第66話 私も一緒に行くとする

「一体、何があったのか説明してもらおうか」

 リカルド先生が笑いながら俺の両耳を掴んで引っ張っています。痛い痛い、人間の耳はどうやっても鍛えることのできない弱点です! 暴力反対!

 って、俺は人間じゃないけど!

 リカルド先生の腕をばしばし叩きつつ抵抗すると、彼が偽物の笑みを消して首を傾げた。俺は両耳を自分の手でさすりながら、ほっと息を吐く。

「いえ、話すと長いのですが」

「時間はある」

「お茶を淹れてやるぞい。暇じゃし、わしも聞かせてもらう」

 と、相変わらずダミアノじいさんの部屋はある意味平和である。じいさんがお茶の準備をしてくれている間、俺とリカルド先生はソファに向かい合って座り、テーブルの上に放り出されたドレスやらアクセサリーを微妙な顔で見つめていた。

 簡素な箱に詰められた、ボリュームたっぷりの白いドレスは、うん、ウェディングドレスみたいで素敵ですね。婚約パーティとやらの準備は順調そうで何よりですね!

 嘘だけど。現実逃避したいけど。

 俺が強張った笑みを浮かべた頃、じいさんが遠くから言葉を投げてきた。

「お茶を置くから、テーブルの邪魔なものは片づけてくれい」


 というわけで、俺は全部吐かされました。

 幽霊に会って話を聞いたこと、呪具の存在と、それをオスカル殿下が持っているらしいこと。

 呪具の残り香のようなものが中庭とヴィヴィアンに残っていたこと、ジュリエッタ様が命を狙われた可能性、呪具の気配がどんどん強くなっていて、厭な予感しかしないこと。

「だからって、ファルネーゼ王国に行くのは危険じゃろ。お主、ケルベロスに守られているとはいえ、とんでもなく無謀じゃぞ?」

 頭を抱え込んでしまったリカルド先生の横で、じいさんがのんびりお茶を啜りながらそう言っている。無謀と言われれば確かにその通りなんだが、放ってもおけない。

「いざとなったらケルベロス君に乗って逃げますから。まだ、誰もわたしが神具だと気づいていませんし、あの髪の毛がピンク色の方は神具の『し』の字も知りませんでした」

「だからといってじゃな?」

「お前、ラウール殿下も行きたいと言い出してるそうじゃないか」

 そこへ、不機嫌を絵に描いたようなリカルド先生が口を挟む。とんとん、とテーブルを叩く彼の指もそれを表している。

「婚約者のいる身でありながら、お前に懸想するラウール殿下と一緒に旅行とは、いいご身分だな?」

「え」


 俺は眉を顰めて見せる。

 何だかその言い方は――。


「嫉妬じゃないと信じたいのですが」

「馬鹿かお前は」

「いや、あの」

「婚約したお前に悪い評判が立ったら、私の評判も下がると思え」

「えー……はい」

 不本意ながら頷いた俺の耳を、わざわざ手を伸ばして掴んでくる先生。ギブです、ギブ、とテーブルをばしばし叩いていると、先生は唐突に俺を解放してため息をついた。

「だから、本当に厭なのだが、私も一緒に行くとする」

「は?」

「ずっとファルネーゼ王国には戻っていないから、いい機会だ。あの国がどうなっているのか見てくるのも悪くない。悪くないはずだ」

 非常に目つきの悪いリカルド先生が、自分に言い聞かせるように言っているその様子を見ながら、俺は思わず笑ってしまう。それに気を悪くしたのか、さらに険悪な表情をして見せた彼に、俺は慌てて手をぷるぷると振りながら告げた。

「すみません、こんなことになりましたが、一緒に来てもらえて嬉しいです。やっぱり、不安だったので……」

 すると、リカルド先生が毒気が抜かれたような顔をする。

 これは本音だ。俺一人であいつらと一緒に過ごすなんて、無理だと思ってたし。できれば、先生かじいさんかどっちかに一緒に来てもらいたいと思っていたから、渡りに船ってやつ。

「ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」

 そう頭を下げると、リカルド先生が微妙にぎこちなく頷いた。


「ええっ、わたしは大歓迎ですぅ」

 リカルド先生が一緒に行きたいと言い出したことは、淫乱ピンクのテンションを上げさせたらしい。頬を赤らめてそう言った彼女は、一瞬だけ悪だくみをしていそうな目つきで宙を見つめた。しかし、すぐに近くにいるオスカル殿下を気にしてか、可愛い仕草で両手を胸の前で組んで見せる。


 放課後、いつもの場所、ガゼボ。そこに、今は淫乱ピンクとオスカル殿下がいる。俺はその場に、ケルベロス君とハリーを連れ、完全に俺の魔力の気配を消してもらいつつ近寄り、リカルド先生が俺に付き添いたいと言い出したことを告げた。

 そうしたら、淫乱ピンクはこんな状態だし、オスカル殿下は笑みを凍らしつつ「リカルド先生は君のことが好きなんだね」と言い出している。

 色々怖い。

「でも、君はリカルド先生のどこが好きで婚約したの?」

 オスカル殿下は明らかに苛立ちのようなものを隠しつつ、俺に探りを入れてきた。

「どこが……ええと、優しいところでしょうか」

 頑張れ俺、女優になれ!

