第72話 呪具に名前を訊くのか?

「リヴィア!」

 リカルド先生のその叫び声に、俺は一瞬だけそちらに視線を向けた。

「ヴィヴィアン様をお願いします!」

 どこか懊悩を見せる彼にそう叫び返して、俺はケルベロス君に手でぽんぽんと合図をする。その途端、巨大な使役獣は地面を蹴ってオスカル殿下に飛び掛かる。

 小柄なその少年の身体は横に回転するように避けた。しかし、オスカル殿下の肉体は、あらゆるところから出血を始めていて、動きも鈍くなってきている。

 これならいける、と思ったが、敵もこの状況に甘んじるつもりはないらしい。

 彼はふと視線を上空に上げる。

 俺も彼の視線の先を追って見上げると、木々の生い茂った葉の向こう側にぐるぐると旋回するラウール殿下とブルーハワイの召喚獣の姿が見えた。どうやら降りる場所を探しているようだ。

 さらに、ファルネーゼ王国の魔法騎士団の召喚獣も集まってきているせいで、太陽の光が遮られる。無理やり降りてこようとしている人間もいて、木々が召喚獣――ドラゴンたちの翼から巻き起こされる風圧で揺れた。


 ――彼らをここに呼ぶべきか?


 そんなことを考え、俺は唇を噛んだ。

 だが、その答えを出す前にラウール殿下の乗っている白いドラゴンがあらゆる木々をなぎ倒しながら地面に落ちてきた。


 そう、落ちてきたのだ。

 オスカル殿下の奇妙な魔力に寄って、引きずられたと言っていいのだろう。

 それに続いて、少し離れた場所にブルーハワイの乗った青いドラゴンも地面に叩きつけられる。

 ラウール殿下の呻き声と、「くそ!」という悪態が聞こえてきて、少しだけほっとする。

「おい! 忠犬!」

 頭を打ったのか、こめかみを赤く染めたラウール殿下がドラゴンから滑り落ちるようにして地面に着地するが、その彼の声に対するブルーハワイの返事は聞こえなかった。


『そちらが使役獣なら、こちらは召喚獣を借りよう』

 と、オスカル殿下の掠れた声が響き、俺は我に返る。

 ブルーハワイの乗っていた青いドラゴンは、地面の上で急に苦痛の雄たけびを上げた。ドラゴンの額には、召喚獣として呼び出された証としてブルーハワイが刻んだ小さな魔方陣が見える。しかし、それはガラスが割れるような音の後に破壊され、新たな魔方陣がそこに現れる。黒い靄がかかった、禍々しい魔方陣。

 そして、軽く身震いをさせたドラゴンの背から、意識を失ったブルーハワイが振り落とされる。

「こんな時に、おい!」

 ラウール殿下がブルーハワイに駆け寄り、乱暴に抱え起こすとその頬を叩いて意識を取り戻させようとした。


『さて、暴れてもらおう』

 オスカル殿下が酷く楽し気に呟くと、青いドラゴンは地面の上に後ろ足二本で立ち、咆哮を上げつつ巨大な口から炎を吐き出した。


 ――マジかよ!?


 俺は防御魔法を展開させる。俺とラウール殿下、ブルーハワイの周りに防御壁を作った。

 リカルド先生は俺よりも早く、自分とヴィヴィアンを守るための防御壁を作り出している。さらに、森に燃え広がろうとする火を魔法で消していった。


『上の連中は邪魔だ』

 オスカル殿下はさらに左手を高く上げ、魔力を放出させた。

 すると、俺たちがいるところを取り囲むように、巨大な球体の黒いドームが出来上がる。その一面にあの奇妙な文字列が蠢き、ちょっと気持ち悪い。

 いや、っていうかこれ、援軍が入ってこれないヤツ!

 上空で、ラウール殿下たちがなぎ倒した木々の合間を狙い、こちらに降りようとしてきた騎士団の連中がその黒い壁に激突して跳ね飛ばされるのも見えた。


 ――いや、それともこの方が安全か?


