第73話 最初の仕事を始めようか

「ロレンツィ……?」

 そう驚いたように声を上げたのはラウール殿下で、いつでも剣を振れるような警戒態勢のまま、困惑した視線を近くの木の陰へと投げる。そこには意識を失ったままのブルーハワイの姿があって、それを見るとすぐに視線を戻す。

「お前、ロレンツィ家の人間か?」

『正確に言えば、祖先に当たるな』

 オスカル殿下はラウール殿下の目を見つめ、軋んだ笑い声を上げた。『我がロレンツィ家はシャオラ王家に貢献したぞ? 偉大なる魔導士として、魔道具も――呪具も造ってやった! そのお蔭で、お前ら王家の人間は他国への戦争に勝ち、繁栄してきた。さあ、感謝しろ』

「感謝? 祖先だと?」

『ただし、私は直系の人間ではない。私はな、ただの平民だった。平民から成り上がるためには、貴族の娘に取り入って婚姻関係を結ぶのが一番近道だ』

「貴族の娘……。ロレンツィ家の娘、か」

 ラウール殿下が剣を握り直し、皮肉気に笑い続けるオスカル殿下に一歩近寄った。

 二人の間に緊張感が走るのを確認して、俺はそっとリカルド先生に目をやった。同時に彼も俺を見て、微かに指先で合図を送る。

 俺は先生に促されるまま、ケルベロス君ごとじりじりと後ずさる。そして、ケルベロス君の背中から静かに降り、リカルド先生の近くに寄って首を傾げた。すると、俺に聞こえる程度の本当に微かな声で先生が訊いてきた。

「……お前は知らないのか? オルフェリオ・ロレンツィ、あの少年の名だ」

「オル……」

 また長い名前だな、覚えられねえ。

 俺はそっとブルーハワイへ目をやった。倒れたままの青い髪の少年。忠犬と呼ばれていた、ちょっと可哀想な感じの――。

 俺が勝手にブルーハワイと呼んでいただけで、名前は聞くタイミングがなかった。


 そして唐突に思うのだ。


 ここがゲームの世界なら。

 主人公があのピンク頭の残念な美少女なら。


 あの無駄に派手な青い頭のブルーハワイも、『特殊なキャラクターだったから』そういう髪の毛の色をしていたのかもしれない。ラウール殿下の付属品みたいな感じに俺は捉えていたが、実はブルーハワイには大きな役割を課せられていた? だから目立つ特徴を与えられていた?

 役割、そう――。

 つまり、ラスボス的な。


 マジかよ。普通、そんなん思いつかねーよ。

 青い馬、死の象徴。あれは予兆だったんだろうか。

 もっと早くに、地球上には存在しない特殊な色を持つブルーハワイに違和感を覚えていれば、何か変わっただろうか。


 まあ今更、そんなことを考えても遅いけども。


「その祖先とやらが、俺の忠犬に何をしやがった? 操っていたとでも? 一体、お前は何なんだ!?」

 俺たちの視線の先で、ありがたいことにラウール殿下が俺たちの疑問を解き明かしてくれるべく、言葉を投げつけている。

 オスカル殿下はラウール殿下に近寄るために、足を踏み出す。額から、指先から、血が滴り落ちる。

 異様な圧に負け、さすがのラウール殿下も間合いを取って後ずさった。

『私はメルキオーレ・ロレンツィの記憶だ』

「記憶?」

『気になったのだ。私が造りだしたこの呪具が、長い時間をかけてどのように育っていくのか』

「意味が解らん」

『私は死ぬ前に、自分の肉体から魂が抜き取ることができるか試してみた。そして試行錯誤の末、記憶の一部を私の血族に呪いとして残した』

「呪い?」

『だから私は、昔ほど力は持たん。せっかく一族に与えたこの呪具も、愚かな一族の男が王家につながる貴族の家に献上してしまって、それをとめる力も持っていなかったのだ。これを手放すなど、本当に馬鹿なことをしたものだ。これは、私が造りだした傑作であったのに!』