 一応俺は、リカルド先生に惚れているという設定だ!

 しかし、恋する乙女ってどういう顔をすればいいのか解らない!

「でも、あの先生はほとんど授業では笑わないと有名だよね? 君には優しいの? 笑うんだ?」

「ええ、まあ、そうですね」

 俺はじりじりと後ずさりつつ、急に用事を思い出したという演技で手を叩きつつ、急いで頭を下げる。これは逃げた方がいいと判断した。

「すみません、塔の仕事が残っているので、今日はこの辺で失礼します。あの、旅行については後日、リカルド先生から直接、オスカル殿下にお話されると思いますので、詳しくはそこで。ええと、旅行、楽しみにしていますので!」

 そう言い残して脱兎のごとく逃げ出す俺。

 背後にオスカル殿下の引き留める声が聞こえたものの、聞こえないふりをしておく。

 俺に興味を持つのはやめて欲しい。そのまま二人きりの世界に入ってくれていいのに。

 俺はガゼボから充分に遠ざかってから、そっと振り向いた。でも、相変わらずそこにはオスカル殿下の冷たい双眸がこちらを向いていてぎょっとする。

 そして、彼らの目の届かない場所に向かって歩きながら思う。

 何だか、きな臭い感じがする、と。


 その後、ジュリエッタさんに会った時に探りを入れてみた。何となく予想はついていたが、淫乱ピンクとオスカル殿下から接触はほとんどないらしい。

 オスカル殿下がジュリエッタの命を狙った理由は何なのか、解らない。もしかしたら呪具とやらに生贄を捧げるためなのかとも考えたが、わざわざヴァレンティーノ殿下の婚約者である彼女を狙うのはリスクが大きすぎる。

 生贄として選ぶなら、別に誰でもいいわけだ。この学園には、ジュリエッタさんより魔力の大きな人間はたくさんいるし、標的にするなら彼女より身分が低い方が安全だろう。


 ――ってことは、今は標的を変えたのか。


 例えば、俺とかに?


 そう考えれば納得はいく。俺はケルベロス君にほぼ完璧なほどに魔力の気配を遮断してもらっているが、敵が膨大な力を持つ呪具だったら、その遮断すら誤魔化せないとかも考えられる――?

 俺が本当は魔力が強いことに気づいて、生贄にちょうどいいと思われたのか? この旅行だって、淫乱ピンクが馬鹿なふりして俺を誘ってきたのも、そういう裏があったとしたら?

 え、ヤバくね?


 一気に血の気が引く思いがする。本当に旅行にリカルド先生が一緒でよかった。できるだけ先生に引っ付いて、バカップルみたいに振舞おう。一瞬たりとも隙を見せないようにしよう。

 先生は厭な顔をするような気がするが、この際、どうでもいい。とりあえず、身の安全を確保しつつ、オスカル殿下の呪具を奪う、もしくは破壊するチャンスを窺うのだ。

 そして、俺の命を狙ったことを後悔させてやろう。


 そんな思いを胸に刻みつつ。

 あっという間にグラマンティ魔法学園は夏休みに突入した。学園側からは、山のように課題が生徒に与えられたようだ。一か月という休みは遊び回っているだけではいけないらしく、課題の量に嘆いている生徒も多く見られた。

 それでも、久しぶりに自宅に帰ることのできる生徒たちの足取りは軽かったし、笑顔が多い。


 婚約パーティよりも先に、俺たちの旅行とやらの日程がやってくる。

 そして、不機嫌そうな顔を隠さないでいるリカルド先生が俺の隣に立ち、目の前にはラウール殿下とブルーハワイが立っている。

 えっと、今回の旅行はブルーハワイさんも一緒ですか?

 って言うか何でラウール殿下はリカルド先生を睨んでいるんですかね? もう俺のことを側妃だかにするの、諦めたはずじゃないのか。いい加減にしろよ、そろそろストーカーとして訴えてやる。

「何で、リカルド先生も一緒なんだ?」

 ラウール殿下が低い声で俺にそう話しかけるのを、俺が口を開くより先にリカルド先生が笑って言った。目は笑ってないがな。

「婚約者と一緒にいることのどこがおかしい?」

「教師は学園で色々やることがあるんじゃないですか?」

 そう言いながら先生を睨みつけるラウール殿下、漂う緊張感。


 しかし。

「やだあ、皆、仲良くいきましょうよ! わたし、すっごく楽しみにしてたんですよ! 旅行って、人数多い方が楽しいでしょう?」

 やっぱり淫乱ピンクだけは空気を読まない。お気楽な口調でそう言うと、何故かリカルド先生の横に立って、わざとらしく先生に肩を寄せた。

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