第70話 やっと来た俺の見せ場

「お前、弟の居場所の正確な位置は解るか?」

 リカルド先生が殿下たちに聞こえないよう、そっと俺の耳の傍で囁く。

 俺の腰の辺りでは、相変わらず短剣が騒々しい。柄に触れて俺の魔力を込めると、さらに『敵を倒せ』と叫び出した。

 ――こいつ、自己主張激しいな。

 オスカル殿下の居場所なら多分、こいつが導いてくれるはずだ。

「幽霊からもらった敵探知機は優秀みたいです」

 そう囁き返し、俺がまたリカルド先生の呼び出したドラゴンの背に乗ろうとすると、背後から慌てたような声が飛んできた。

「ちょっと待て! 俺も行くからな!?」

「まあ、ここまできて留守番はないですよね……」

 振り向くと、ラウール殿下もブルーハワイもついてくるつもりのようだ。彼らも召喚獣の背中に乗り込むのを見てから、俺はリカルド先生を見上げる。

「……振り切りたいんだが無理そうだ」

 先生の短い台詞に俺は頷き、ドラゴンの背中の上で短剣の柄に触れた。


 先生の視線の先は、鬱蒼と茂る森。そして俺の持つ短剣も、同じ方向に行けと告げている。

 それほど遠くはないから、あっという間にその上空へと達してしまう。


 森を見下ろす形になった瞬間に、ある一角の大きな木がのろのろとした動きで倒れていくのが見えた。倒れた瞬間に立ち上る土煙と、森から逃げ出す野鳥たち。

 どうやら探知機必要ない。オスカル殿下はあそこだな。

 しかし、木々は間隔が狭く生えているので、ドラゴンが降りるスペースはないだろう。

 俺はそこで、大人しく俺の腕の中にいるハスキー犬に言った。

「さて、飛び降りましょう」

「おい」

「先生も一緒に」

 そこでケルベロス君の躰が一気に膨れ上がった。

 ドラゴンの背中を蹴るようにして、巨大なワンコが地面へと飛び降りる。蹴った衝撃で、ドラゴンの躰がぐん、と高度を下げた。

 俺はリカルド先生の腕を掴んで引っ張り、ケルベロス君の背中に飛び移り、俺の背後に乗りこんだ先生の小さな悪態も聞いた。乱暴ですいません。


 木々の枝を避けてケルベロス君がずどん、と地面へと着地する。本当なら凄まじい衝撃があるだろうに、必死に俺たちを庇ってくれるケルベロス君、マジ天使。それぞれの首を撫でて褒めてやると、ケルベロス君が自慢げに鼻を鳴らした。

 やだもう、本当に可愛い、と撫でていたが。

 前方に厭な波動があって、自然と俺の手がとまった。

 後ろにいるリカルド先生も警戒しているのか、完全に沈黙している。


 一瞬だけ上空を見上げると、リカルド先生の呼び出したドラゴンはぐるぐると旋回していたが、すぐにどこかに飛んでいってしまう。

 そして、明らかに降りる場所を探して困っているだろうあの二人の召喚獣の姿も見えた気がする。気がするだけなので、放っておく。


 また、遠くないところで木が倒れたようだ。

 地響きが響くと、ケルベロス君が素早く躰を低くして警戒態勢を取った。

 俺は改めて短剣を手に取り、自分の魔力を流しいれる。その途端、短剣は青白い光を放ちながら剣の大きさへと変貌した。

「行きましょう」

 俺の言葉で、ケルベロス君が木の倒れた方向へ向かって歩き出す。こちらの魔力の気配を消してくれながら、安全な道を選んでくれる。

「……お前はどこまで戦える?」

 やがて、リカルド先生が小さく訊いてきた。

 どこまでとは?

 首を傾げつつ、俺は応える。

「戦えるところまで、全力で」

「人間の姿のままで、だな?」


 ――なるほど。


 俺はリカルド先生の言いたいことを理解して、苦笑した。

「まだ、神具になったことないです」

「ならないで戦えるなら、それでいい」

 何だか微妙な声音だな、と思いつつ、少しだけ覚悟はした。

 というのも、前方に感じる魔力の流れがじわじわと勢力を増してきているのを感じていたからだ。それはまるで台風に似ていると思う。中心だけが妙に静かで、その周りが渦を巻いて暴れている。それがどんどん広がっていき、周りの木々が揺れていた。

「呪具だけを壊すことができるか」

 リカルド先生がさらに訊いてきた。

「……どうでしょうか」

 俺は自分自身に問いかけてみるが、自信はなかった。努力はするが、手を抜いて倒せるような相手じゃないだろうし。


 先生も俺の考えていることを察したのか、お互い、沈黙したまま台風の目へと到着する。

 その辺りになると、凄まじい風が吹き荒れていた。だから、ケルベロス君が走っていたとしても足音など聞こえないだろう。

 大きな木の陰にケルベロス君が潜むように躰を隠し、俺とリカルド先生が地面へと降りる。

 そして、見たのだった。

 悲鳴を上げて逃げようとしているヴィヴィアンと、まるで魔物のようになってしまったオスカル殿下の姿を。


 折れた木の傍に、オスカル殿下が身体を震わせながら立っている。しかし、その肌という肌一面に、黒い文字が浮かび上がっていた。吐く息すら黒く、その息は重さを含み、ゆっくりと地面へと落ちていった。黒い息がしみ込んだ土は、まるで汚染されるかのように黒く染まる。地面に生えていた草すら、あっという間に枯れる。