 俺は自分の周りにある防御壁を解除すると、ケルベロス君に合図して暴れ回るドラゴンに向かって突撃を開始する。可哀想だが、眠ってもらわないとどうにもならない。

 ドラゴンの額を狙って攻撃するも、暴れまくるドラゴンの翼を避けつつではなかなか当たらない。

「どういうことだ! 説明しろ!」

 ラウール殿下がブルーハワイを近くの木の陰に引きずっていき、そこに寝かせる。そして、剣を抜いて俺の傍にまで駆け寄ってきた。ドラゴンを避けつつだから、結構動きは機敏だ。さすが魔法騎士科。

 

 さらに、リカルド先生もヴィヴィアンに強力な防御壁を重ねがけし、剣を手に歩いてくる。彼は悠然と歩いているだけなのに、ドラゴンの攻撃が当たりそうになるたびに滑るように横に避ける。さすが教師。

 彼は悩んだような表情は変わらないものの、決意のようなものもその双眸に浮かんでいる。

「弟の始末は私がつけなくてはならない。できれば下がっていてくれ」

「できないです」

「そうか」

 先生の言葉は短く、すぐに彼は地面を軽く蹴って前へ出る。あっという間に展開される攻撃魔法。

 煙幕、爆炎。

 右手に握られた剣は魔力の炎を纏い、軽く振っただけで風を切り裂いてドラゴンを襲い、巨大な翼を引き裂いた。

 やるねえ、さすが教師。


「惜しいな、浅い」

 ラウール殿下はそう言って、リカルド先生の背後から跳躍する。魔法の力も借りて、俺と同じくらいの高度を舞い、大剣を軽々と振りかざす。その一閃は速く、重い。

 ドラゴンの頭上から顎先までを叩き割り、血飛沫をまき散らしながらドラゴンはさらに暴れた。だがそれは最後の足掻きのようだ。ゆっくりとその動きが鈍くなっていく。


 ――あれ、俺の見せ場は?


 俺は小さく舌打ちしてから、ドラゴンはあの二人に任せて大丈夫と見越して、身体を左右に揺らしながら立っているオスカル殿下へと向かう。

 ケルベロス君の動きも速い。

 それでも、敵はさらに上を行くのだ。


 少しずつオスカル殿下の身体は限界に近づいているだろうに、俺の攻撃をやすやすと躱す。笑う。挑発する。

 すげえムカつく。


 本当にこの世界がゲームなら。淫乱ピンクがこのシナリオを知っていたら、敵を倒すのは簡単だったのかもしれない。

 しかし、誰も知らないシナリオ、展開なのだ。

 だから、必死にやるしかない。

 唸り続ける俺の剣を少年に向かって突き出し、避けられる。

 リカルド先生も俺に続いてオスカル殿下に攻撃を仕掛ける。それも避けられる。

 ラウール殿下もまた同じだ。

 三対一だというのに、とても優位に立っているとは言い難い。それどころか、太刀打ちできないような気さえする。


「殿下! ……オスカル、目を覚ませ!」

 呪具に操られて意識を失っているオスカル殿下に届けと、リカルド先生の叫び声が響く。先生の攻撃に僅かな躊躇いがあるのは俺にも見て取れる。攻撃魔法も加減しているのも解る。

 それは仕方ない。

 何だかんだ言ったとしても、彼らは兄弟なのだから。


 ――俺は自分の弟を救えなかった。それどころか、あれは完全な敗北だった。


 俺よりも先にオスカル殿下を攻撃し、声をかけ、何とか意識を取り戻させようとする先生の後姿を見ると心のどこかが痛む。

 俺が前世でできなかったことを、先生はやっている。

 だから、応援したい気持ちもある。オスカル殿下を呪具ごと殺すのではなく、何とか殿下を助けたいと思う。

 どうすれば呪具をオスカル殿下から引き剥がせるだろう。呪具だけを壊す魔法はないんだろうか。


『愚かだな』

 俺たち全員の攻撃を躱した少年は、ただ呆れたように笑った。そして、何か言いたげに俺を見たと思う。しかし、それ以上何も言わなかったから俺から口を開く。

「人間は失敗する生き物なんです。仕方ないんですよ」

『お前は人間のことをよく解っているかのように言う。まるで』

「心は人間ですから」

『心は?』


 そう言った後に感じた違和感。戦うことに夢中だったから、疑問に思うことも忘れていた。

 俺――神具には人格がない。

 それならば、呪具にも人格はないのでは?

 では、俺が話をしている目の前の彼は誰の人格だ? オスカル殿下ではないだろう。それなら?


「あなたは誰ですか?」

 つい、そう訊いた。

 すると、少しだけ彼は驚いたようだった。

『呪具に名前を訊くのか?』

「わたしにも名前がありますから」

『ああ、なるほど』

 彼は肩を揺らし、数歩下がった。戦闘態勢を解いて、気の抜けたような声で続ける。

『私の名前はメルキオーレ・ロレンツィ』

「……んー」

 俺の日本人の意識が強い頭では、覚えにくいし長い。っていうか、カフェオレみたいな名前しやがって。という、彼にとっては理不尽であろう感想を抱く。

 カフェオレさんはじわじわと流れ出る血で汚れた唇を左手で拭い、汚れた呪具を俺に見せつけた。

『この呪具を造った人間だ』

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