第61話 まごうことなきセクハラ

 俺が視線を感じた方に目をやると、いつの間にかオスカル殿下が中庭の様子を見に姿を見せていた。

 俺はさりげなく中庭の中央から離れ、一番近くの塔の壁際に寄る。今の俺は姿を消している幽霊みたいなもので、誰も気づかない。それなのに、一瞬だけオスカル殿下が俺の気配を感づいているのか、この場に異質なものがあるのではないかと視線を走らせるのが解った。

 ああ、やべえやべえ。

 一応、俺のことは気づいていないようだが、おそらく中庭にあったアレが消えたことには感づいてる、というか驚いてる。あの黒いヤツは、魔蟲と同じで放っておいたらヤバいことになると思う。だから、消したのは間違いじゃないはずだ。

 俺は思わず、足元で威嚇したままのケルベロス君を抱え上げ、癒しの香り――にーちゃんの頭の後ろに顔を埋め、深呼吸する。ちょっと焦げたような匂いがたまらない、と現実逃避しつつも、オスカル殿下を追ってきたらしい淫乱ピンクが中庭に姿を見せるのも視界の隅に感じていた。


 そして結論。

 オスカル殿下が召喚獣を暴走させた犯人に間違いない。

 俺の右腕が吸い込んださっきの黒い蛇と同じ気配が――いや、それよりも強い魔力がオスカル殿下を取り巻いているのが解るのだ。何だか急にそれを感じ取れるようになったのは、アレを喰ったからだろうか。

 何だろう、静まれ俺の右腕、とかいう残念な台詞を吐きながら手首を押さえたくなるくらい、背中のベルトに差している短剣に手を伸ばしたくなるくらいぞわぞわしているのが解る。


 それに、淫乱ピンク。

 あいつも何だか――汚れてる気がする。本当にささやかに、厭な残り香があるというか。


 どうしよう、と唇を噛んでいると、タイミングがいいのか悪いのか、ジュリエッタさんが中庭を通って図書館へ向かう場面に出くわした。

 隣には相変わらずジーナとマゾ仲間がいて、楽しそうに談笑している。しかし、ジュリエッタが淫乱ピンクとオスカル殿下が中庭の中央にいるのを見て、足をとめる。

 彼女の眉間に現れた皺の存在が、内心の気持ちを示している。彼女が唇を噛んで淫乱ピンクの方へ足を向けたのを見て、俺は慌てて彼女の元に駆け寄った。


「びっくりさせないで」

 唐突に彼女の前に現れた俺を見て、ジュリエッタが悲鳴を飲み込みつつそう文句を言う。でもすぐに、彼女は表情を和らげて微笑んだ。

「でも、訊きたいことがあったからちょうどいいわ」

「そうよ! 探してたんだから」

 ジーナも嬉しそうに俺の横に並び、腕を俺の腕に絡めてニヤリと笑う。「昨日、リカルド先生と二人きりで消えたとか何とか、噂が出てるんだから」

「聞きたいですよねえ」

 マゾ仲間たちも会話に加わり、ちょっとしたざわめきが起こる。しかし、今はそんな話に興じている暇はない。

「ジュリエッタ様」

「何?」

「淫、ヴィヴィアン様のことはこちらにお任せください。今はヴィヴィアン様とオスカル殿下に関わるべきではないと思います」

「どうしてかしら」

 彼女の眉間の皺、消えたところにまた現れる。あんまりそんな顔をしていると、皺が刻まれて戻らなくなると自覚するべき。

「下手にジュリエッタ様が関われば、ヴィヴィアン様はヴァレンティーノ殿下を諦めきれず、取り戻したいと思うでしょう。何しろ、今はジュリエッタ様とヴァレンティーノ殿下はラブラブなんでしょう?」

「らぶらぶ……?」

「それとも、ヴァレンティーノ殿下といちゃいちゃしたり幸せなところを妹君に見せつけたいとか考えていらっしゃるんですか? 間違いなく嫉妬されますよ? ヴィヴィアン様が立ち直れなくなるくらいに追い詰めたいなら別ですが、やっぱり駄目です絶対」

「え、そんなつもりは」

 本気で慌てて首を横に振ったジュリエッタさん、頬を赤くして可愛い。

「大丈夫、任せてください。今後のためにも、ヴィヴィアン様とオスカル殿下が上手く恋仲になるよう、まとめ上げてきます。あの二人は我々と関わらないところで幸せになってもらいましょう」


 まあ、無理かもしれないけどやってくるぜ!

