第69話 幕間 10 オスカル
――予定が狂いすぎている。
僕は魔導馬車にヴィヴィアンを乗せ、自分も乗り込んでから気づかれぬようにため息をこぼした。
最初はファルネーゼ王国に連れて行くのはヴィヴィアンだけの予定だった。
二人きりになってしまえば、彼女を殺すチャンスはいくらでもある。ヴィヴィアン・カルボネラという少女は、貴族ではあるがもう大した権力は持っていない。姉を敵に回した形になって、カルボネラ家の地位は随分と落ちたはずだ。
だから、この旅行の間に『行方不明』になったとしても、理由は適当につけられる。彼女は滞在期間を終えた後にファルネーゼ王国を一人で出て、帰宅途中で魔導馬車が『事故』に遭う。その筋書きだった。
予想外だと困惑したのは、リヴィアという少女を一緒に連れていくと言い出した時だ。
ただ、それだけだったら何も問題はなかった。女二人なら――しかもその片方がただの平民であれば、脅威でも何でもない。
それに何となくだが、リヴィアという少女を近くで見た時、違和感を感じたのだ。ヴィヴィアンよりも多くの魔力を内包しているような、しかしそれは身体の奥に潜んでいて、まだ覚醒していないような、曖昧なもの。
だから、生贄として興味があった。
それに呪具が騒いでいる。
おそらく、そろそろ限界が近いのだろう。時々、僕も貧血のような症状が現れている。
思い返してみれば、母の召使――侍女とも呼べない下の立場の人間たちが、たまに姿を消していたのはこれが原因だ。
子供の頃は、ただ純粋に気性の激しい母の命令を聞くのが厭で逃げ出したのだと思っていた。そういった身分の低い人間ならいくらでも取り換えがきく。彼女たちの姿をもう二度と見ることもなかったが、何の疑問も抱かなかった。
しかし実際には、母の魔力だけでは呪具が制御できず、生贄として定期的に捧げていた。それを知った時、僅かに心臓が厭な音を立てたことを覚えている。
ありがたいことに、僕は母よりも魔力量が多い。だから、生贄を捧げるのもこれまで必要としていなかった。
――できれば、魔力量が多い人間を選ぶといいわ。その方が、長持ちするから。
ある時、母はまるで生贄を消耗品のように言った。実際に消耗品なのだろうが、最初は人間をそう扱うのは抵抗があった。
しかし、抵抗があるとはいえ、ヴィヴィアン・カルボネラは生贄として優秀なのは認めなくてはならない。
兄を生贄にするよりもずっと――いや、これは言い訳だろうか。
いつか僕は兄を手にかけるのだろう。だがそれを少しでも先延ばしするためには、別の生贄が必要だった。これはそのための旅行。
しかし、そこへラウール・シャオラとその友人が加わり、さらに最終的には兄が一緒に行くと言い出した。
これでは駄目だ。
ヴィヴィアンとリヴィアを殺すには、人目が多すぎる。
「何で、他の人たちも誘ったの?」
僕は目の前に座ったヴィヴィアンにそう問いかけた。
ヴィヴィアンは機嫌の悪さを隠そうともせず、座席に座ると淑女とは言い難い言葉を口の中で呟いていた。いつもの可愛らしい演技は影を潜め、鋭い目つきで馬車の床を見下ろして「リヴィアなんか……」と右手の親指の爪を噛む。
しかし僕の声に我に返ったようで、慌てて可愛らしい仮面をつけた。それは遅いと思うけれど、気づかなかった振りでこちらも微笑む。
「他の人たちを誘ったのは、何か理由があるんじゃない?」
「理由ですか? うーん」
ヴィヴィアンは困ったように頭を掻き、首を傾げながら視線を宙に彷徨わせる。「リヴィアを誘ったのはー、オスカル殿下に興味ありそうだったからですよ? オスカル殿下、モテますからね、仕方ないです」
「僕に?」
「そう、そういう意味では残念でしたね。わたし、二人の恋のキューピッドになろうと思ってたんです」
時々、彼女の言っている意味が解らなくて困惑する。
どうも彼女は、国だけではなく、僕とは違う世界に生きている人間じゃないかと疑う。何かがずれている。そんな気がした。
「納得いかないのは、リヴィアとリカルド先生の婚約ですよ。あれ、絶対に似合ってないですもん」
「似合っていない?」
「明らかにリカルド先生、リヴィアのこと邪険にしてません? きっと、好き合っての婚約じゃないと思うんですよね。きっと、何か理由がありますって」
少しだけむきになって言う彼女の言葉に、僕は確かにそうだな、と内心で頷いた。兄は誰とも結婚しないと思っていたから、あの婚約は意外だった。
結婚すれば、ファルネーゼ王族の血筋の子供が生まれるかもしれない。そうなったら、争いの元だと兄も理解しているだろうに。
そういう意味でも、あの二人の結婚は邪魔しておきたいところだ。
兄は結婚してはいけない人間だ。
リヴィアという少女が死ねば、兄も次の結婚を考えるのはやめるだろう。
そのためにも、リヴィアを殺さねばならない。
「お願いがあるんです、殿下」
ふと、ヴィヴィアンが甘えるような声を上げた。いつもの上目遣い、男性を魅了させるための可愛らしい表情。
「リヴィアって、リカルド先生がいるのにオスカル殿下のことも好きそうだから、ちょっと探りを入れて欲しいんですよ。わたしが訊いても、本音で話してくれないし。わたしはリカルド先生に探りを入れてみます。どうして結婚相手に彼女を選んだのか、訊いてみたいんです」
「……ふうん」
僕はじっと目の前の少女を見つめた。
嘘しかつかない唇だ。
ヴィヴィアンはこれまで、誰かに本音で話をしたことがあるのだろうか。誰とも本気の付き合いをしていないから、友達もいない。まるで僕のように孤独だ。
哀れだな、と思う。
しかしそれは、自分にも跳ね返ってくる思いだった。
僕だって、誰にも本音で話すことはできない。抱えたものが重すぎるのに、助けを求めようとしても誰も近くにいない。
本当は、助けて欲しいんだ。
認めたくはないけれど、本当はいつだってそうだった。助けて欲しかった。でも、もう嫌われているから無理だと諦めて――。
「ここだけの話なんですけど、わたし、ちょっとリカルド先生のことが気になってて」
ヴィヴィアンのその声が頭の中をぐるぐると回り出した。
兄のことが気になる?
