第57話 幕間 8 オスカル
「……一体、どうしたんだ」
葬儀のために一時的に帰ってきた兄は、僕を見て驚いて目を見開いた。何に驚いたのか解らず、自分の姿を見下ろした。いつもと変わらないはずだ、と首を傾げて彼を見上げると、どこか痛まし気に僕を見つめ直す瞳があった。
「あまり、無茶はするな」
「無茶? してませんよ?」
気遣われたのではなく同情されたと気づいたのは、墓地へと向かう兄の背中を見ていた時だった。死者を送り出す儀式は、密葬とも呼べないくらいにささやかに、王族とその関係者のみで行われた。兄は終始、強張った表情で宙を見つめていて、その横顔は冷徹であり強さを感じさせる。しかし、それと同時に彼の脆さも見せつけているようだった。
母を失い、悲しみに沈んでいるだろうに気丈に振舞っている兄。昔から彼を慕っていた人間たちに慰めの言葉をもらっているのを見て、何て自分とは違う存在なのだろうと改めて思ってしまう。
父さえも沈痛な面持ちで兄に接し、優しく彼の肩に触れる。
父が僕に笑いかけたのは、最後はいつだっただろう。あんな風に肩に触れられたことなど、ここ最近、一度もない。
僕の周りにいる人間は、僕の母を気にして必要以上にこちらに歩み寄ってはこない。僕の傍にいるのはいつも母だけで、あの狂人を人間であるように必死になっているのも僕だけだ。
父には顧みられず、僕はただ一人で――。
苦しまなくてはいけないのか。
何故、兄だけがあんなにも恵まれているのだろう。
売女の息子である彼だけが。
僕の方がずっと、血筋的には上だというのに。母の方がずっと、由緒ある血を引いているのに。
何故、僕や母を敬うはずの側近たちにさえ、あんなにも憐れみの感情を込めた目で見られてしまうのだろう。そんなにみっともない存在だったのだろうか。
兄に少しでも近づこうと、勉強もした。家庭教師として名のある魔法使いを呼び、魔法も習った。それでも、距離は遠ざかるばかりだった。
兄はもう、僕に笑いかけてはくれなかった。
「いつか、あの子はあなたの邪魔になるわ。何とかしないとね」
母は僕の左手首に触れ、その細い腕から呪具を外した。代わりに僕の手首にかしゃりと嵌められ、それはまるで手枷のように重みを与えてくる。
手枷は生きていた。呪具というからには呪いの塊なのだろうか、本当のところは解らない。見た目はただの装飾品であるのに、肌に当たる部分は獣の牙のように手首に食い込み、痛みを与える。そして、僕の身体の中にある魔力を奪い、力を得る。
美しい輝きを放つ呪具は、いつだって呪詛を吐き出すことを望んでいた。邪魔な人間を殺せと僕に囁き、僕はそれに抗うこともできない。
いつしか呪具の願いは僕の願いに変わる。
兄を殺し、その瞳を生贄に捧げよと、朝も昼も、夜も夢の中でさえ、囁き続けるのだ。
「オスカル様は、生まれ変わりって信じます?」
急遽、剣術大会の中止が決まったせいで屋台が片づけに入ろうとしている最中、僕とヴィヴィアンは一つの屋台の前で足をとめていた。女の子が好きそうなクリームの乗ったミルクティを二つ買い、僕は片方を彼女に渡す。
「生まれ変わり?」
僕は彼女がカラフルな色のストローでミルクティを吸い上げる様子を見つつ、そっと首を傾げて見せた。すると、ふふん、と彼女がどこか自慢げに笑うのだ。
「そうです。人間ってね、生まれ変わることができるんですよ。辛い思いをして、苦しめば苦しむほど、死んだ後に幸せな新しい人生をもらえるんです」
「それは……素敵なことだね」
「でしょ?」
彼女の足取りは、やっぱり踊るようだ。それを見ていると、彼女はこの世界の人間ではないようにすら思える。
「わたしはですねえ、幸せな人生のやり直しをしているんです。この世界では、きっと幸せになれるの。でも、努力しなきゃいけないんだわ」
「努力?」
「そうです。だって、どんな世界に生きようと、邪魔な存在はたくさんあるんだもの。それを排除しなきゃ、心の安らぎなんてもの、絶対にやってこないでしょ? 幸せは掴み取るものなんですよ」
くるりとその場でダンスをするかのように周り、可愛らしいポーズを取る彼女。あまり貴族らしくはないが、とても好ましいと思う。
彼女の内面の醜さが、僕によく似ているから。
幸せを手に入れるために足掻く滑稽さが、とてもよく似ているから。
ヴィヴィアンは自分の幸せを手に入れるために、自分の姉の死を願った。そして、僕はその手伝いをすることに同意した。
その理由は単純だ。
ヴィヴィアンのためじゃなく、これは自分の欲望のためなのだ。
この少女は利用できる。
