第55話 血がつながっているからこそ

「一体、何があったんですか?」

 淫乱ピンクが笑顔のまま全員の顔を見回し、ふと目を細める。ジュリエッタとヴァレンティーノ殿下は寄り添っている状態だし、リカルド先生とラウール殿下は俺のことで争って(?)いるし、目ぼしい男は赤毛――ダンテとブルーハワイ、ヴァレンティーノ殿下の学友の少年の三人だ。どう考えた結果なのか解らないが、彼女はダンテに近寄って、いつもの元気で魅力的だと思われる笑顔を彼に向ける。

「誰もお怪我はないんですよね?」

 そう続けて確認すると、赤毛は若干、困惑したように身を引きつつ言った。

「ええ、大丈夫です。あの、今は取り込んでいるので」


 そんな様子を見ていると、自分でもよく解らないが淫乱ピンクの存在自体に厭なものを感じた。

 元々、俺は最初に彼女を見た時から本能的に受け付けないものを感じていた。ここ最近は、理由は解らないがもっとそれが強くなってきている。


「……まあ、いい」

 リカルド先生が我に返ったように視線をラウール殿下に戻し、小さなため息をこぼした。「最後に一つだけ確認したいのだが、ラウール殿下、君は暴走した召喚獣に何か異変を感じなかっただろうか」

「異変?」

「手っ取り早く『消して』しまったのは、私も迂闊だったかもしれない。あの召喚獣に、何らかの……魔法を感じた。暴走を促すような、何かだ」


 ああ、と俺も思い出す。巨鳥の額に感じた魔方陣らしきものだ。

 俺がそっと手を挙げたが、それに気づかずラウール殿下が首を横に振った。

「すまないが、気づかなかった」

 そこに、今度はジュリエッタが口を挟む。

「そう言えば、あなた、試合が始まる前に声をかけていたわよね?」

 と、彼女の視線が淫乱ピンクに向いた。「ルカ様に何て言ったの? その時、何かあったかしら?」

 ルカ様? と俺が視線をヴァレンティーノ殿下の学友に向ける。魔法騎士科、剣を振るというわりには気の弱そうな真面目な雰囲気の少年。彼は急に話を振られて驚いたようだったが、心当たりはないと言いたげに首を横に振る。

 しかし、淫乱ピンクは過剰に反応した。

「どういう意味なの!? お姉さま、わたしに何を言いたいの!?」

「え? だから、何か気づいたことはないのかと」

「最低だわ、お姉さま。いつだってそう、お姉さまはいつだってわたしを悪者扱いするのよね! わたしが何かしたって決めつけるんでしょう!?」

「え、ちょっと」

 激高したヴィヴィアンをとめることは誰もできない、というかとめる気がないのかもしれない。皆、急な変貌に驚いて彼女を見つめていたし、言葉を失っていた。

「何なの!? わたしが変な魔法を使ってお姉さまを襲わせたとか言い出すつもり!? そういうの、でっち上げって言うんだから!」

「いえ、だからね」

 ショックを受け、肩を震わせる淫乱ピンクの姿。怯えたように後ずさり、いかにも被害者のように弱々しく首を振り、ぼろぼろと涙をこぼす彼女。

 さすがに一番近くにいた赤毛が、ぎょっとしたように表情を強張らせ、何か言おうと口を動かすも言葉は出てこないでいる。

「わたしは何も知らない! 知らないんだから!」

 胸の前で手を組んでそう叫んだ彼女は、くるりと踵を返して個室を出て行ってしまう。

 挙動不審になった赤毛は、『追った方がいいんだろうか』と言いたげにヴァレンティーノ殿下を見るも、殿下は苦笑しながら首を横に振った。


 嵐のようだった。何しにきたんだ、淫乱ピンク。

 俺がそう思いながら、そういや手を挙げたままだった、と気づく。ゆっくり手を下ろすと、リカルド先生はそんな俺の動きに気づいて眉を顰めた。


「妹がごめんなさい。というか、わたしが狙われたというのも仮定ですわね?」

 ジュリエッタが疲れたように息を吐き、リカルド先生に声をかける。

「ああ。その可能性が高いというだけだ。だから、今後は身の安全に気を付けて欲しい。万が一ということもある」

「解りました」

 ジュリエッタは静かにそう返すと、そっとヴァレンティーノ殿下を見上げて微笑む。「守ってくださいますか?」

「もちろん」

 そう返す殿下の声は優しく――くそ、リア充め!


