第76話 神具は子供を作れる

 その声に驚いて、ラウール殿下がぎくりと身体を強張らせ、淫乱ピンクは軽く五メートル以上遠くに逃げた。遠巻きにこちらを見てくる彼女の表情は、恐怖のそれだ。

「……お前」

 ラウール殿下が肩の上の荷物――ブルーハワイを地面に放り出すか悩んでいるのが丸わかりな表情で、舌打ちした。「あいつはどうした。これは俺の忠犬だぞ?」


 ――いやそこは、もうちょっと言い方ってもんがあるだろうに。


 俺はラウール殿下にもため息をつきつつ、ゆっくりと身体を動かそうとするカフェオレさんを睨む。

「消えたのかと思っていました。まさかこのまま、なんですか?」

『私はただの記憶なのだ。ロレンツィ家の血が濃い者に受け継がれるようにしてあるから、こいつが死ねば別の者へ流れるだけだな』

 そう言った後、彼はラウール殿下の肩の上から滑り落ちるようにして地面に立った。しかし、彼はそのまま地面に膝をついて荒い呼吸を繰り返している。

『あれだけ魔力を吸い取ったというのに、もう無理そうだ。あの呪具がなければ、私は……』

 弱々しい声でそう言った後、神具に対する悪態が続く。その後頭部を殴りたくなるのを我慢する俺。

 ラウール殿下も胡乱な目つきで彼を見下ろしていて、どうしたらいいのか解らないでいるようだ。

 しかしその直後、前のめりでブルーハワイの身体が地面に倒れ込み、意識を失ったように見えた。

 だが、すぐにその目が開かれる。ぎこちない動きで身体を起こした彼は、困惑したように自分の身体を軽く手で叩き、怪我がほとんどないことに驚いたようだった。

「……凄い勢いで落ちたと思ったんですが」

 そう言いながら空を見上げた後、ラウール殿下を見て小さく笑う。「殿下に助けていただいたのでしょうか?」

「お前……」

 ラウール殿下はしばらくの間、目の前にいるのが本当に自分の『忠犬』であるブルーハワイなのか、疑っている視線を向けている。しかし、ふらつく足取りで立ち上がろうとする彼に手を貸しているうちに、少なくとも危険性は低いと判断したようだった。

「まあ、無事でよかった、が」

「それより、一体何があったんですか? ヴィヴィアン様はご無事のようですが、あの……」

 歯切れの悪いラウール殿下を追及するよりも、現状把握が大切だと思ったのか、ブルーハワイは騎士団の連中に運ばれていくオスカル殿下を見て表情を引き締めた。怪我を気遣ってか、その作業はゆっくりと進められている。

「ああ、どうやら無事に終わった。終わったんだよな?」

 ラウール殿下の視線が俺に向けられて、多分終わった、と肩を竦めて見せると安堵の表情が返ってきた。そして少しだけ気持ちに余裕ができたようで、いつもの軽い調子でブルーハワイに訊いた。

「それよりお前、記憶とかに何も異変は感じないのか?」

「え?」

 その問いかけに、ブルーハワイが額に手を置いて眉を顰める。「私の記憶、ですか? あの、どういう意味で」

「お前、ロレンツィ家の跡取りだったよな? 祖先に……あの名前、何だったか」

「カフェオレ、みたいな名前の」

 と、俺が口を挟むと、ブルーハワイが眉間の間に深い皺を刻んだが、すぐに「ああ」と頷いた。

「メルキオーレ・ロレンツィですね? 我が一族の変人という噂の」

「変人」

「変人」

「随分昔のことなのに、彼のことは今でも有名です。奇行は激しかったようですが優秀で、馬鹿と何とかは紙一重と言いますから、そういう類の人間だったのだと思われます。その彼が残した魔道具は色々ありまして、たまにそれが保管庫で勝手に騒ぎ出すという珍事もあり、ものすごく迷惑しています。本当に迷惑しています」

 重要なことだからなのだろうか、ブルーハワイが力を込めて二回言った。

 まあ、その辺はお察しくださいというようなものなのだろう。


「……それだけか?」

 ラウール殿下が顔を顰めて重ねて問うと、やっとそこでブルーハワイも異変を感じたのか首を傾げた。

「それだけですが、それが何かあったのでしょうか」

「いや、そいつの血を受け継いでいるというお前だから、もしかしたらお前も人間を殺して魔道具にしようとか考えたことがあったりとか」

「はあ? 冗談じゃありませんね」

 明らかに嫌悪感を顔に見せたブルーハワイは、ラウール殿下に詰め寄って続けた。「正直、我が家では彼の血を受け継いでいるというのも嫌う人間が多いのです。彼は確かに有名ではありますが、悪名という意味で、です。彼のようにはならないように、というのが一族に言い伝えられているほどですから。彼が早死にしてくれてよかったと誰もが言ってますからね?」

