第60話 餌だ
「で、結婚はいつじゃ」
朝からダミアノじいさんは頭の中が平和だ。俺の焼いたパンをもぐもぐとやりつつ、じいさんは楽しそうに色々話をしてくれた。昨日、俺とリカルド先生についての噂がどう回っていったか、である。
ロマンス好きな女子どもがきゃあきゃあ言っておったぞ、とじいさんは笑う。
うん、まあ、そうか。
聞かなかったことにしよう。
「結婚はともかく、訊きたいことがあるんです。神具についての資料とか、図書館とかにありますか?」
俺はベーコンの上に乗った半熟たまごの黄身をフォークで潰しながら、今日の予定のことを考えてみる。
今まではどうも他人事のように思えて放っておいたんだが、リヴィアのこと――神具についてもっと知っておくべきだと思うのだ。
「それなら」
そこで、じいさんが軽く左手でテーブルを叩く。すると、何もなかった空中から、ばさばさと音を立てて数冊の本が落ちてきた。乱雑に床に落ちたようだったが、全部綺麗に閉じた状態で積まれてあった。分厚く、背表紙も傷んでいるような年季物の本が五冊ほど。
「お主を拾った際に、わしも色々調べたのじゃよ。その中で、信用できると思われる記録はそのくらいじゃの」
「意外と少ないんですね」
「実際に神具を手にする人間は限られておるからのう。眉唾のような噂も出回っておるし」
じいさんは少しだけ表情を引き締め、俺の顔を観察している。昨夜のうちに、俺はじいさんに前世の記憶を取り戻したことを説明してある。リカルド先生に伝えたのと同じ程度のことを。
俺が落ち込んでいるせいもあって、何かとじいさんは冗談めかして気分を上げようとしてくれているのが解る。
こうして考えてみると、俺は随分と運が良かったんだな。じいさんもリカルド先生もいい人だし、信用できる。
俺は椅子から立ち上がり、本を抱え込んでソファへと向かう。すっかり食欲は失せていたから、一番上にあった本のページを開いて読み始めた。
何やら歴史書みたいな感じで、世界の始まりに神様が神具を作った、みたいな話から始まっている。
「違和感があるんです」
「何がじゃ?」
「わたしがこちらの世界で目が覚めた直前、引っ張られた気がするんです。何というか、わたしを『餌』だと呼んでいたような……その、神具であるリヴィアがそう呼んでいた、ということになるのかと」
その辺りは上手く説明できない。
ただ、単純な生まれ変わりとは違うような気がしている。
俺は死んだ瞬間に餌として狙われた? でも、それに対抗して――相手を喰った気がする。喰ったというか、噛みついたというか。
うーん、と首を傾げていると、じいさんも似たように首を傾げて言った。
「元々、お主の存在が……なんじゃったか、シンジ? シンジの存在自体がおかしいとも言えるからのう。可能性としては、おそらく『生贄』みたいなもんじゃろ」
「生贄?」
「神具やら魔術具やら、時々じゃが生贄を欲するものが現れるのよ。おそらく、他のところから血肉を得て、己の力にするんじゃろうな。リヴィアはわしの元でそれなりに大人しくしておったから、魔蟲の退治にも積極的には関わっておらん。そのため、餌が足りんかったと言えるじゃろ。そこに、運悪くお主が現れた? そういうことかもしれん」
「運でしょうか。他に理由などなく?」
「リヴィアもちょうど、階段を突き落とされたところじゃったろ? 普通の状態であれば、そんな――あんな女子に突き落とされて受け身も取れなくなるのはおかしい。きっと、リヴィア自身が弱っておったんじゃろうな。そこに、無作為に選ばれた餌がお主、と考えるのが自然な気もするのう」
「うーん……」
ってことは、俺は生まれ変わってきたわけじゃなくて、魂が呼ばれただけって感じなんだろうか。
向こうの世界で死んで、魂になった瞬間にあの『事故』が起きた、と考えるべき?
軽く背筋を伸ばして天井を見ると、ソファが軋んだ音を立てる。
俺はおそらく、リヴィアを喰った側なんだ。俺の中からリヴィアらしき声が聞こえたりするのは、取り込んでしまったから?