 とにかく、ここはいったん解散か、という空気が流れた時、泣いて肩を震わせている淫乱ピンクを守るようにして寄り添う少年が姿を見せた。オスカル・ファルネーゼ殿下である。


 ――もう勘弁して欲しい。


 そう思いながら、俺は思わず隣にいたジーナの手を掴んだ。何だか、急に不安に駆られたというか、奇妙な感情が俺の中に生まれている。嫌悪感だろうか、それとも……何だろう、本当に。俺の中の本能が、オスカル殿下を敵だと認識しているようだ。

 ジーナは困惑したようだったが、俺が怯えているように見えたのか、もう片方の手で抱きしめるようにしてくれる。


「失礼します、リカルド先生?」

 穏やかに微笑むオスカル殿下は、冷ややかに兄であるリカルド先生を見つめて個室の入り口に立っていた。この場にいる誰よりも優男的な見た目であるのに、妙に迫力のある笑みである。

「どうかしましたか、オスカル殿下」

 急にリカルド先生の声が低くなり、そして敬語に変わった。学園内はあまり身分というものに関係なく、生徒に対しては簡素な言葉遣いであるのに、今は慇懃無礼を絵に描いたような態度に変わっている。

「ヴィヴィアン嬢を慰めてくださっていたのですか。感謝します」

「何があったのか訊いてもいいですか? ヴィヴィアン嬢がこれほど傷つくようなことをおっしゃったのですか?」

「いいえ、ただの誤解です。誰も彼女を傷つけるようなことは」

 そうリカルド先生が言いかけると、当の淫乱ピンクが目を吊り上げてジュリエッタを睨む。

「お姉さまがいけないのです! わたしを悪者にしようとするから! 誰も解ってくれない!」

「だからね……」

 ジュリエッタは額に手を置いて、深いため息をつく。どっちが悪者なのか、と誰もが疑問に思い始めた時、ヴィヴィアンはオスカル殿下の腕を振り払ってまた出て行ってしまう。

 何というか――作られた演技。わざとらしさが残るやり取りと動き。彼女は自覚していないんだろうか。もし、ジュリエッタを本当に悪者として仕立て上げるなら、もっと上手くやらんと駄目だろ、と言いたくなるほど。


「……とにかく、この競技場は解体されます。もう、剣術大会も今回の『事故』で中止ですから」

 リカルド先生は呆れたようにそう言って、皆も出て行くように促す。

 少しだけ微妙な空気が流れたが、一番最初にオスカル殿下が動く。わざとらしい上辺だけの友好的な雰囲気を作り、リカルド先生の前に立った。

「一部の生徒を贔屓するのはどうかと思いますよ?」

「……ご忠告に感謝します。贔屓はしていないのですが」

 二人の見えない敵意は誰の目にも明らかだった。おそらく、俺以外の人間は二人が兄弟だということは知らないだろう。だから、オスカル殿下がヴィヴィアンの後を追って出て行くと、困惑した様子でリカルド先生を見た。だが、先生は何も説明する気がなさそうだ。


「厄介だな」

 その場にいた全員が出て行って、先生と俺がその場に残ると小さく呟く声が聞こえた。

「再確認しますが、本当に兄弟なのですよね?」

 俺がそう彼に問いかけると、疲れ切った彼の目がこちらに向いた。彼は何も応えてくれないようなので、さらに続ける。

「血がつながっているんですよね? 何だかとても……こじれているというか、怖いことになっていませんか?」

「……まあな」

 先生はやがて薄く笑う。何だか珍しく、先生が弱々しく見えた。ただ疲れているだけじゃなく、どこかに痛みを覚えているような顔だった。

「もう、私たちはどうにもならないだろう」

「でも、どうしてあんなに敵対心というか……その」


 別に、不仲である二人をどうにかしようと思ったわけじゃない。単純に疑問だった。兄弟であるなら、もう少し……上手く言えないが、歩み寄る余地もあるのではないかと思ったのだ。


「血がつながっているからこそ、上手くいかないこともあるんだろう。私もどうしたらいいのか解らない」

「血がつながっているからこそ?」

「プライドとか、確執とか、妬みや嫉み、色々なものが積み重なりすぎた。修正は不可能だろう。離れている時間も長すぎた」


 ――何だろう、胸がもやもやする。

 俺は思わず自分の胸を手で抑える。そして、急に頭の左側に鋭い痛みが走る。


 血がつながっているからこそ。

 離れている時間が長すぎた。


 兄と弟。


 半分だけ血がつながっている。


 俺にも弟がいた。

 前世で、俺にも弟がいて、それから。


「兄貴だけ幸せに生きていられると思うなよ」

 そう言った顔がぼやけている。俺の失った記憶の一部だ。思い出せない前世の一部だ。

「何だよ、兄貴だけいい暮らししてんじゃねーかよ。何でだよ」

 俺の弟がそう吐き捨てた。憎悪の混じった声で、俺を罵っていた。


 俺は。


 ふと、視線を落とす。そこには、ぼんやりとだが男性の身体があった。Tシャツとジーンズという格好で、平均的な少年の身体つき。

 ああ、これは『俺』の身体だ。前世の俺。前世の記憶、光景。


 ただ俺の腹には、ナイフが生えていた。

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