第75話 話し合う必要がある
ラウール殿下の鋭い叫び声も聞こえる中で、俺の意識がゆっくりと曖昧になっていった。
今の俺には肉体と呼べるものはない。それなのに、剣先から流れ込んでくるものが熱くて気が狂いそうだった。
――喰い尽くせ。喰い尽くせ。
そんな声が響く。だから、目の前にある『何か』を喰う。飲み込む。嚥下する感覚。
その熱は呪具そのものだったのだろう。神具である俺は、ブルーハワイの中にあった呪具を飲み込んだのだ。そしてその力を吸収し、体内で撹拌し、俺のものとする。
すると、俺の中の何かが喜んだ。
それはおそらく、あの短剣だ。失った身体の一部を吸収し、黒々としたものを祓いつつ受け入れていくと、短剣の中の意識は満足し、安堵しているように思えた。
祓う。多分、そうだ。
浄化していく。それは確かに、『神』の力だったのかもしれない。
そして気が付くと、俺の目の前――リカルド先生が見下ろした先に、ブルーハワイが意識を失って地面に倒れているのが解る。
急激に、辺りに広まっていた魔力の渦が消えていく。
上空に張り巡らされた結界のようなものも、今はもうない。
それに気が付いた魔法騎士団の連中も、次々と地面へと降り立つ。騒々しくなる空間。
「嘘だろ、おい」
ラウール殿下がブルーハワイ――オル何とかさんの傍に膝を突き、その青白い頬を叩く。そして、剣で刺された胸に血が出ていないこと、さらに服すらも破れていないことに驚いて困惑した。
ちなみに、俺も困惑している。
確かにリカルド先生は彼の胸を突いたと思う。
「おそらく、呪具だけを破壊したのだと思う」
先生はラウール殿下の表情を見て、躊躇いつつもそう口を開く。彼も確証はないらしく、自信はなさそうだ。
「呪具だけを?」
眉を顰めたラウール殿下が、意識を失ったままのブルーハワイを観察する。召喚獣から落ちたことによる怪我はそこら中にあり、出血もしていた。それでも呼吸は安定している。
しかしその腕にも、身体の他のところにも呪具らしきものは見当たらない。
あの圧倒的なまでの魔力の塊は、今は完全に消えてしまっているのだ。それが解ったのか、彼は気の抜けたような笑みを浮かべた。
「何だったんだよ、本当に。説明してもらえるのか」
ラウール殿下が肩を揺らしつつそう呟くと、リカルド先生は複雑そうな表情で言う。
「私も完全には理解できていないんだがな」
「それでも」
殿下が恨みがましい目つきでリカルド先生を見上げ、噛みつくように続けた。「色々説明できるんだろ!? 何だよ神具って! どうしてリヴィアが神具なんだ!? っていうかリヴィアはどこだよ!」
そこで自然と、リカルド先生とラウール殿下の視線が、先生の手の中にある剣に向けられた。
そして、僅かな沈黙。
――ところで。
俺はふと、不安になった。
――俺、ずっとこのままなんだろうか。剣の姿のまま、これから先……?
「主が命じる。人間の姿に戻れ」
リカルド先生が短く言うと、俺の身体が一気に膨れ上がって元の少女へと変貌した。気が付けば俺は地面に座り込んでいて、リカルド先生を見上げる。
よかった。本当によかった。
俺は思わず、ガッツポーズを決める。剣のままどこかに安置されるとか絶対に厭だったし、元に戻れて本当によかった!
