第74話 主従契約

「何?」

 先生は目を見開いて短く言う。

 そうしている間にも、ブルーハワイの身体を乗っ取ったカフェオレさんは、腰に下げていた剣を抜いて俺に襲い掛かってくる。

 それを、ケルベロス君が飛び掛かって阻止するも、彼の剣は素早く巨大な使役獣の前足を切り裂いた。


『邪魔だ!』

 激高した敵は、攻撃にも容赦がない。前足を怪我して動きの鈍くなったケルベロス君を追いつめようと剣を振るう。

「先生、躊躇っている時間はありません。わたしはおそらく、今のままでは彼に勝てません。せいぜい、相打ちがいいところでしょう」

「おい、ちょっと待て! 説明!」

 背後からラウール殿下の声が飛んでくるが、無視した。

「わたしはよく解りませんが、誰かを主にすれば、もっと強くなれるという認識で間違いがないのなら、ぜひお願いします」

「おい、リヴィア!」


「神具は人間ではないんだ、リヴィア」

 リカルド先生は一瞬だけ視線を彼の弟に落とす。治療魔法が効いているようで、意識はないもののその胸は上下している。血だらけなのには変わりないが、呼吸もしっかりしているようだ。

 ただし、ほとんどの力を呪具に奪われてしまったのか、その身体に残る魔力は微かにしか感じられない。

「人間ではないことは解ってますが――」

「主従契約をすれば、お前は私に使役される立場になる。その際、お前は人型を取ってはいられない。それでも」

「いいですよ、そのくらい」

「……そうか」


 リカルド先生は立ち上がり、俺を見下ろした。


「ちょっと待て! 神具って神具か!? リヴィアが!? だったら俺だって!」


 ケルベロス君の咆哮、カフェオレさんが戦っている音、地響きも続く。


 リカルド先生は魔法書を左手の上に出し、右手を俺の額に置いて何事か呟いた。

 その途端、俺たち二人の足元に広がった魔方陣の輝きと、さらに足元から這い上がってくる魔力の渦。全身が微量の電気を流されているかのような感覚と、血が逆流でもしているのかと思えるくらいの熱が体内に渦巻いていく。


「我は汝と契約する」

 リカルド先生の声が酷く遠くに感じる。

 触れられた額が熱い。

「至高にして唯一、ダルクヴィニア神の加護を賜りてここに命令す。我の命令に従い、我の命令を遂行せよ。神を称え、全ての精霊の声を聞け。我が求めに応じて従順なれ、神聖なる力をもって我に応えよ」

 彼の言葉が俺の中を侵食していくのが解る。

 服従しなくてはいけない、目の前の人間のために全てを捨てろ、という意識が同時に生まれる。

「契約はここに結ばれる。真実の姿を見せよ、神の力を示せ」

 その言葉の後に、俺には理解できない言葉の羅列が続いた。

 何の呪文だ、と疑問を感じたのは一瞬。


 意識が飛んだ。


 ――冗談だろ!?


 と、俺の中で叫んでいるのはリヴィアだった名残。元々の人格。それが、誰かに服従することを必死に拒もうとしている。

 だが、俺はそれを抑え込む。

 だって、今は俺がリヴィアであり、俺が神具なんだから。

 身体が変化していくこと、人間の形を失うことを受け入れる。


 剣の形となった今の俺には目がないはずだ。それなのに、周りが鮮明に見える。耳もないのに何もかもはっきりと聞こえる。体温もないはずなのに、どこかが熱い。

 攻撃せよ、と俺の本能が叫ぶ。

 意識と思考、その差は解らない。俺が俺であるということは、俺の個としての自我が存在しているということ。

 それなのに、今はどうでもよかった。

 俺の力は、今は誰か他の者に――リカルド先生に委ねられていることを本能で知っている。先生の魔力に、神具としての俺の魔力も乗せる。それだけで、凄い化学反応が起きているかのように、魔力が爆発するのだ。

 それはとても――心地よかった。

 今までに感じたどんな快楽よりも、鮮烈で刺激的だ。


「弟を傷つけた責任を問おう」

 リカルド先生が攻撃魔法を放ち、それが爆発する。

『……面白い』

 カフェオレさんはそう言って先生の攻撃を避けるが、その声には僅かに苛立ちが含まれている。

 意識を集中すれば、俺にも視界が開けてくる。何が起きているのか見える。

 傷だらけになったケルベロス君は離れた場所で荒い息を吐いていて、ラウール殿下もヴィヴィアンとオスカル殿下を守るために後ろに下がっている。

 先生は攻撃魔法の次に、風の魔法の応用である飛翔の魔法を展開させる。その跳躍は、しなやかな獣を思わせるほどだ。


 俺はただ、彼に自分の力を流すだけでいい。

 それだけで、先生の魔力が膨れ上がる。


 本当はちょっとだけ、自分が人間の姿を取れなくなることは不安はあった。でも、今は不思議なまでにどうでもいい。

 今の俺はただの剣だ。

 狂える剣、と呼ばれたモノだ。

 俺は人間じゃない。それが誇らしいとも思うのは、おかしいんだろうか。


 リカルド先生の右手は、一振りの剣がある。神具というに相応しい、圧倒的な力を持つ剣だ。その辺りに転がっている魔道具なんか、その存在感だけで吹き飛ばすくらいの魔力を秘めた武器。