今、僕の兄はこの学園でそれなりの地位を築いている。学園長にその実力を見込まれ、この国に引き留められていることも僕は知っている。
兄は売女の葬儀の後、ファルネーゼの姓を捨てて縁を切り、このグラマンティの人間となった。王位継承者が僕だけとなり、僕の母は歓喜した。僕に「売女の息子を消さねば駄目だ」と詰め寄ることはなくなり、多少の平穏が訪れたと言える。
僕がグラマンティに入学し、兄のことをそれとなく周りの人間に訊いて情報を集めると、彼はとてもここで充実しているのだろうと窺い知れた。
兄に魔法を教えたというダミアノという老人は、兄よりもずっと魔法使いとして優秀らしい。あの兄も彼を慕っていると聞いて、僕の心がざわつく。一番に存在が邪魔だと感じたのはその老人だ。
それともう一人。
ダミアノの新しい弟子とかいう、銀髪の少女リヴィア。この少女も、兄が目をかけていて、魔法を教えて大切にしているという噂を聞いた。
兄を傷つけようとするなら、当人ではなくその周りの人間にすべきだと思う。身体に付けられた傷はいつか治るが、心につけられた傷は一生残る。彼が大切に思うものを奪うことを考えるだけで興奮できる。
ただ、優秀な魔法使いであるダミアノを傷つけることは、今の僕では力不足だろう。リヴィアという少女もまた、どこか計り知れない何かを持っているようだ。だからこそ、兄が気に入っているのかもしれないが。
しかし、ヴィヴィアンの姉とリヴィアの仲がいいという事実、これは利用できるはずだ。攻撃しやすい弱い部分を狙う。
間接的ではあるが、リヴィアが傷つけば何らかの感情を兄に与えることができるだろう。
証拠は残さない。
僕の左腕には、所狭しと刻まれた呪詛の文字列が浮かび上がり、とても人間の腕とは思えないほどにまでなっている。この力を使えば、何かを起こせる。この力さえあれば、いつか兄を殺せる。
いや、殺したくはない。
本当は殺したくはない。
昔みたいに、もう一度だけでもいいから笑って話し合えるように――。
駄目だ、そんな馬鹿なことを考えてはいけない。呪具が叫んでいるじゃないか。生贄をよこせ、と。毎日少しずつ、魔力を失って力がなくなる呪具。僕の魔力も随分と吸いとられ、最近は少しずつ僕の体重も落ちてきている。まるで、母を見ているようだ。枯れ木のようになった母の肉体、あれが僕の行きつく果てなんだろう。そうならないために、新しい生贄が必要だ。
兄の両目。
ああ、駄目だ。それは駄目だ。兄が僕を二度と見られなくなるようなことになるのは、駄目だと思う。
だとすれば。
「そう言えば、オスカル様の使った魔法、あれって何だったんですか?」
そのヴィヴィアンの声に我に返り、僕はぱちぱちと瞬きして彼女を見つめた。
ヴィヴィアンは飲み終わったミルクティのカップをゴミ箱に捨て、また僕の前に駆け寄ってくる。
「ほら、召喚獣にわたしが転写した、オスカル様の魔法ですよ」
うふふ、と笑う彼女の笑顔は無邪気だ。
無邪気だからこそ、不用意にそんな会話を外でできる。まあ、僕らの会話を聞いている人間は近くにはいないけれど。
召喚獣の暴走。
僕は左手の呪具を使い、召喚獣に悪意を注ぎ込む呪いを放った。僕がヴァレンティーノや他の連中に接触するのは難しいから、ヴィヴィアンにその呪いを移し、彼女の言葉と共に吐き出された呪術。
間に中継する存在を挟んだせいで、呪いは少し弱まってしまった。そのせいで、最初の狙いであるジュリエッタを召喚獣に食い殺させるという目的は途中で阻まれてしまった。
しかし、別にこれは無意味な結果じゃない。
呪いを定期的に吐き出しておかないと、僕の身体に呪いが溜まりすぎてしまう。痛みが激しくなる一方になる。だからこそ、誰かを攻撃させて痛みを和らげる。
ただ、これはその場しのぎの応急手当にしかならない。
痛みを抑えるためには、僕が母のようにならないようにするためには、やはりどうしても呪具に餌を与えないといけないのだ。
「攻撃魔法の一種なんだけどね、あまり、上手くいかなかったみたいだね。次は失敗しないようにするよ」
僕はそうヴィヴィアンに嘘の説明をしつつ、できるだけ優しくなるように微笑んだ。
すると、彼女が不思議そうに「ふうん」と返してくる。
ヴィヴィアンはとても素晴らしい少女だと思う。薄紅色の髪の毛は、失われたとされる血筋の証拠。とてつもない魔力の持ち主である証。
その瞳は、とても綺麗だ。
本当に、綺麗だ。
その美しい瞳を見つめながら、笑い続ける。
今の僕は母と同じだ。狂っている。
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