第64話 一緒にこない?

「……本気で言ってます? 信じてる、とか」

 少女の言葉が酷く軽く感じて眉を顰めると、彼女はそっと肩を竦めて舌を出した。

「やだ、気づいちゃった?」

「ええ、何となく」

 悪気のない彼女の表情を見ると、こちらも毒気が抜けてしまう。まるで、いい天気ですね、みたいな軽いノリだ。

「正直、あれを何とかしてもらえるとか、もう信じてないの。今までだって、この人だったら凄い魔法使いだし、大丈夫かも! って魔道具を渡してきたけど、ずっと駄目だったんだもの。今回も気休め、かな?」

「んー……」

「まあ、そこそこ頑張って」

 幽霊少女はそう言って笑うと、ひらひらと手を振って空気に溶けるように消えた。一人きり、ガゼボの中に残された俺は、ぼんやりと空を見上げてみる。

 結構、衝撃的な内容だったな、と思いながら。


 少しだけ俺の過去を思い出したりする。

 敵って何だろう。神に背いた存在? 敵を喰うために神具は存在する? だとすれば、俺がこのリヴィアの身体の中に入るきっかけになった声はどう説明できる?

 俺が日本で死んで、何故かこちらの世界にやってきたのは、神具が俺を餌だと勘違い――もしくは正しく判断したからだろう。

 俺を殺さねばならない存在だと判断したから。


 俺がもし、あちらの世界で死んで、幽霊とかになったらどうしていたかな。

 俺を殺した弟を恨んだだろうか。

 怪談とかによくありがちな、地縛霊だったり悪霊だったりに変わってしまったんだろうか。成仏できず、あの川底にずっといることになったら、軽く絶望できる。


 俺、怖い話とか好きだった。幽霊っているんじゃないかって思ってた。創作の怪談話、都市伝説は本当に好物で、色々読み漁ったと思う。

 でも、心霊スポットとかに遊び半分で行くのは厭だった。ヤバいものに憑りつかれてしまったりしたら怖いし。

 でももしかしたら、俺が憑りつく側になってたのかもしれない。あの川で、俺が幽霊として目撃談を語られる対象になっていたのかもしれない。

 そう考えると、何だか複雑な気分になった。


 今の俺は何なんだろう。

 今の俺が死んだら、その後はどうなるんだろう。

 また日本に生まれ変われるといいのに。


 そんなことを取り留めもなく考えつつ、ベンチから立ち上がる。足元で丸まっていたケルベロス君も立ち上がって、ぷるぷると身震いした。

 今はほんの少し意識を集中するだけで、オスカル殿下がどこにいるのか気配で解る。光の塔の地下。ジュリエッタさんも淫乱ピンクも、ヴァレンティーノ殿下もそこにいるだろう。それが逆に不安だが、俺にはどうすることもできない。

 ただ何も起こらないことを願うだけだ。

 でも、もしチャンスがあるなら、オスカル殿下を背後から狙ってもいいだろうかとちょっと悩んでいる。一発で殴り倒せるよう、腕力を鍛えねば。


「それはやめてくれ」

 リカルド先生には俺の野望は軽く却下された。

 リカルド先生はあれからずっと、オスカル殿下に話しかけようと努力しているらしい。そのせいなのか解らないが、オスカル殿下の態度にも少し変化があった。いつだって張り付けた笑顔みたいな偽物の感情を見せている彼が、苛立ちを露にすることが増えたのだとか。

「こんなにぶつかったのは初めてだ。元々、会話なんてほとんどなかったからな」

「少しは仲良くなれたんですか」

「仲良く……」

 リカルド先生も困惑気味だが、それより俺も別のことで困惑したい。


 俺の前に、先生が差し出してきた婚約の誓約書があります。

 目に痛いような真っ白の紙。神殿の紋章みたいな模様がその用紙の上部にあり、魔力を放ちながら輝いている。

 流麗な文字で書かれた文章は、俺とリカルド先生が婚約すること、貞操を守り、お互いを尊重すること、嘘をつかず、苦楽を分け合うこと、その他にも長々と書いてある。

 そして一番下に、お互いがサインする場所。

「こんなものがあるんですね」

 知らなかった、と俺がリカルド先生を見ると、彼は色々説明してくれた。この誓約書があれば、他の男性から言い寄られたりする時に断る理由にもなるし、それがあるのにも関わらずしつこく迫ってくる男性には、この誓約書にかけられた防御魔法みたいなものが発動するんだとか。

