第63話 上手く使ってね、わたしの左腕

「いきなり、どうした」

 リカルド先生は一瞬だけ言葉を失ったように俺を見つめ直した後、小声で返してくる。

「いきなりというか、それが一番安全ではないのかと判断しました。何というか、このままだと落ち着かないんです」

「本気か?」

「はい、本気です」

 この身体を震わせるぞわぞわとした感覚が何なのか、はっきりとは言えない。しかし、俺の判断は間違っていないだろう。

 俺の背後から「何じゃ、告白かのう」とかいう言葉が飛んできたが、それを無視して先生の顔を見上げていると、やがて小さな声が返ってきた。

「少し、考えさせてくれ」


 そんなことがあった日の深夜。

 気分転換に、俺は久しぶりにアイテム探しに出ている。ケルベロス君を連れて、暗い中庭を歩いていると、レアアイテムは見つからないがいくつか回収はできたから満足だ。

 そうしていると、白い影を見つけて目を細める。ケルベロス君も威嚇するように吠える。

「こんばんは」

 俺はそれ――幽霊に向かって言葉を投げた。俺に短剣をプレゼントしてくれた、ありがたい相手。

 彼女はガゼボの傍に立った状態で、空に浮かんだ月を見上げていた。不思議なもので、幽霊だというのに足までくっきり見えるのは、ここが日本じゃないからだろうか。外国産の幽霊は日本産とはちょっと仕様が違うのかもしれない。

「……あら」

 俺の声に一瞬遅れて反応し、そっと微笑みながら俺の前に立った幽霊は、小首を傾げつつ俺の腰の辺りに視線を落とした。「活用してもらえているようで、嬉しい」

「とても凄いものをありがとうございます。あの、その後にあなたに対する噂をちょっと聞いたのですが……」

「何かしら」

 ふ、と彼女の形のいい唇が意味深に笑う。明らかに裏のある笑みである。

「こういうアイテムを学園内にたくさん隠しているようだと。その、以前あなたがラウール殿下……男子生徒に説明していた話だと、妹さんだかお姉さんが」

「ああ、それは嘘」

「何故!?」

「素直に『あなたが気に入ったからあげる』と言っても、色々疑われることが多いし、話が長くなるから嫌い。だから、それっぽい話をしているだけ。面倒だし」

「ええ……」

 どういう理屈だよ?

 俺が眉を顰めて疑念を露にしていると、彼女は僅かに肩を竦めてまた空を見上げる。

「最初の相手には詳しく説明したけど、話を聞いたら受け取りたくないって尻込みされちゃうし。だったら、何も説明しないで渡しておいて、運よく動いてくれればそれでいいの」

「……ちょっと意味が解りません」

「うん、ごめんね、詳しく話すつもりはないから」

 そこで、彼女はぐるりと首を回し、人間とは思えない角度で俺を見た。やめて怖い。


「でも、上手く使ってね、その……わたしの左腕」


「は?」

 唐突なその言葉に、俺は間抜けな声を上げる。左腕って何だよ、と純粋に困惑していると、俺の背中側に差してある短剣が自己主張をするように震えた。

「……左腕?」

 と、そっと短剣を服の上から押さえると、少女は笑って消えようとした。

 が、俺はその彼女の腕を掴んで引き寄せた。

「ちょっと、やめてくれない? 普通、幽霊の腕を掴んだりする?」

「すみません、わたしは普通ではないので」

「そうみたいね。あなた、人間じゃないものね」

「解りますか」

「ええ。わたしも似たようなものだし、親近感がわくわね」

「それはどういう……」


 俺はじっと彼女を見つめ、彼女も俺を見つめ返す。ガラスのような透明な瞳だった。

 じいさんはこの子のことを何て言ってたっけ?

 この子が魔道具を造って――。


「まあ、あなたが何て聞いているかしらないけど。この学園に伝わるわたしの存在は、随分と歪められてしまっているわよ? 誰も本当のことを知らない」

「じゃあ、教えてもらえませんか?」

「何故?」

「あなたが可愛い女の子だから?」

「何それ、馬鹿みたい」

「そうですね、よく言われます」

「本当に聞きたいの?」

「はい」

「あんまり気分のいい話じゃないんだけどね」


 少女が苦笑して、いつの間にか俺はガゼボの中にあるベンチに隣り合って腰を下ろすことになっていた。

 静かな夜である。相手が生身の女の子なら普通にデートの構図だが、残念だがそんな甘い空気は存在しない。性別もアレだし。


「普通の、恋がしたかったな」

 少女は唐突にそんなことを言う。

「できなかったんですか」

「恋はしたの。この学園に入学して、魔道具制作に打ち込む彼を見た時、一目惚れした」

「一目惚れ」

「綺麗な顔立ちの人だったけど、あまり身だしなみに気を遣う人じゃなくて。普通の女の子は清潔感のない彼に見向きもしなかった。だから、わたしだけが彼の魅力に気づいたんだって思いあがってた。声をかけて、魔道具の制作に関わって、一緒にたくさん造ったわ。彼、天才だったと思う。何度も研究棟の一部を事故で破壊したりしてたけど、そんなのどうでもよくなるくらいに凄かったの」


 まるでダミアノじいさんみたいだな、と思う。じいさんも事故を起こしてたって言ってたっけ。


 ――まさか!?


