なんてしていないから、と最初は遠慮したものの、ラウール殿下にも強く勧められて断れなかったようだ。
まあ、カフェオレさんがまた彼の身体を操ったりして暴走したら困るから、できるなら徹底的に見てもらった方がいい。
こんな状況で、お気楽なのは俺と淫乱ピンクくらいだろう。
グラマンティの学園よりもずっと豪奢な造りの城内。グラマンティ学園の場合、年季の入った家具がいい味を出していたが、こちらは古さを感じさせる家具やら装飾はない。どれも綺麗に磨かれていて、下手に触ったら汚してしまいそうで不安になるレベル。
与えられた客室も、家具からして一級品。天蓋付きのベッドに広い風呂とトイレつき、足が沈むようなふかふかの絨毯、大きな窓にバルコニー、客室は三階にあるから窓から見えるいい眺めに感動、とテンションが上がりまくりである。
淫乱ピンクも俺の部屋のすぐ隣――とはいえ、部屋自体が広いからドアは遠い――に入り、お気楽な感動の声を上げているのが聞こえたし、ぶつぶつと「リカルド先生が無理なら誰にすればいいの」とか呟いているのも耳に入ってきて、彼女のこの世界でのイケメン攻略は続いているのだろうと思う。
しかし、学園を退学になるかもしれないとかいう話は覚えているんだろうか、この鳥頭は。
まあ、これ以上関わりたくないから放置するけども。
で、部屋に用意されたお菓子とお茶でのんびりしていると、気になるのがオスカル殿下のことだ。
というわけで、持ってきた荷物の中から魔道具の眼鏡を取り出してつけてみる。
そして、色々なところを見て回ることにした。
「今は何とも言えませんが……」
とある部屋の前の廊下で、背の高い男性がそう話をしている。金髪の長めの髪の毛を後ろでまとめ、白い服に身を包んだ三十代後半くらいの神経質そうな男である。
「オスカル殿下の魔力が酷く低下していまして、そのために体力の回復が遅れているのは確かです。単なる治療魔法では現状が限界でしょう」
「やはり、魔力の回復は無理なのだろうか」
そう返したのはリカルド先生で、その二人の傍には侍従的な男性も数人いた。誰もがかっちりとした服装で、厳しい表情をしている。
「回復のお約束はできませんが、色々試してみようと考えています。魔力増幅の効果のある木の実が国内で出回っていますので、そちらと……後は魔道具の力を借りるしかないでしょう」
「そうか。すまないが、可能性があるならどんな手段でも試して欲しい」
「解っております」
その男性は静かに頭を下げ、足早にその場を離れていく。それを見送ったリカルド先生は、深いため息をついた。
先生と主従契約をしたせいなのか、先生の魔力を感じやすくなっている。だから、眼鏡だけで覗き見しているというのに、聞こえてくる声が以前よりずっと明瞭だし――。
「覗き見は好きじゃない」
と、明らかに俺が覗いていることに気づいた先生が、男性の背中を見送りながら小声で呟くのも聞こえた。これも今まではあり得ないことだった。誰にも気づかれたことなかったのに。
「すみません!」
俺の声が聞こえるのかどうかは解らないが、慌ててそう叫んで一度眼鏡を外す。
それからの、二度目の覗き見はラウール殿下たちの様子だ。
二人の部屋は、俺の部屋とは結構離れた場所にあった。
そこはブルーハワイにあてがわれた部屋のようで、居心地悪そうに彼はベッドに座り、そのすぐ傍にある椅子に座っているラウール殿下を困ったように見つめていた。
部屋には二人しかいないようで、随分と静かだ。
「……何があったのか、何となく理解はしました」
どうやら色々説明が終わった後らしい。
ラウール殿下は何故か肩を落として落ち込んでいるようで、乱暴に頭を掻きながら奇妙な呻き声を上げながら椅子から立ち上がった。
「俺は出遅れたんだよ。リヴィアが神具だって誰が気づく?」
「まあ、そうですねえ。普通、神具は人形のように大人しいわけですし」
ラウール殿下はぐるぐると部屋の中を歩き回りながら、あー、とかうー、とか言っていてうざいことこの上ない。
そんな殿下を見てため息をこぼしたブルーハワイは、眉根を寄せて彼にとどめを刺した。
「まあ、予想外だったのはリカルド先生がファルネーゼ王国の王族の一員だったということですよね。そうなったら、国の戦力強化のためにも神具を手放すことはあり得ません」
「……」
そこで、ラウール殿下は恨みがましい目を忠犬に向けた。そして、余計なことを言うのだ。
「お前の家には魔道具が色々あるんだろう?」
「ありますね。変人が造ったのが色々と」
「リヴィアと交換できるような、とんでもないのが眠ってないか?」
そこで、ブルーハワイが白い目でラウール殿下を見つめ直したと思う。そこで諦めればいいのに、ラウール殿下は絶対に引きさがらない。
「……探して見ます」
「頼む」
マジか!
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