 なかなか便利ですね、とラウール殿下を思い浮かべながら呟き、結局はサインをした。リカルド先生もサインをして、それを神殿に送れば完了。

 まさか俺が男と婚約する羽目になるとは、と呟くと、先生も無言で頷いた。

 お互い、すげえ微妙な顔をしていただろう。


 試験期間は順調に終わり、前回の試験で順位を落としていたヴァレンティーノ殿下も巻き返しをしたらしく、学年トップの座に躍り出ている。努力が報われたようで何より。

 ジュリエッタも淫乱ピンクも、ラウール殿下もオスカル殿下も、真面目に試験勉強に打ち込んだようで、それぞれいい結果を出していたようだった。


 そして試験が終わって一息つくと、皆がそれぞれ夏休みの帰省の準備を始めた。夏休みは一か月ほど続くので、ほとんどの生徒が自分の国に帰る。

 ジュリエッタも、ヴァレンティーノ殿下と夏休み中に国で会うことを約束した、などと嬉しそうにしていたが、俺が気になっているのは淫乱ピンクだ。


 夏休みが近づくにつれ、ヴィヴィアンは酷く不機嫌になっている。

 オスカル殿下に国に遊びに来ないかと誘われていて、必死にそれから逃げようとしているのに相手は引かないらしい。いいように言いくるめられ、短期間でもいいからとファルネーゼ王国の王城とやらに遊びに行くことが決定してしまった、と絶望の表情を作っている。

 何故そんなに嫌がるのか探りを入れると、「監禁されて、夏休みが終わっても帰ってこられそうにないから」と呟く。

「だから、ヤンデレルートは厭なのよ。いくら溺愛されてるっていっても、一生、監禁よ? どこにも遊びに行けないなんて厭」

「ヤンデレ……」


 やっぱりこの世界は、彼女にとってはゲームの世界らしい。

 さりげなく俺は淫乱ピンクと接触を続け、色々訊き出したところ、面白いことが解った。

 やっぱり髪の毛ピンクなだけあって、彼女は定番のヒロインポジション。悪役はジュリエッタ。ここは彼女が色々なイケメンと恋愛する世界なのだそうで、でもイレギュラーなことが多くありすぎて狙った通りに進まない。


 その中で、俺という存在は完全にモブ。名前も出てこないし、彼女のストーリーにも関わらない。だから、油断して色々喋ってくれた。俺が理解できないふりをして水を向ければ、馬鹿にしたように笑いながらぺらぺらと。

 やっぱり淫乱ピンクの頭の中は残念だ。

 ここは彼女が思っているただのゲームの世界じゃないと思う。そう断言できるのは、俺という存在が大きい。

 淫乱ピンクは、神具のことについては全然知識がない。さりげなく聞き出そうとしたら、「しんぐって何」と首を傾げていた。

 ここまでどっぷり彼らと関わっている俺という存在があるのなら、普通だったら何となく思いつくんじゃないだろうか。

 ここは、彼女の知っているゲームのスピンオフか何かの世界なのだ、と。


 ここでは淫乱ピンク――ヴィヴィアン・カルボネラは主人公ポジションではないのだ。ただの脇役。

 だから、ハッピーエンドなんて約束されていない。

 ルート選びを失敗すれば不幸な結末がある。

 事実、彼女はヴァレンティーノ殿下の攻略に失敗した。

 この世界にゲームのリセットボタンはないのだから、このまま進まねばいけないだろう。それなのに、まだ何とかなると考えている淫乱ピンクは本当にどうしようもない。


「ねえ、一緒にこない?」

 唐突に、淫乱ピンクが俺の手を掴んで微笑む。何かよからぬことを思いついたと言いたげな笑顔である。

「一緒にとはどういうことでしょうか?」

「ファルネーゼ王国よ! あなた、平民でしょ? 王城なんて行ったことないでしょ? きっと、美味しいものがたくさん食べられるし、相手は王族なんだからお土産も凄いものがもらえるわよ! だから行きましょ!?」

「ええ……」

 俺は顔芸で厭だと意志表現するも、淫乱ピンクほど人の顔色を読まない人間を俺は知らない。

「それにあなた、わたしほどじゃないけど可愛い顔をしてるじゃない? もしかしたら、オスカル殿下に見初められて、ってこともあり得るじゃない! そうすればわたしはあのヤンデレから解放されるし!」

「いえ、あの、わたしには婚約者が」

「リカルド先生でしょ!?」

 そこで淫乱ピンクの眦が吊り上がり、苛立ちが笑顔に混じる。「大体、モブなのにおかしいのよ。何であんたがリカルド先生と婚約してんのよ。普通、あり得ないでしょ!? そこはわたしでもよかったはずだわ!」

「いえ、だから、その」

「だから交換しましょ? ね? わたしはリカルド先生と恋に落ちて、あなたはあのヤンデレ……オスカル殿下とゴールインすればいいじゃない!」

「ゴールイン……」

 言葉選びが何だか時代を感じさせるな。もしかして目の前にいる淫乱ピンクの中身は、結構年がいってるんじゃないだろうか、と疑ってしまう。

 つか、交換って何だよ。

 婚約者とか交換できるものなのかよ。

 こいつの頭、本当におかしい!


 ――でもまあ、オスカル殿下に近づくにはいいチャンスなのかもしれないが。


 そんなことを、俺と淫乱ピンクは中庭の外れ、いつものガゼボのベンチに座って話していたのだった。

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