その辺りはよく解らない。
でもきっと、俺は元の世界に戻れないし、この身体のままで生きていくしかない。そして神具として、いつか主を選ばなきゃいけない時がくる。無理やり誰かが俺を手に入れるのを待つより、いっそのこと、もう決めてしまってもいい。
逃げ続けるなんて面倒くさい。
これは考える余地ありだろ、と天井を見上げたまま唸る。
「さて、わしはちょいと昨日の後片付けに出てくるぞい」
やがて、朝食を終えたじいさんが椅子から立ち上がる。食器の片付けは俺がやる、と仕草で示すと、じいさんは軽く手を挙げて部屋を出て行った。
どうやら、体育祭と剣術大会が立て続けに問題を起こして中止になってしまったせいで、学園長の管理責任がどうとか、来客側から色々言われているようなのだ。騒いでいるのは、将来有望な騎士をスカウトしたかったどこぞの騎士団のお偉いさんで、ダミアノじいさんの後片付けというのはそういった彼らの対処も含まれている。
うん、お疲れ様です。頑張ってきてください。
俺はその後、中途半端になっていた食事を済ませ、部屋の掃除をした後に読書に嵌る。神具とは何ぞや、と色々考えさせられつつ、放課後はジュリエッタさんのことが気になって眼鏡で彼女の姿を探した。
ジュリエッタさんはヴァレンティーノ殿下と一緒にいて、元気そうだった。何だか最近は、貴族とか平民とか関係なく、彼女の周りには女生徒が集まっている。ヴァレンティーノ殿下も神妙な顔つきで色々な生徒と接していて、ヴァレンティーノ殿下の友人たちも最初のうちは気まずそうにジュリエッタに接していたものの、少しずつ打ち解けているようだった。
大団円は近いのかな、とも思うのだが。
しかし、淫乱ピンクが大人しいのが気にかかる。
女友達のいないらしい彼女は、最近はほとんど一人で行動している。周りの人間は彼女を腫れもの扱いのようにしているし、近寄ろうとはしない。
自業自得とはいえ、ちょっとこのまま放置するのは危険な予感もする。何だか最近のヴィヴィアンの表情は、病んでいるように思えるのだ。気のせいならいいんだが。
そして、リカルド先生の弟のオスカル殿下。こちらもちょっと危険な感じだ。
リカルド先生も『後片付け』にかかりきりなのか、まだオスカル殿下に接触する時間はなさそうだ。
俺が眼鏡で覗いている限りでは、二人は当たり障りのない会話をしながら中庭を歩いていたりする。
ただ――何だろう。
厭な感じがする。穏やかな笑顔のはずなのに、黒いものを感じる。
それに、彼をじっと見つめていると、俺の中の神具が蠢くような気がするのだ。何だろう、この感じ。背筋がぞわぞわする。
気になるからケルベロス君を連れて近くまで行ってみようか、と足元で伸びているハスキー犬を撫でた。台所にある野菜が入った籠の中にはハリーも昼寝をしていて、暇そうだ。
俺は思わずハリーを頭の上に乗せ、ケルベロス君も連れて外へ出た。
「もう試験なの? 早いわよねー」
「でも、それが終われば夏休みよ」
などと、お気楽な様子で話をしている女生徒たちの横をすり抜けつつ、中庭へと向かう。放課後、暇な生徒は多い。購買でおやつを買って塔へ帰る生徒もいれば、友達と立ち話をして時間を忘れている生徒もいる。
賑やかで、平和な空気。
オスカル殿下たちはあっちだな、と視線は中庭の奥に向かうも、何だか中庭全体が厭な気配を放っているような気がして足をとめた。
そういえば、この上に競技場を作ってたんだよな、と空を見上げる。もう解体されてしまったので、そこには何もない。
しかし。
「くー、くー」
と、頭からずり落ちそうになったハリーが不満そうな鳴き声を上げつつ、微妙に警戒しているような気配も放ち始める。
「あなたも解りますか」
そう言いながらハリーを撫で、俺の横で唸り声を上げそうなケルベロス君も牽制しつつ撫でる。
よくよく目を凝らすと、魔法の残滓のようなものがうっすらと靄のように空にかかっている。
でも、魔法じゃないんだよな。何だ、あれ。
さらに目を細めてみると、その靄が空から地面へと落ちていくような筋を描いているのも見えた。
――あの魔方陣みたいなヤツだ。
唐突に頭の中に浮かんだのは、倒された召喚獣の額にあった魔方陣のようなものだ。異質な雰囲気のあった光。あれが残り香のようにそこにある。
どんだけ強いんだ?
普通、魔法は発動しても消えてしまえば気配も何も残らない。でも、目の前にあるものは違う。
俺の足が自然と動き、靄が落ちた下の方、中庭の地面へとたどり着いた。
きっと俺以外の目には見えないのかもしれない。中庭にたくさんの生徒の姿はあるが、陽炎のように立ち上るその黒い気配に気づく人間はいない。
俺はその陽炎に手を伸ばす。
ぱちん、という静電気のような音がして、跳ねのけられた気がした。
俺を拒否する音だ。
しかしそれと同時に、俺の中のリヴィアが叫ぶのだ。
『餌だ!』
俺はその声に突き動かされるように、陽炎の生まれる場所、地面へと腕を突っ込んだ。何かを掴んだ、と思った瞬間に思い切り引き抜く。
ずるり、というある意味気持ちいい感触。細長い野菜を引っこ抜いたような気分になる。しかし、まるで蛇のような真っ黒で細長いものが俺の右手の中で蠢き、ぎちぎちと声を上げていた。
気持ち悪いと思わなかったのは、それが生き物ではなかったからかもしれない。
黒い蛇は肌と思えるようなところ一面に、細かな文字が刻まれていた。俺の知らない文字だ。
その文字が黒いから黒蛇に見えるだけで、生き物じゃなくて……。
何だこれ、と考えるより先に、俺の手のひらの中にそれは吸い込まれた。
その文字の羅列は、悲鳴を上げながら俺の中に吸い込まれていき、そして吸収される。
そう、餌として。
美味しかった、とリヴィアが笑った気がした。
――え、俺、ヤバくない?
ちょっと自分自身にドン引きしたものの、気が付けば中庭にあった厭な気配はすっかり消えていて、以前と同じ美しい光景がそこにはあった。
誰も俺がここにいることには気づかないはずなのに、誰かの視線を感じたような気がする。
誰か――おそらく、オスカル殿下の視線だ。
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