第54話 俺の見せ場は?

 背後にジュリエッタたちの戸惑いと混乱を感じながら、俺は短剣を握った手に力を込めた。戦うと決めた瞬間に、短剣が俺の身体の中から力を引っ張り出す。前回は喪失感を感じたそれも、今はアドレナリンが出ているのかぞくぞくして心地よい。

 ケルベロス君の躰も膨れ上がり、元々の雄々しい姿へと変貌する。艶やかな毛並みは、その攻撃性を見せつけるかのように逆立っていた。


 ――さて、来やがれ!


 短剣を構えると、それがいつの間にか細身の剣と呼んでもおかしくないくらいの大きさになっている。剣からは凄まじい魔力が発せられていて、その中に俺の気配も感じられる。

 そのせいなのか、その剣は俺の手にしっくり馴染み、身体の一部のような気すらした。


 目の前に迫ってきた巨大な鳥を見すえつつも、俺と――そして俺の中のリヴィアが興奮してぞくぞくする。血湧き肉躍るとはこのことだ。


 だが。


「リヴィア!」

 競技場の中央から、視界に入れたくない問題児、ラウール殿下が観客席の椅子を蹴るようにして宙を駆けてきているのが見えた。逃げ惑う生徒を上手くすり抜け、彼に似合う大剣を構え、何か叫ぶ。

 すると、彼が呼び出した召喚獣である六本足の獣は、大きく咆哮してから背中の翼を動かした。とても空を飛びそうにない、巨大な獣。幾分、躰が重そうだったが、一度飛んでしまえば辺りに突風を巻き起こしつつあっという間にこちらにやってくる。


 ――マジかよ。


 何故か個室へと一直線に飛んでくる巨大な鳥に向けて、ラウール殿下が何もない宙を剣で一閃。すると、空気を裂いて見えない刃のようなものが飛び、客席の一部を切り裂いた後に巨鳥を襲う。ラウール殿下の召喚獣もそれに続いて攻撃を開始する。

 しかし、その攻撃を察知した鳥は素早く旋回し、刃を避けてラウール殿下を睥睨した。嘲るようにその嘴を震わせた後、それでもまた俺たちの方へ視線を戻す。


 違和感を覚えたのはこの時だ。

 明確な殺意をこちらに向けている召喚獣。呼び出した人間に絶対服従だと聞いたことがある。しかし、競技場の中央に残った少年が必死に何か呼びかけているのに、巨鳥はそれに反応しない。

 そして気が付くのは、鳥の額にうっすらと輝くものがある。

 目を凝らしてみると、何かの文字――いや、小さな魔方陣のように見えた。輝く文様が明滅し、そのたびに鳥が身体全体を震わせているようだ。


「ここにいては駄目よ、一緒に逃げるのよ!」

 いつの間にか、ジュリエッタがダフネの制止を振り切って俺の傍に駆け寄ってきていた。

 うおう、と声を上げたかったがダミアノじいさんの魔法――いや、呪いによって礼儀正しい言葉しか出せない俺は、咄嗟に「下がってください」と言いつつ背中に庇うことしかできなかった。


 こういう場合はアレだ。

「攻撃は最大の防御だと言うんです」

 俺はそう言って、ラウール殿下に続けとばかりに地面を蹴る。俺にだってできる。戦える。


 が。


 どうしてこうなる。


 俺の目の前に、唐突に現れた大きな背中。黒い髪と黒いマントが、巨鳥によって巻き起こされた風に揺れている。

 彼――リカルド先生は右手を大きく前に出し、左手の上に魔法書を出現させ、魔法を発動させた。

 宙に描かれる、巨大な魔方陣。まるで水が流れるような動きで、円が描かれ、魔法言語の文字列も書かれていく。

 それはあっという間に出来上がり、瞬時に終わった。


 一瞬の地響きと、今までで一番の強風。思わず俺は剣を握った右腕で顔を覆う。

 ジュリエッタも小さな悲鳴を上げているのが解って、何とか彼女を庇おうと身体を捻る。こういう場合、俺の女としての小さな身体を実感してしまう。男だったら、彼女を包み込むくらい簡単なことだっただろうに。

「ジュリエッタ!」

 ヴァレンティーノ殿下の声が聞こえてくると、ジュリエッタが自然な動きで俺の腕の中から飛び出していき、個室へと全速力で走ってきたらしい殿下に飛びつく。

 それに続いて赤毛の少年、召喚獣を呼び出した少年も息を切らせてやってきて。


 そして同時に、同じ光景を見ただろう。


 俺を庇うようにして、リカルド先生が召喚獣を魔法で停止させ、地面へと落とす。辺りが揺れ、誰もが息を呑む。

 その鳥は巨躯を苦痛に震わせ、一鳴きした後に光を放ちながら消えた。

「大丈夫か」

 リカルド先生はそう言って魔法書を閉じ、身体の中にしまう。

「すごーい」

 という、ジーナの感嘆の声と、ぱちぱちと叩かれる手。


 いや、うん、ソウデスネ。

 俺の見せ場は?

 やっとやってきた、俺の見せ場!