 そう叫びながら、血で汚れた腕輪を撫でる。かたかたと震えながらの笑い方がヤバい。ちょっとイってしまっている感じ。


「……グラマンティにいたのですか」

 そこで、俺は会話に割り込んだ。「あなたは以前、グラマンティの生徒として魔道具を造っていたと?」

『ふむ』

 そこで、彼は俺の存在を思い出して顔をこちらに向けた。水を差されて冷静になったのか、少しだけ彼の表情に理性の色が戻った。

『その通り。あの学園は、昔はもっと自由だった。規律なんてものもほとんどなく、生徒が自由に研究し、能力を高めることができた。しかし、今の学園はつまらんな』

「そしてグラマンティで、ある女の子を……」

『ああ、知っているのか』

 彼はそこで恐ろしいまでに優しく笑った。『あれはとてもいい素材になってくれた』


 ――ああ、殺そう。

 そう思った。


 俺は右手の剣を握り直す。魔力を今まで以上に込める。

 すると、水蒸気が上がるような音と共に白い光を放ち始めた。


『お前が持っているそれも、私が造ったのだ。素晴らしいだろう?』

「そのために、女の子を殺したのですね」

 俺の声が限りなく冷えたと思う。

 恋がしたかった、と言った彼女の言葉を思い出したから。

『女というのは、騙すのが簡単なのだ』


 ――くそが。

 俺の口は悪態をつけない。だから、顔芸で軽蔑を示す。

 しかし、目の前の男は何も感じないようだった。


『奇跡だと思ったよ。学園で私の造った呪具をつけた子供を見た時は、心臓が震えた。やっと戻ってきた。やっと取り返せる。どう巡り巡ったのか、この呪具はたくさんの人間の血肉を喰い、魔力をため込んでいた。素晴らしい、素晴らしいよ』

「馬鹿馬鹿しいことですね」

 俺はそこで剣を構え、一気に踏み込んだ。

 人間では出せない速度で、彼の左手首を狙い、突く。

『早く取り戻したかったが、まだ力が足りなかった。だから、この子の魔力も吸い、あの娘の魔力も吸い尽くした。そしてもう、充分なのだ』

 彼は俺の攻撃を避ける。それでも、少し動いただけで血の霧が舞い踊った。

「何が充分なんですか」

 血の煙をかいくぐり、さらに俺は彼の胸元に飛び込んで剣を薙ぐ。彼の身体が軋む音を立てつつ、捩じれ、回転し、飛び退る。

『完全に、その子供の意識を乗っ取るまでの力として、充分だ』


 俺の舌打ちと、カフェオレさんの哄笑。

 唸る剣、切り裂かれる風。

 リカルド先生の鋭い声と、ラウール殿下の混乱した魔力。


 がちん、と火花が散った。

 俺の剣先が、僅かに呪具にぶつかった音だ。

 その途端、お互いの魔力が反発し合った感覚が伝わってきて、腕が痺れる。

 反発したというか、おそらく、自衛反応みたいなものだろうか。あの幽霊の肉体の一部で造られた呪具と剣が、咄嗟に『逃げた』気がした。


 しかし、オスカル殿下に異変が起きる。

 俺が感じている腕の痺れ、それと同じものを彼も感じているのか、ぎこちない動きで左手を庇う。そして、その場に力尽きたように膝をついて、前のめりで倒れる。

 それから一瞬遅れて、地面に赤黒い血がじわじわと染み込んでいく。


「オスカル!」

 リカルド先生が倒れた彼に近づき、右手の前に魔法を展開させた。色々と複雑な構成の魔法で、防御魔法だったり治療魔法だったり、俺が読み取れるのはそこまで。

 先生は血だらけの少年の身体を起こし、その視線を近くの地面へと向けた。

 焼け焦げた地面の下に、黒い蛇のようなものが泳ぐのが見える。

 そして気づけば、オスカル殿下の左腕には呪具がなくて。

 黒い蛇がブルーハワイへと伸びた。


「くそったれ!」

 ラウール殿下がその蛇の行先、ブルーハワイへと駆け寄ったが、その手が届く直前にカフェオレさんの快哉の叫びが上がるのだ。

『やっと、自由に動く!』

 ゆらりと立ち上がったブルーハワイは、今まで見たことのない表情でラウール殿下を嘲笑っていた。その両腕を広げ、手の動きを確認し、さらに嬉しそうに天を仰ぐ。

『さて、最初の仕事を始めようか』

 彼はそう言って、黒く染まった瞳を俺に向けた。

「最初の仕事?」

『そう、お前を……神具を喰うのだ』

「何を言うんですか?」

 自然と俺の口に笑みが浮かんだ。


 神具は俺が喰った。

 だから、俺がここにいる。

 リヴィアの身体の中にいるのは、俺の意識の方が強い。


 それに、そう簡単にやられてたまるかよ。

 決まってんだよ、小説やアニメでの転生者は大体、チート持ちなんだ。負けることなどあり得ないんだ。そう信じるぜ、俺! どんな手を使ってでも、諦めねえからな!


「神具……?」

 ラウール殿下が驚いたように俺とブルーハワイの顔を見やるが、気にしない。

 リカルド先生の魔法に守られて地面に座り込んでいるヴィヴィアンも、どこか茫然とこの成り行きを見守っているが、それも気にしない。

 それより俺は、オスカル殿下に治療魔法のために地面に膝を突いたままのリカルド先生に笑いかけ、こう言った。


「先生、今すぐ、わたしの主になってくれますか?」

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