 それこそ、目の前にある呪具すらも霞んでしまうほどの。


『神具とは凄いものなのだな』

 攻撃を避け、いつの間にか近くの大木の上の枝に飛び乗った彼は、どこか呆れたようにリカルド先生を見下ろした。

 しかし、先生は俺を――神具を軽く横に薙いだだけで、その大木を切り倒してしまう。木の幹がまるでバターのようだ、と俺は頭のどこかで考える。

『全く、呆れたものだ。だからこそ、喰いたいぞ』

 地面に飛び降りた彼は、その唇を歪めて嗤う。『その力、私のものとするために!』

「なるほど、主持ちの神具を甘く見ているのだな」

 リカルド先生の声は静かで、それでいて熱を感じる。怒りなんだろう、敵を滅するための確固たる意志がそこにはあって、相手もそれに気づいている。

『甘くなど見てはいない』

「一体、お前は何を求めていたんだ」

『……何?』

「魔道具は確かに便利だ。人間はそうやって利便性を求めてきた。だが、お前はその制作に執着しすぎなのではないか」

『凡人には理解できまい』

 カフェオレさんは明らかに格下の人間に対するようにして嘲笑う。しかし、笑われても先生は気にした様子もなく、その表情は冷たく冷静だ。

「凡人だろうがそうでなかろうが、魔道具というのは所詮は道具だと解るだろう? 道具は人間にいいように使われるだけだ」


 ――耳が痛いです、先生。


『凡人が凡人である理由がそれだ。魔道具もこの呪具も、素晴らしい力を持っている。お前こそ理解していないのだ』

「多少は理解しているぞ? お前が考えていたことは」

 ふと、先生の口元が憐れんだように笑みの形を作る。「神具を造ったのは神だ。そしてお前は、神具を真似た呪具を造ることで、神に近づきたかった。そうなのではないか? つまり、お前は神の真似事をしたかった、ただの矮小な人間に過ぎない」

 その言葉を受けて、カフェオレさんの眉が顰められる。笑い飛ばすことのできない言葉だったのだろうか?

「だが、お前は呪具というものを造っても、『これ』のように人格を与えることはできなかった。仕方ないだろうな、お前は神ではないから、できないことは無数にある」

『ほう?』

 余裕を演じて見せたカフェオレさんも、僅かにその演技が崩れている。

「お前が何年前――何百年前から存在しているのかは解らないが、お前が残せた魔道具も呪具も、他人から魔力を奪わねば力を発揮できないガラクタに過ぎない。それがお前の限界だ」

『ガラクタだと? それを言うなら――』

「神具は完全なる無から創り出されたと言われている。しかし、お前は命を奪うことで呪具を造る。そうしないと造れない。この差は大きすぎるのだ」

『馬鹿馬鹿しいことを言う』

 ふ、と鼻から息を吐き出した彼は、さらにリカルド先生に向けて何か言おうとした。しかし、その前に先生が言葉を続けた。

「だが、こんな話をしていても無意味だろう。どちらにせよ、お前はただの『記憶』なのだろう? 命を持たない、過去の残滓だ。そんな小さな存在が、呪具や神具を手に入れようなどとは烏滸がましいと知るがいい」

 その言葉の後、先生は俺に魔力を集め始めた。その上から攻撃魔法を神具に乗せると、その危険性に気づいたのかラウール殿下が遠くから叫んだ。

「俺の忠犬を殺すのか!? そいつは……オルフェリオは俺が子供の時から――」


 忠犬とか言って、無茶苦茶な扱いしている割には、ラウール殿下は部下のことを大切にしているらしい。苦し気な必死な響きに、リカルド先生は一瞬だけ動きをとめた。本当に、一瞬だけ。


「所詮、呪具というのは神具を真似た紛い物だ。お前は私の持つ『これ』を超えられない。その証拠を見せよう」

 リカルド先生がそう言って、俺を、『これ』と呼んだ神具を突き出した。

 カフェオレさんは抵抗しようと身体を捻ったが、その動きは何故か鈍かった。


 まるで、先生のさっきの言葉が毒であったかのように、その毒が侵食して衰えていくように、それまでの精彩さを欠いている彼。

 彼は自分の身体を庇うように両手で自分の胸と顔を覆う。そして、リカルド先生の操る剣は、酷くあっさりと、本当に簡単に彼の腕の隙間を突いたのだった。


「人間は諦めるということを知っている。抵抗をやめたその時点で、お前は人間であることを超えられなかった。そういうことだ」

 そう先生が言った直後、呪具の断末魔の叫びが響いた。

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