第67話 青い馬
「えっ」
俺は淫乱ピンクを見たし、他の人間もそうだ。ちょっと驚いてヴィヴィアンに集中したそれぞれの目は、複雑な色があった。
リカルド先生も、困惑したように自分の横に寄りそう彼女を見下ろし、その反対側に立つ俺にも視線を走らせる。
この場合、どうしたらいいんだ?
女として、ブチ切れるべきなのか。わたしの婚約者に近づかないで! とか血で血を洗うような戦いに参戦しなくてはいけないのか。
いや、それ以前に、俺は演技できるのか。淫乱ピンクみたいに、可愛らしい仕草でリカルド先生にしなだれかかって、えーと、えーと……えええええ?
「落ち着け」
気が付けば、リカルド先生は淫乱ピンクを避け、俺の肩を抱くようにして戦場から撤退していた。淫乱ピンクが眉間に皺を寄せてこちらを見つめ、一瞬だけ剣呑な光がその双眸に灯った気がした。だがそれはすぐに消えて、悲しそうな顔に変化していたが。
「ええっ、ひどくないですかー? わたし、何もしてないですよ?」
そう言いながら首を傾げて見せた彼女を冷ややかに見つめたリカルド先生は、すぐに視線をオスカル殿下に向けた。
「迷惑をかけてすまない、いえ、すみません。本当ならば、わたしたちは今回の旅行には同行しない方がいいと思うのですが、コレが誘われたというので」
――コレって俺のことか? 酷くないか!?
しかし、先生は弟に対して敬語になるのか。
でも、慣れていないというか、その不自然なまでのぎこちなさはラウール殿下とブルーハワイにも伝わったようで、何か探るような視線を先生とオスカル殿下に向けた。
「……いえ、お気になさらず」
オスカル殿下は我に返ったように笑い、穏やかに続けた。「人数が多い方が楽しいでしょうから、歓迎します」
一応、オスカル殿下は心からそう言っているように見えるが、きっと違うんだろうな、とも思った。
どうやってファルネーゼ王国へ行くのかと思っていたら、魔導馬車というものを使うらしい。
今、俺たちの前には馬車らしきものが三台ある。見た目は、一昔前にイギリスとかで走っていたような黒塗りのオーソドックスな形をしている。ただ、それを引いているのが普通の馬じゃなく、馬の形をした魔道具。
一台はグラマンティ魔法学園の紋章みたいなものが扉のところにあって、明らかに学園から借りてきました、という感じのやつ。これが一番年季が入っているようで、馬車を引く黒い馬も旧式なのか、どことなく機械みたいな角ばったフォルムをしている。
他の二台は、おそらくオスカル殿下のものと、ラウール殿下のものなんだろう。馬車本体はどちらも黒で、それぞれ扉には違う紋章が入っている。
馬の形も、随分と本物に似ていて、風に当たれば鬣が揺れたりするディティールの細かさ。
何か、すげえファンタジー感があって格好いいとは思うけども、オスカル殿下が淫乱ピンクを連れて乗り込もうとした馬車の馬が、青白い陽炎のようなものを漂わせているのを見て、何か引っかかった。
青い馬。
何だっけ、と考えたらすぐに思い出した。
見よ、青ざめた馬だ、みたいなやつ。聖書だっけ、何だっけ? 確か、青い馬は死を象徴しているんだった。馬に乗る者の名前は死、みたいなそんなのを小説か何かで取り上げられているのを読んだ気がする。
……縁起でもないことを考えるのはやめよう。
「本当はリヴィアを一緒に乗せたかったのに」
と、俺の背後からラウール殿下がブルーハワイにそんな泣き言のようなことを言っているのが聞こえてきて、思わず振り向いた。乗り込もうとしている馬車の前で、ラウール殿下が肩を落としているのが見える。
ブルーハワイは相変わらず呆れたようにぶつぶつと呟いていた。
「よくもまあ、他の男性の婚約者に……」
「まだ間に合うだろ」
「全然間に合ってませんよ」
「先生も一緒だなんて聞いてねえし」
「聞かなくても予想はついたと思いますが」
うん、相変わらず同じような会話をしているようだ。放っておこう。
俺はリカルド先生の傍に近寄って声をかける。
「これ、現地集合みたいな感じなんですか?」
「ああ。行先は指定してあるから、たとえ別々に行動したとしても道に迷うことはない。ただ、学園のこれは型が古いから多少は揺れるかもしれない。酔うなよ」
「善処します」
そんな会話をしつつ、俺たちも馬車に乗りこみ、馬車の扉を閉める前に外を見る。
