第62話 魔法とは違う異質な力

「多分、これじゃろうな」

 今、じいさんは俺の持ち込んだ瓶を目の前に、今までになく真剣な顔をしている。

 じいさんはどこからか本をたくさん持ってきて、しばらくの間、凄い勢いでページをめくっていた。これも違う、これも違う、と次々に床に落とされる本を俺が回収しつつ、やっとじいさんの手がとまったわけだ。

「これ、ですか?」

 俺は本を抱えたままじいさんの手元を覗き込んだ。黄ばんだページに細かすぎる文字の羅列、人に読ませる気あるのか、と思われるほど、改行など無視して書かれた文章。

 しかし、そこには『禁呪』とか『呪術』とか、魔法とは違う異質な力について記されている。

「魔法とは違う……?」

 俺の残念な頭ではよく理解できないのだが、魔法は人間の持っている魔力と、大地とか木々とか自然に宿る精霊だったり、神様の力も借りて成り立つものなのだそうだ。俺は魔法を使えるが、そこまで考えて使っていたわけじゃない。むしろ、自分だけの力で発動するのだと思っていた。

 それに対して、呪術というのは人間の魔力も必要だが、他に代償と呼ばれる生贄も捧げねばならず、そこに人間の悪意や憎悪というものも取り込んで大きくなるのだそうだ。

「今まで見たこともなかったし、お伽噺の類だとも思っておったのじゃがのう」

 と、じいさんは前置きして説明してくれる。

 魔道具に似たもので、呪具と呼ばれるものがこの世界のどこかにあるらしい。

 触れるだけで穢れを受け、よほど力を持った人間でなければ、最終的に訪れるのは死、らしい。

 そんな負の遺産を作り出したのが誰なのか解らないが、遥か昔、そのせいで一つの国が滅びたんだという。たった一つの呪具を作り出すために、その国のほとんどの人間を生贄として差し出された……って、何だろうなあ、それ。

 神社とかにいってお焚き上げしてもらわないといけないようなやつなんだろうか?

 呪われた人形とか、関わったら不幸になる的な? そういう都市伝説とか映画とか、なかったっけ?

 どこかに封印のお札とかあるといいのに。


「眉唾ではないのですか?」

「そう信じたいがのう……」


 ふと、俺とじいさんが無言になって瓶を見つめる。

 奇妙な文字で覆われた黒い蛇は、瓶の中から出られないと判断したのか、大人しくしている。


「しかし、お主が懸念している通り、この呪術……いや、呪具を持っているのがオスカル殿下じゃとすると、厄介じゃの。よほどのことがなければ手出しできん」

 顎を撫でながらため息をつくじいさんに、俺は首を傾げてしまう。

「え? バレなければいいんですよね? ちょっと殴り倒して、気を失ったところで呪具とやらを奪ってくればいいだけの話なのでは」

 ダミアノじいさんが可哀想なものを見るかのような目で俺を見た。

 えええ……。そんな変なことを言ったつもりはないんだが。

「いえ、でも。オスカル殿下が持ち続けるのは危険なんですよね? だったら奪ってきます」

「お主は簡単に言うがの」

「中庭にあった残り香みたいなものも、ちゃんと食べましたし! 大丈夫です、行けます!」


 無言でじいさんが俺の額に手を置いた。

 情熱はあっても平熱です。失敬な!


 でも、真面目な話、放っておいたらヤバいだろうし……と顔を顰めていると、じいさんに頭を撫でられた。

「とりあえず、様子見じゃの。悪いが、リカちゃんには言わんようにな」

「え、何ででしょうか」

「弟がそんなものを持っていると知って、放っておける性格じゃないからのう。ああ見えて、リカちゃんは無謀なところもある。こんなことを知ったら、弟を助けるために手を出して呪具に反撃を喰らって死ぬ未来しか見えん」

「あー……」

 根は甘そうだもんなあ、リカちゃん先生。なるほど、と俺が手を叩くと、じいさんは「お主もじゃ」と額をデコピンしてくる。

 解せぬ。俺は人間じゃないんだから大丈夫なんじゃねーのかな?