「そうか」

 彼の勢いに思わず後ずさったラウール殿下が、助けを求めるように俺を見たが、とりあえずスルースキル発動。

 俺はそのまま彼らから離れていこうとしたが、すぐにラウール殿下に腕を掴まれた。

「……放してください」

「それより、お前もだ、リヴィア」

「何が、でしょうか」

「何で言わなかった。お前が神具だと」


 つい、俺とラウール殿下は無言で見つめ合う。

 そして。


「……言ったらどうしました?」

「問答無用で俺のモノにした」

 そう言ってから、彼は思いつめたように視線を地面へと移し、ぶつぶつと呟く。「主従契約すれば、文字通り絶対服従だ。何でも俺の言うことを聞いてもらえる。そんなの、手に入れなきゃ駄目だろう」


 ――死ねばいいのに。


「っていうか、おかしくないか? 神具ってのはもっと大人しく、人間に対して従順で」

 そこで、はっとしたように急に俺に視線を戻す彼。

「……喧嘩売ってますか? 買いますけど」

 百円くらいで買ってやるがどうだ、と笑うもラウール殿下はさらに俺の手首を掴む力を強めた。

「せめて、今の婚約は解消して、俺とのことも考え直してくれないか。どうせ、先生はお前を好きで婚約したんじゃないだろ? 神具であるお前を手に入れるための、手管の一つだ。だったら、結婚くらいは他の男と」


「何を馬鹿なことを言っているんだ?」

 そこで、リカルド先生が俺たちの様子に気づいて戻ってきた。俺の手を掴むラウール殿下を振り払い、俺を守るように背後に隠してくれる。

 そっと辺りを見回すと、もう騎士団の連中はオスカル殿下を連れて撤収が始まっていて、次々に召喚獣が空へと飛び立っていく。

 後は俺たちが帰るだけ、という状況だ。

 ヴィヴィアンも騎士団の人間に一緒に行こうと誘われていたようだが、それを断って俺たちの会話を険しい顔で聞いていた。


「何が馬鹿なんだ? 先生は職権乱用ってやつじゃないのか」

 ラウール殿下の不満に満ちた声が響く。「リヴィアを手に入れるために、何をしたんだ? おかしいだろ、こんなの。俺が最初にリヴィアを」

「何を勘違いしているのか知らないが、最初に目を付けたのは私だ」

 ふっ、と笑うリカルド先生の顔は俺の位置からは見えなかったけれど、明らかにラウール殿下を馬鹿にしたものだったのだろう。殿下が厭そうに鼻の上に皺を寄せた。


 しかし、何だか色々誤解を招きそうな言葉遣いである。

 二人は『神具』に目をつけたのは自分だ、と言い合っているんだと思うんだが、明らかに視界の隅に映るヴィヴィアンにはそうは聞こえなかったらしく、俺に近寄ってくると横腹を抓り上げながら笑うのだ。

「男性二人に言い寄られて、いい気にならないでよね? あなたなんかモブのくせに」

 恋愛脳ってやつか?

 相変わらず言うことは同じなんだな、と俺は彼女の手を振り払った。

 俺が転生者だと知られるのも厭だし、とりあえずこう言ってみる。

「モブというのがどんな意味なのか知りませんが、何故、そこまであなたに言われないといけないのでしょうか。とにかく、もう帰りましょう」

「何なのよ、予定が狂いまくりなのよ! あなたは別の人と婚約し直してよ! オスカル殿下にあなたを襲っ……いえ、既成事実を作ってもらって、わたしは――」


 ヴィヴィアンがそう言って、そっと視線をリカルド先生に向けると、そこには冷気を纏う先生の無表情が待っていた。

 ひっ、と小さな悲鳴を上げたヴィヴィアンが、俺の背後に隠れる。本当に、淫乱ピンクはポンコツである。これでヒロイン枠だというのだから、臍以外の場所でも茶が沸く勢いである。


「ヴィヴィアン嬢、私の婚約者に何をしようとした?」

「いえ、あの」

 ヴィヴィアンは怯えながらも、急にその目を輝かせて先生に微笑みかける。「だって、この子は人間じゃないんでしょ? わたしは知らない設定だけど、こんなのと結婚するなんて無茶があるわけですし、先生には他にもっと似合う女性がいると思うんです!」

「ほう?」

 先生の目が眇められ、言葉の先を促した。

「だって、わたし見てましたけど、リヴィアって剣になりましたよね? あんなのと結婚なんて、ダメですよ! おかしいですよ! オスカル殿下がああなってしまった今となっては、先生がもしかしたらファルネーゼ王国の次の国王になるかもしれないわけだし、ほら、後継ぎっていうかぁ……」

 可愛らしい仕草で、どんどんとんでもないことを口にする淫乱ピンク、先生がどんな目で自分を見ているのかも解っていないようだ。

「その点、わたしだったら結婚しても――」


「何を勘違いしているのか解らないが、神具は子供を作れる肉体を持っている。君が心配しなくてもいい」

「え?」

「え?」

 俺と淫乱ピンクの声が重なった。

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