夏休みに入った初日だから、俺たち以外にも魔導馬車を使って出て行く生徒たちが多い。正門に続く道はなかなか騒々しい。
「閉めるぞ」
先生がそう言って、扉が閉められた。
そしてお互いが向き合って座席に腰を下ろすと、どちらからともため息がこぼれた。
やっと二人きりになったので(変な意味ではない)、俺はブラウスの前から入れておいたハリーを取り出し、頭の上に乗せた。それと同時に、ケルベロス君も欠伸をしながら俺の足元に姿を見せる。
俺はこの子たちがいなかったら精神的に生き延びられない。
「では、淫……ヴィヴィアンのことはどう思います? 魅力的だと思いますか?」
頭の上のハリーの顎先を撫でながらそう先生に問いかけると、鼻で嗤うような気配が伝わってくる。どうやら何も言葉がないらしく、待っても返事はない。
「では、オスカル殿下とは少しは歩み寄れたのですか?」
それにも返事はない。
なるほど、お察しってやつか。
俺は窓のカーテンを引っ張り、馬車の外を見た。予想以上に凄い勢いで移動しているようで、外の景色があっという間に流れていく。
いつもの俺だったら、テンションがもっと上がっているはずなのに、どうも背中がぞわぞわして落ち着かない。
魔導馬車は二度、とまった。グラマンティを出る時に門番さんに声をかける時と、ファルネーゼ王国に入国する際に、そこでも門番さんに厳しいチェックを受けるために。
そして無事、ファルネーゼ王国に入国が許されて、王城へ向かい始めた時、異変に気付いた。
背中側にある短剣が震えだし、それにほんの少し遅れて辺りの空気が震えた。
まるで、魔力の津波のようなものが襲ってきたように感じて、俺もリカルド先生も馬車の中で腰を浮かした。
馬車をとめて外に出ると、異国の街の姿がそこにはあった。グラマンティの街が古き良き時代の建物がある街、という雰囲気なら、ファルネーゼ王国は現代の街、といえるくらい近代的な建物が多い。
活気的で平和な街だと言えるだろう。そこは大通りらしく、たくさんの店が立ち並び、旅行者や商売人が行き交っている。
それともう一つ。グラマンティとの違いを感じるのは、魔法使いらしき姿が少ないことだ。
だからなのか、さっきの異常な魔力の流れに気づいた人間はほとんどいないようで、普段通りの生活を送っているように見えた。幾人かは何かあったのか、と空を見上げたりしている者もいたけれど、青空と平穏な空気が流れているのを確認すると気のせいだと判断したようだ。
「何だと思いますか?」
俺はリカルド先生にそう訊いた。びりびりと震えている短剣が、明らかに敵がいることを教えているのだが、その敵がどこにも見えない。
それどころか、だんだん短剣が静かになっていく。
「先を急ごう」
リカルド先生はもう一度馬車に乗るように促して、俺はそれに従った。
短剣が騒ぐのは、大体がオスカル殿下に関わる時だった。だから、予想はしていた。
ファルネーゼの王城は大きく、城門を守る騎士の姿も物々しい雰囲気で立っている。そこには、見覚えのある馬車がとまっていて、甲冑を身に着けた騎士と何やらやりとりしている気配が伝わってきた。
何かトラブルでもあったのか、と疑ってしまうような様子。
「よう、待ってた!」
馬車をとめて、リカルド先生と俺が降りていくと、声をかけてきたのはラウール殿下。彼のその横では、ブルーハワイが難しい表情で立ち尽くしていた。
「どうしたんですか?」
俺が殿下にそう尋ねている間に、リカルド先生は騎士に歩み寄り話しかける。それまで、どこか横柄な態度でラウール殿下たちと話をしていた騎士も、リカルド先生の顔を見た瞬間に居住まいを正した。
そして、そこで知ったのは、最初にグラマンティを出立したはずのオスカル殿下と淫乱ピンクの魔導馬車が、まだ到着していないという事実だった。
だから、ラウール殿下たちは王城の前で足止めをされていたようだ。
「我々が来ることは先ぶれがあったのだろう?」
リカルド先生はその騎士に問うと、彼は「はい」と肯定した。
しかし、オスカル殿下が到着していないのに、その連れである我々を先に入城させるわけにはいかなかったので、と彼は続けた。
そこでふと考えてしまったのだ。
青い馬に厭なことを思い浮かべたのは、予兆だったのかな、なんてことを。
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