そして辺りを見回せば、俺たちをぐるりと取り囲むように騎士団の連中も集まり始めていて、何が起きたのかと誰もが辺りを見回しながら状況を把握しようと必死だった。そして、リカルド先生の作り出した魔法で守られているオスカル殿下とヴィヴィアンを見て、それぞれ声を上げたのだ。
「殿下! ご無事で!?」
「一体何があったのですか!?」
俺がゆっくり立ち上がって、自分の身体に異変がないか確認している間に、騎士団の代表みたいな年配の男性が、リカルド先生に歩み寄ってくる。
そして先生はその騎士と一緒にオスカル殿下に近づき、防御魔法を解いた。
俺がこっそりその様子を窺うと、リカルド先生は苦渋に満ちた顔でオスカル殿下を見下ろし、その場に膝をついて額に触れたのが見える。
するとオスカル殿下の瞼が微かに震え、その目が開かれた。酷く疲れたような表情で、ただ上空を見上げるように瞳が動いた後。
「……兄さん?」
彼は苦し気にリカルド先生を見た。
おそらく、力が入らずに動かせないのだろう、震える手で必死に身体を起こそうとするが、喉の奥から息が漏れるだけだ。
「後で話そう」
オスカル殿下の胸を軽く押しとどめ、無理をするなと態度で示す。しかし、そう言われた彼はのろのろと首を横に振った。
「話すことなど、ありません。兄さんだって話したくないでしょう?」
「そんなことはない」
「それに、僕は話したくありませんから」
オスカル殿下は視線を先生から外し、唇を噛んで彼を拒否する姿勢を見せた。
「それでも、私たちは話し合う必要がある。きっと長い話になるだろう。だから、今は大人しく休んでいてくれ」
リカルド先生の声は優しい。ぎこちないながらもその口元には笑みが浮かび、その手でオスカル殿下の乱れた髪を直す。すると、オスカル殿下が苦しそうに嗚咽を漏らした。
「俺たちも話し合う必要がある」
いつの間にか俺の前に、ラウール殿下が立っている。
さすが身体を鍛えているだけあって、ブルーハワイを軽々と肩に担いだ状態で俺を見下ろしていた。
「神具ってどういうことだ」
「そういうことです」
俺は短く返し、へらりと笑って見せた。とりあえず笑って誤魔化す作戦である。
「どういうことなのよ」
そこに、やっと我に返ったらしいヴィヴィアンもこちらに近寄ってきて、軽く俺を睨みつける。さっきまでショックを受けて動けなかったというのに、立ち直りが早い。さすが淫乱ピンク、転んでもただでは起きないのだろう。
「あなたの方が解っているべきだったのでは」
俺はそんな彼女にも笑いかける。「わたしよりずっと、この世界について詳しいのではないですか?」
「それはそうだけど!」
ヴィヴィアンはそこで顔をくしゃりと歪め、俺の腕を掴んで引き寄せた。「あなた、言ったじゃない? わたしが主人公じゃないって。あなたこそ、知ってるんじゃないの? 何なの、この世界は一体何なのよ?」
彼女は俺の耳元で低く囁いている。
必死な響きだ。
「わたし、一体どうなっちゃうの? ねえ、今のわたし、魔力がほとんどないのよ……」
そう言えば、淫乱ピンクもオスカル殿下も魔力が随分と呪具に奪われてしまったままだ。
その呪具は俺が『喰って』しまって、その魔力ごと俺の身体に取り込んでしまった。だから、返せない――かもしれない。
というか、俺自体が随分と強化されてしまっているのを感じていた。さすがヒロインの魔力を喰っただけのことはあるな。
まあ、若干後ろめたさを感じるけども。
「魔力がなくても、生きていける世界ですよね?」
俺は騎士団の連中を見ながらそう言ってみる。魔法騎士団の人間は誰もが大きな魔力をその肉体に秘めているが、魔法騎士ではない普通の騎士たちは、剣技だけで王城に務めているはずだ。
ということは、別に魔法が使えなくても大丈夫な世界、だと思うんだが。
「魔法が使えなかったら、わたしの存在価値はないでしょ? あなた、馬鹿なの?」
「もうちょっと言い方を考えてください」
俺は顔芸で『馬鹿』という言葉に不快感を示した後、そっと肩を竦めた。「あなたは顔だけは可愛いんですから、魔力がなくても男性に守ってもらえますよ」
「顔だけはって何!?」
いきなり胸倉をつかまれて揺らされる俺。
結構、淫乱ピンクは乱暴だ。
「後、性格は直した方がいいです。千年の恋も冷める勢いですよ」
「失礼ね!」
がくがくと揺らされつつも、俺は視線をラウール殿下の方の上へ向けた。意識を失っているブルーハワイだが、こちらは魔力は以前と同じくらい感じ取れる。つまり、奪われてしまったのは淫乱ピンクとオスカル殿下だけ、か。
「魔力は……そのうち、戻ったりしないんですかね?」
俺は誰に訊くともなしにそう呟く。
ラウール殿下がその声に反応して、困ったように笑う。
「戻らないと困ったことになるだろうな。魔法が使えないってことは、学園にもいられない」
「ちょっと! 厭よそんなの!」
「世の中、魔法学園だけが全てじゃないでしょうし……」
「ゲームじゃ学園が舞台なのよ!? あり得ないってば!」
俺たちがそんなことを言い合っていると、ラウール殿下の肩の上で呻き声が響く。どうやらブルーハワイが意識を取り戻したようで、目を開いて自分の状況を確認しようと視線を動かして、俺の姿を見た。
『やはり、神具には敵わないのか』
唇が動いて吐き出されたのは、カフェオレさんの声だった。
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