 とても人間とは思えない。

 それに、今の彼はまともな言葉が通じる状態なのかも怪しい。

 瞳の焦点は合っておらず、獣じみた呻き声だけが響き渡る。


 ヴィヴィアンは酷い格好をしていた。

 事故の衝撃なのか、それともオスカル殿下にやられたのか、シンプルで動きやすそうな服はあちこちが破れていて、白い肌が見えている。自慢の髪の毛だっただろうピンク色も、今は汚れてくすんで見える。

 おそらく、ヴィヴィアンの魔法なのだろう、自分の身を守るための魔方陣が彼女の足元に広がっているが、それは今にも壊れそうだ。

「もう……何なの。痛いって言ってるのに!」

 そう叫んだ唇の端は切れていて、そこから流れた血が転々とドレスを汚している。引きずられてここまで連れてこられたのか、膝丈のスカートの下にある足には擦り傷が多い。それは痛々しい格好ではあったが、彼女は気丈にも少しずつ後退り、逃げるタイミングを窺っている。

 しかしその足取りはふらついているし、それ以上に気になるのはヴィヴィアンの魔力が酷く弱いことだ。

 腐っても特別なヒロイン枠、かなりの魔力持ちであったはずなのに、何があった?


 俺は目を眇めて、オスカル殿下がどうなっているのか見極めようとした。

 すると、彼の左腕に違和感を感じる。長袖のシャツに隠れて見えないが、その手首辺りがまるで別の生き物が潜んでいるかのようにもぞもぞと蠢いているのが解る。


 多分、そこに呪具があるんだ。

 しかも、あらゆる魔力がそこに吸いこまれているように思えた。オスカル殿下の魔力はほとんどが吸収され、今はまるで抜け殻のようだ。

 おそらくヴィヴィアンの魔力もそこに吸い込まれ、この森自体の生命力のようなものも、今俺たちがこうしている間にも吸い込まれていく。

 何だこれ、どこかの『変わらない吸引力』の掃除機かよ。


 ヴィヴィアンは魔力が吸いこまれたと思って、慌てて結界を張ったのだろう。だからまだ生きていられる。これ、何もしなかったらミイラになるまで搾り取られるぞ。


 そう、何もかも呪具に喰い尽くされる。

 魔力も、きっと血や肉体さえも。


 俺は剣を握り直し、リカルド先生に左手で合図をしてから地面を蹴った。神具である俺の身体は、人間より遥かに凄まじい能力を持っている。一度の跳躍でヴィヴィアンの前に立ち、剣を構えて威嚇して見せる。

 そして、驚いた声を上げたヴィヴィアンの方を振り向かずに叫ぶ。

「下がってください!」

 しかし。

「もう、やだあ……。何で? こんなイベントなかったでしょ? 何なのよ……」

 ヴィヴィアンは俺の姿を見て安堵したのか何なのか、その場にへたり込んで情けない声を上げるだけだ。

 淫乱ピンク、マジ淫乱ピンク。全く役に立たねえ。

「先生!」

 俺がオスカル殿下を睨んだままそう叫ぶと、リカルド先生もこちらに駆け寄ってきて、ヴィヴィアンを庇うように剣を構えた。左手には魔法書が開かれ、新しい結界が二人の足元に広がった。

 リカルド先生もかなりの魔力持ちだし、戦力になるとは思うんだが。


 ――でもまあ、ここは俺の見せ場ってことでよろしく。


 ヴィヴィアンの安全は先生が確保してくれると信じて、俺は笑う。大地を蹴り、宙を飛んで剣を振りかぶり、オスカル殿下に上空から叩きつけようとした。左腕の呪具のある場所を狙って。


 空気が裂ける音。

 そして、俺の攻撃を避けてオスカル殿下が人間離れした動きで宙を舞い、近くの木の枝の上に飛び移った。

「降りてきてください。あなたは包囲されています」

 と、全然包囲されていないけど言ってみる。俺の手の中で剣が震えている。そして、叫んでいる。

 ――破壊せよ!

 さらに、俺の身体の中で神具であるリヴィアも叫ぶのだ。

 ――殺せ! 喰い殺せ!

 全く、騒々しいったらありゃしない。


「ぐ、が」

 オスカル殿下の唇が動いた。微かに身じろぎしただけで、その身体の骨が軋む音が響く。しかし、それに続いた声は酷く嗄れていて、明らかに彼のものではなかった。その双眸も、あるのは彼の瞳ではなく黒々とした光だけ。

『神具、だな? 神具』

「誰……いえ、あなたは何ですか?」

『やっぱりそうか。これは僥倖』

 呪具というのは人格――いや、知性を持つのだろうか。明らかにこの状況を楽しんでいるかのように、掠れた笑い声を上げる。身体を奇妙に捩じるように揺らしながら。

『こんなに近くにいるのに、今まで気づかせなかったことは褒めてやろう』

「全く嬉しくないのですが、褒めてくれてありがとう?」

 俺も笑い返す。


『神具よ、私のモノになるといい』

 オスカル殿下――いや、呪具はそう言うと、左手から黒い炎のようなものを噴出させた。そして、まるで弾丸か何かのように、木の枝を蹴って飛んできた。

 膨れ上がった黒い炎は、あっという間に剣の形を取って俺に襲い掛かる。俺の心臓を目掛けて突いてくるその動きに無駄はない。


 しかし、それを避けるのは結構簡単だった。俺が意識するより早く身体が動き、軽い跳躍であっさり躱す。


 誰か褒めて欲しい、さすが俺!

 やっときたぜ、俺の見せ場!

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