 俺の顔芸で考えていることに気づいたのか、彼女が呆れたように笑った。

「あなたの保護者のおじいさんとは関係ないわよ? わたしが死んだのはあのおじいさんがこの学園にやってくる前だし。百年以上……いいえ、三百年以上も前のことだからね?」

「……なるほど」

「あなたのおじいさんみたいに、彼の本性も優しい人だったら、よかったのにね」

「え?」

「わたしは彼の上辺の性格に騙されてただけ。優しいと思ったのも全部嘘だった。彼がわたしをそばに置いたのは、わたしが役に立ちそうだったから。わたしは家族と死別しているし、わたしがこの世界からいなくなっても誰も探さないって解っていたから」


 何だか不穏な響きが含まれてきて、俺は言葉を失っていた。

 いなくなっても、って死んでも、ってことだろうか。


「彼は魔道具制作のためなら冷酷になれる人だったの。新しい魔道具を造るために、色々なことに手を出してた。レアアイテムや魔石とかだけじゃなく、他にも色々な素材を集めて合成したの。その中の一つがわたし」

「……わたし」

「そう」

 彼女は静かに笑うけど、それがちょっと怖かった。

 俺の背中で彼女の左腕がさらに震えていた。

 ここにいるのだ、と叫んでいた。

「人間の身体を解体して、合成したのね。わたし、幽霊になって彼を、そして自分の死体を見下ろしてたわ。怖かったな、あの時は。彼は魔物の死体を解体するかのように、淡々とわたしの身体を切り刻んだの。あれは本当に怖かった」


「……待ってください」

 急に俺は吐き気を覚えたような気がして、手で口元を覆う。でも、彼女の話は静かに続くのだ。

「バラバラになった身体を素材にしてね、色々な魔道具が造られたわ。その中の一つが、あなたが持っているそれ。他にも色々できたけど、彼にとってはあなたの短剣も含めて、納得できる出来じゃなかったんだと思う。証拠隠滅のために学園内の色々なところに隠して、卒業した時に一つだけ持ってグラマンティを出て行った」

「一つだけ?」

「多分、それが問題でね」

 少女は眉根を寄せて困ったように息を吐くが、幽霊の吐息は儚い。俺たちのものよりいとも簡単に消える。

「卒業後の彼はきっと、魔道具制作の実力を発揮して、有名になったはずだわ。それと同時に、持って出た魔道具の強化に明け暮れたんだと思う。わたしはここから動けなかったから見てはいないけど、わたしの身体の一部を使っているんだもの、何となく解った。彼はその魔道具に強大な力を与えるため、生贄を捧げたの。それこそ、一つの国の人間が消えるくらいの生贄を」

「え」


 ――それって。


 俺の身体が強張り、次の言葉を待つ。

 彼女もそれが解っているのだろう、ちょっとだけわざとらしく時間をおいてから続けた。

「わたしの心臓を使って造られた魔道具は、今は魔道具とは呼べない何かになってしまった。人間の血肉を取り込んで、神様に背く呪いになってしまった。そしてそれがね、今はこの学園内に戻ってきているのよ」

「……オスカル殿下が」

「そう、彼の左腕」

 くすくすと笑う彼女の声だけが暗闇に響く。月明かりは現実味のないほどに明るくて、平和な中庭を照らし出したままだ。

「あなただったら、あの魔道具……いえ、呪いを殺せるんじゃないかって思って、短剣を渡したの。何となく、あなたも解ってたんでしょ? あの呪いはあなたの敵だって」


 そう、解っていた。

 俺の中の声がいつだって告げていた。あれを倒せ、と。喰え、と。あれは――獲物なんだ。神具である俺にとって、喰い殺してしまわねばならない敵なんだ。


「わたしは近寄ることはできない。魂だけになってしまったわたしはとても弱くて、近づけば逆に取り込まれてしまう。あの呪いの一部になってしまう。だから、近寄らずに何とかしたくて、色々な人を観察してたの。戦ってくれる人を探してたの」


 そして、彼女は笑いながら言う。


 ――あなたなら、やってくれるって信じてる。

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