 そう熱く語ってジュリエッタさんの両手をぎゅっと握りしめると、俺の横にいるジーナが不満そうに唸る。

「なんかさ、リヴィアってジュリエッタ様が大好きだよね」

「ジーナも好きです」

「も!? おまけみたいに!」

 唇尖らせて俺の脇腹をつつくジーナを押しやり、何とかジュリエッタ軍団を図書館に向かわせることに成功した。


 で、現在俺はオスカル殿下と淫乱ピンクをストーキング中です。

 俺の姿を消してくれているケルベロス君は、終始この二人を警戒したように毛を逆立てつつ臨戦態勢だし、ハリーですら俺の頭上で落ち着かない様子でもぞもぞしている。

 意識を集中すれば、二人の会話が聞こえてくる。どうやら淫乱ピンクと会話中に、何かに驚いたようにオスカル殿下が中庭の様子を見に行ってしまったようだ。だが、オスカル殿下はそれについては明確な説明をしない。

 ということは、あの黒い蛇に関して淫乱ピンクは何も知らないということなんだろうか。

 当たり障りのない会話が続いた後、オスカル殿下が急に何か用事を思い出したとかでその場を離れた。残された形になったヴィヴィアンは、笑顔で彼を見送って、その姿が消えると笑みを消した。

「……使えない男」

 ぽそりと吐き出した言葉は辛辣だ。

 しかし――淫乱ピンクは自覚していないようだが、絶対お前よりオスカル殿下の方が危険だぞ? 下手なことすると墓穴を掘るって解ってねえな、こいつ。


 ――まあ、いいや。

 俺は呼吸を整えると、辺りをぐるりと見回してから抱きかかえているケルベロス君に「姿を」と囁く。頭のいいハスキー犬、すぐに俺の意をくんでくれた。

 そして、淫乱ピンクに声をかけた。

「こんにちは」

 すると、ぎょっとしたように彼女が俺を見た。気配を感じなかったことに驚いたのか、それとも?

「あら、あなたは確か、お姉さまの金魚の……」

 ――フン、と言いかけたのか。

 すぐに歪んだ笑みを浮かべた彼女に、俺はできるだけ穏やかに、美少女に似合う嫣然とした微笑みっぽいものを返した。

「ジュリエッタ様には大変お世話になっております。以前から、ヴィヴィアン様にもお近づきになりたいと考えておりました」

「えー? だってあなた、モブ、じゃなかった使用人でしょ……」

 眉根を寄せて不満そうに身体を引いた彼女に、俺はさらに詰め寄った。

「何しろ、わたしはただの平民です。高貴な方とお話させていただくのは、とても素晴らしいことだと、名誉なことだと考えております!」

 ――頑張れ俺、女優になってみせろ! 淫乱ピンクに媚を売って、隙を狙え!

「高貴……」

 ふと彼女が頬を緩め、俺を嬉しそうに俺を見つめる。ちょろいぜ、こいつ!

「やはり、高貴な方は高貴な方とお付き合いをされるのですね! もしかして、オスカル殿下と婚約間近なのではないですか? おめでとうございます!」

 両手を胸の前で組み、俺のリヴィアとしての容姿を最大限に活用する。絶対可愛いだろ、今の俺! 我に返ったら負けだ!