身体に纏わりつくような、甘い声。
「さすがにこんな話、リヴィアに相談することなんてできないし、前から悩んでいたんです」
何を唐突に言い出したんだろう、と僕は眉を顰める。彼女の声の裏には、何か打算のような響きもあった。まるで僕を牽制しているかのような――。
ああ、そういうことか?
ヴィヴィアンは僕を踏み台にしようとしている。兄に近づくための足掛かり?
「こんなこと、殿下に相談するのもどうかと思ったんですけど、わたし、リカルド先生のことが好きなんです。リヴィアが婚約者だと聞いても、どうしても諦めきれなくて。だから、殿下なら先生のこと、よく知っていると思って」
「僕が……知っている?」
つまり、僕たちが単なる教師と生徒ではないことを――彼女は知っている?
それは誰から聞いたことだ?
それは唐突にひらめいたことだった。僕とリカルド先生が血がつながっていることはグラマンティの誰も知らないことだと思う。それなのに、彼女は知っている?
どうしてだ?
そう言えば、ヴィヴィアンの態度は最初からおかしかった。違和感はあったんだ。彼女はまるで僕のことをよく知っているかのような態度を取る。いつもの自分なら、警戒しただろう。それなのに、何か特別な力でも働いているかのようにヴィヴィアンの言葉は僕の心の中を侵食した。疑えば疑えたはずなのに、いつだって思考能力が低下するような感覚が付きまとった。
思い返してみれば、それは呪いに似ていた。
それに、最近感じた視線。何もないところから誰かに見られているような気配は何だった?
呪具が妙に不安定なのは何故だ?
まるで、敵が傍にいるかのように、警告を上げていたかのようじゃないか。
ヴィヴィアン・カルボネラ。
この女は……何者だ? 呪具が警告していたのは、もしかしたら。
「殿下、どうしました? 顔色が悪いみたいですけど」
ヴィヴィアンの驚いたような声が狭い馬車の中に響く。そこで、急激にやってきた貧血、眩暈。座席に座っているというのに、身体が揺らいで倒れそうだった。
「あ、ああ、ごめん。少し、馬車をとめたい。休みたい」
早鐘を討つ心臓と、乱れた呼吸。僕は必死に息を整えようと深呼吸をするものの、気分の悪さは加速していく。
「え、大丈夫ですか? 馬車ってどうやってとめれば」
「ああ、大丈夫、大丈夫、だから」
僕はふらつく足取りで座席から立ち上がり、必死に右手を挙げて魔導馬に設定されている魔法を書き換えた。これでまた、体内の魔力を失う。吐き気すら覚える。立っていられない。
左手が重い。
呪具が震えている。
僕の魔力が安定していないせいだろうか、暴走を始めそうだ。
魔導馬車が行先を変えて走り出し、僕が休めそうな場所に向かう。到着まで待てず、水が飲みたい、と持ってきた荷物から飲み物を取り出そうと思ったその時。
どこからか、魔力の波動を感じた。
ここではない、どこか離れた場所。
「……これは」
僕がそう言った瞬間、馬車がとまる。
凄まじい魔力の波に飲み込まれ、僕の左腕――呪具が熱を放つ。その途端、僕の左腕全体に広がっているだろう呪具の文字も燃えるように熱くなった。
僕がたまらず悲鳴を上げるのと、ヴィヴィアンが怯えたように馬車から逃げ出そうとするのが同時だった。
逃がすな、と呪具が叫ぶ。
そうだ、彼女は生贄なのだ。その血肉を捧げなければ、僕が呪具に飲み込まれてしまう。
だから、僕は必死に左手を伸ばし、ヴィヴィアンの左手首を掴んだ。その瞬間、呪具から凄まじい魔力が発せられた。
誰の悲鳴なのか解らない。
耳を劈くような音は、魔導馬車が壊れるものだったのだろうか。どんな攻撃にも耐えうるような構造をしているはずのファルネーゼ王国の魔導馬車は、僕の左腕を中心として何かが爆発したかのように弾けた。飛び散る破片が僕やヴィヴィアンの身体を傷つけ、血の匂いが散ったことも意識のどこかで感じた。
そして。
――そろそろ返してもらおうか。力のない者が持つには、過ぎた呪具だった。
誰かがそう囁いた。
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