 魔蟲の時はダミアノじいさんがいいところを持って行ってしまったから、今度こそは! と思ったのに。

 俺は恐らく、不満を露にした表情でリカルド先生を見ただろう。しかし、不機嫌そうに俺を見下ろした彼は、こちらにやってくると耳元で低く囁いた。

「目立つなと何度言ったか、覚えているか。さて、数えてみろ」

「えーと……」

 俺の右手の中で、しゅわしゅわと剣が縮んでいく。心なしか、短剣も見せ場を失って残念そうだったし、ケルベロス君もきょときょとと辺りを見回した後、出番がないと知って身体を萎ませた。いつもと同じ、ハスキー犬の子犬サイズまでになると、欠伸をして俺の足元にやってくる。

「……見せ場」

 ぽつりと呟くと、リカルド先生が目を眇めて微笑み、俺の肩を掴む。痛い痛い、もうちょっと優しく!


「大丈夫か!?」

 そこへ遅れてやってくる、ラウール殿下。殿下は俺がどこにも怪我をした様子がないことを知り、その表情を和らげる。ブルーハワイも駆けてきて、主である殿下の傍に立ったが、こちらは少し疲れたような表情を見せていた。

「はい、大丈夫です」

 と言った俺の前に、リカルド先生が立ち塞がるように割り入った。

「こちらは大丈夫だから、下がりなさい。生徒たちの安全確認のため、点呼を取るだろうから――」

「いえ、リヴィアの傍にいます」

 ラウール殿下はそこで表情を引き締め、どこか剣呑な光を双眸に灯らせてリカルド先生の前に歩み寄った。リカルド先生は表情を凍らせたまま、彼を見つめ返す。

 ヤバいっすね。

 見えない火花が散ってる気がします。

「ラウール・シャオラ殿下。塔の管理人関係者にお心を裂いていただくのはありがたい。だが、今はあなたの安全確保が第一だ。それに、今回の事故の事情を聞かなくてはいけないので」

「それはリヴィアの傍にいてもできることだ」

「あの、殿下……」

「煩いぞ、忠犬」

 ささやかにラウール殿下とブルーハワイの間にも緊張感が走ったものの、結局は主に逆らえないブルーハワイが引いた。もっと頑張れよ、ブルーハワイ。


 一歩も引かないと感じたのか、リカルド先生はふっと笑う。

 あ、これ、あかんヤツ。

 冷気が漂った気がして、俺は思わずジーナのところに逃げた。彼女の腕に縋り付いて、現実逃避をしようとした。

 だが、そうさせてはもらえなかった。


「悪いが、リヴィアは私の婚約者なのでな。他の男を近づけたくない」


 ――言い切った! 言い切ったぞ、この男!


 俺が額に手を置いて低く唸ると、隣からジーナがばしばし俺の腕を叩いてくる。

「やだ! 婚約者だって! 格好いい! やっぱり婚約決定してたんじゃないのー!」

「あー、ソウミタイデスネ」


「それより、先ほどの召喚獣はこちらの部屋を狙って攻撃をしようとしていた。ラウール殿下、何か心当たりは?」

 唐突に話を変えたリカルド先生の声は冷淡で、刺すような空気を孕んでいる。それを感じて、ラウール殿下も表情を引き締め、首を横に振った。

「いや、突然すぎて何が何だか」

「単純に考えれば、この部屋にはジュリエッタ・カルボネラ嬢、いや、ヴェルドーネ嬢がいる。将来的に、ヴァレンティーノ・レオーニ殿下と結婚する立場にある者だ。他にはリヴィア、リヴィアの友人、付き添い人。命を狙われる可能性で言うなら、ジュリエッタ・ヴェルドーネ嬢の可能性が高い」

「私はそんなこと、考えていません!」

 そう叫んだのは、ラウール殿下の対戦相手である少年だ。ヴァレンティーノ殿下の傍で、青白い顔で身体を震わせている。自分が呼び出した召喚獣がしでかしたことの大きさに恐怖を覚えているようで、必死に悪意などなかったと否定した。

「それは解っている」

 リカルド先生は軽く手を上げ、少年を安心させようと口元だけで笑うも、迫力がありすぎて安心などできないだろう。少年は必死な目をヴァレンティーノ殿下に向け、何か言おうとして言葉が見つからず、ただ唇を噛んだ。

「君は何もしていないのだろう? ならば、私はそれを信じる」

 ヴァレンティーノ殿下はそこで少年の肩に手を置いて、そっと笑う。

 悪意のない笑顔が浮かんだことで、少年はやっと安堵の息を吐き、深く頭を下げた。


「お姉さま?」

 そこへ、また別の声がかかる。

 もちろんのことだが、ジュリエッタを姉と呼ぶ淫乱ピンクだ。危機感の感じさせない明るい口調と、弱々しい笑顔。

「ご無事ですかー? よかったぁ」

 廊下を走ってきたのか、彼女も少し呼吸を乱していて、可愛らしい仕草で胸の前で手を組んでいる。上下に動く胸は、こんな時でもなければ本当に男心をくすぐるんだろうが。


 ――本当にこいつ、空気読まねえな。

 俺は心の中でそう呟いた。

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