 ヴィヴィアンが思わず笑い、それから首を横に振った。

「婚約なんてないわよ。正直、オスカル殿下だけはないわー」

「ええ!? どうしてです?」

 さらに間合いを詰め、ヴィヴィアンの瞳をうっとりと見つめてみせる。「お美しい方同士でお似合いですのに!」

「あら、解ってるじゃない」

 ヴィヴィアンは警戒を解いたらしく、声音を和らげて続けた。「オスカル殿下は怖い人だもの、深入りしたら大変なの。だから、適当に利用して……じゃなかった、うん、もっといい人を探すの」


 ――こいつ、救えねえな。


 もちろん、そんなこと正直に言うことはない。

 俺はうんうん頷きながら、適当に話を合わせる。

「そうですよね。ヴィヴィアン様でしたら、もっと素晴らしい男性を狙えるでしょうから。ぜひ、頑張ってください」

 そんな心にもないことを言いながら、こっそり目の前の彼女の胸元を観察した。俺やジュリエッタさんより大きな胸である。

 しかし、そこには確かに、黒い何かがあった。

 もやもやと蠢くそれには、意志みたいなものまで感じられて、ちょっと気持ち悪い。

「ああ、ヴィヴィアン様って女性らしい体つきをしていらっしゃるんですね」

 と、俺はそっと自分の胸を見下ろした。残念ながら、まな板がそこにはある。まあ、触れば若干、柔らかいのだけれどほぼまな板だ。

「えっ?」

 急に何を言い出すんだ、とヴィヴィアンが身体を引いた。

 俺が今、女の子でよかった。こんなことを言ったら、世が世ならセクハラで訴えられる。

「わたしの胸、本当にこんな感じで。その、言いたくはないのですが、ジュリエッタ様もほら……残念ですよね?」

 ぷっと彼女が吹き出した。きっと、ヴィヴィアンもジュリエッタの胸を思い描いた結果だろう。

「羨ましいです。ほら、わたしもヴィヴィアン様のように女の子らしい体つきなら自信が持てますのに。あの、ちょっと触っても……?」

「え、厭よ!」

 さすがに俺の言葉に驚いて、ヴィヴィアンが信じられない、と口を大きく開いて拒否する。でも、そこはそれ、今は女同士である。触っても許される! 許される! よな!?

 ヴィヴィアンが俺の視線に気づいて胸を守るように両手で覆うも、俺はわきわきと両手を動かしつつ彼女に迫る。

「知らないんですか、ヴィヴィアン様? 形の良い大きな胸を触ると、自分も胸が大きくなるというジンクスがあるんですよ!」

「知らないわよ、何それ!?」

「だから、ちょっとだけ! ちょっとだけですから!」

 そんなエロ親父が言いそうなことを繰り返しつつ、俺は後退って逃げる彼女を追いかけ、手を伸ばした。

 これは、まごう事なきセクハラ!

「え、あ、ちょ、いやあぁぁぁあ!」

 よし、揉んだ! と見せかけて、俺は彼女の胸の中にある黒いものを右手で掴んで引きずり出した。おそらく、淫乱ピンクには見えていない。その証拠に俺の右手を見ようともしない。

「ありがとうございます! これでわたしも胸が大きくなるはずです!」

 と叫んでから頭を下げ、一目散に逃げだす俺。

 まあ、揉んだけどな。正直に言えば柔らかかったです。

 いやほら、一応揉んでおくというのはフェイクというか何というか。胸からアレを引きずり出したことを気づかれないための、念のための……な?

 俺は淫乱ピンクから見えないところまで逃げると、物陰に隠れて右手の中にある小さな蛇を見た。やっぱり、びっしりと書かれた文字列で蛇のように見えるけど、蛇じゃない。魔蟲でもない。

 俺はそれを魔法で作り出した瓶の中に封じ込め、ダミアノじいさんに見てもらうために持ち帰ることにした。


 まあ、この一連の流れを一部の生徒が見ていたようで、俺が女の子の胸を揉んだと噂が流れたのも後で知った。まあ、それは仕方がない。想定内である。

 後日、リカルド先生には「何をしてるんだ」と頭を殴られたけれど、本当に仕方なかったんだ。俺は悪くない。

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