 でもまあ、じいさんに口を酸っぱくして「手を出すな」と繰り返されたので我慢することにする。

 とりあえず、残念だけど様子見か。

 ちなみに、瓶に入った蛇みたいなヤツは、後でスタッフ(俺)が美味しくいただきました。


 俺はそこで、そろそろ夕食の準備のためとソファから立ち上がり、台所に立った。毎日のことだから、きっと今晩もリカルド先生が夕食時にやってくるだろう。

 スープも仕込んで、サラダは盛り付けして、鶏肉は下ごしらえを済ませて後は焼くだけ、になった頃、リカルド先生が勢いよく扉を開けて入ってきた。

「リヴィア」

 すげえ怖い顔して俺の前に立ち、俺が中庭の目立つところで淫乱ピンクの胸を揉んだのかと訊いてきたので、「えーと、柔らかかったです」と笑ったら「自分ので我慢しろ」と殴られた。

 自分の、ちょっと小さいから満足度が低いんだよなあ……。


 それから数日の間は、俺は大人しくしていた。眼鏡で淫乱ピンクとオスカル殿下を覗き見しているくらいで、後は神具やら呪具やらの本を読んで過ごしている。

 そして、お昼休みのタイミングで、リカルド先生がオスカル殿下に声をかけているのも見た。渡り廊下で、窓の外はとてもいい天気だというのに二人の頭上にだけは暗雲が立ち込めそうなほど、凄い緊張感が漂っている。

 リカルド先生はぎこちないながらも歩み寄ろうとしたが、オスカル殿下は明らかにそれを拒否していた。そして、その場から先に『逃げ出した』のもオスカル殿下だった。

 先生は困ったようにため息をついて、元来た廊下を戻っていったが、その後でオスカル殿下が振り返り、先生の背中を見送る。

 すげえ暗い瞳で。


 何だかなあ、オスカル殿下の表情が思いつめている感じで怖い、と思う。

 俺、百合には夢とロマンを感じるからどんとこいだけど、薔薇には興味ないし、近親相姦とかも受け入れない質である。まさか、そんなことはないよね、と後日先生に訊いたら、やっぱり殴られた。殴られるのに慣れそうで怖いし、そろそろ自重します。


 そんなことをやっているうちに、試験期間に突入した。試験が終われば夏休みということで、生徒は皆、気合が入っているようだ。

 その頃には、オスカル殿下と淫乱ピンクも授業と試験勉強に集中するためか、放課後デートらしき光景を見ることがなくなっていた。

 そのおかげで、さりげなく俺は何度か淫乱ピンクに接触を成功させている。

 俺に胸を揉まれたということもあり、最初のうちはもの凄く警戒されたが、俺のおだてのテクニックに負けたヴィヴィアンは、少しくらいなら雑談に付き合うようになった。もれなく「金魚の〇〇やらセクハラ魔」やら、嫌味はついてくるけれども。

 でも何となく感じたのは、淫乱ピンクは女友達がいないせいか、孤独の陰をその身に秘めている。だから、俺みたいにちょっと優しくする人間がいれば、ころっと騙される。

 そのうち、壺とか鍋とか洗剤とか売り付けても買ってくれそうな気配がしてきた。


 そんな感じで、さりげなく色々とヴィヴィアンと会話をしていると、夏休みの期間、オスカル殿下に彼の国であるファルネーゼにこないかと彼女が誘われていることを知った。どうも淫乱ピンクは行きたくないらしく、穏便に断る理由を探しているようだった。

 何となくだが、何か起こるなら『その時』なんじゃないかと思う。


「どうしたらいいと思いますか?」

 ダミアノじいさんとリカルド先生に今後の対策を相談すると、二人とも微妙な顔をしていた。多分、誰もが解っていなかったんだろう。どうすれば一番いい結果が導かれるか。

「対応はこちらに任せておけ」

 やがてリカルド先生は短く言う。やっぱり俺は関わらせたくないんだろう、と思われる口調。そんなに俺は頼りないだろうか。俺だって、多少は役に立てると思うんだがなあ。

 不満が顔に出てしまったのか、リカルド先生は苦笑して首を横に振った。

「それより、夏休みにどうだと言われている」

「何がですか?」

「我々の婚約パーティ」

「う」

 すっかり忘れていたことを言われ、そういやそうだったな、と苦笑を返す。どうしたらいいのか解らないので返事は曖昧にしておく。

 それから、リカルド先生がいつものように部屋を出て行く時間になった時、俺は先生をドアのところで見送りに出つつ、小声で提案してみる。


「わたしの主になってもらえませんか?」

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