第52話 本能が叫ぶらしい

「わたしも陰ながら監視しておきます」

 俺は自分の心に芽生えた危機感に似た感情を抑え込んで笑う。すると、ジュリエッタは躊躇いつつも頷いて見せた。

「……いいの? 迷惑じゃないかしら?」

「ジュリエッタ様のためなら頑張ります」

「全くもう」

 彼女は呆れたように口元を手で覆い、苦笑を隠した。やっぱりアレだな、ジュリエッタさんの育ちの良さが解る仕草は可愛さも含んでいる。出会った当初はこんな関係になるとは思わなかったけれど、これもまた楽しい。

 そんな気安さを見せてくれる彼女に甘えて、もう少しだけ訊いてみた。

「ヴァレンティーノ殿下とは……その、和解したというか……?」

「そうね」

 僅かに彼女の眉が顰められて、完全に上手くいったというわけではないのか、と予想させる。しかし、続いた言葉は困ったようでもあるが、確固とした決意のようなものも感じさせた。

「正直に言えば、納得できないこともあるわ。それでも、婚約者という立場は継続だもの、自分がやるべきことをするだけ。何て言うか、最近は、ね? 殿下の性根を叩き直したいという欲求の方が強くてね」

 黒い笑みを浮かべる彼女だが、その裏には純粋な喜びみたいなものも見え隠れしていて。

 単純な話、幸せそうなのだ。


 幸せそうなのだ。

 重要だから二回言おう。


「ダメンズという言葉を聞いたことがあるような気がします」

 やがて俺は、深いため息をつき頭を掻く。聞きなれない言葉にジュリエッタもジーナもダフネも困惑しているようなので、俺は説明してみる。

「駄目な男を好きになってしまう、有能な女性の話です。母性本能をくすぐるんでしょうか。こんな駄目な男性にはわたしがついていないと! と思うらしいです。ジュリエッタ様もそういう感じなのか……と思ったり?」

「あら」

 彼女は驚いたように俺を見つめ直した後、「そうなのかもね」と笑う。くそ。むかつくけど幸せになってしまえ。


 その後はダフネに色々と化粧だったり仕草だったり教え直してもらったりしてから、帰途につく。ジーナと暗くなった空の下を歩きながら、俺は何となくだが脱力していた。

「……恋愛ってさ、不思議だよね」

 隣を歩くジーナは、星空を見上げて笑う。「これは本で読んだんだけど、人間の身体って、異性を求めるようにできてるんだっていうの」

「異性?」

「動物の本能みたいな感じなのかな? 頭のどこかで、子孫を残せ! って叫んでるみたいだよ。だから、わたしたち女の子は男の子を好きになって、恋愛して、結婚して、子供を作るの。そうしなきゃ、人間の種が滅んでしまうから」

「んー……」

「リヴィアがジュリエッタ様を好きなのって、恋なのかもしれないけど恋愛ではないよね。どんなに思っても相手はヴァレンティーノ殿下のことしか考えてないし、望みはないでしょ? 恋慕の気持ちはあっても、絶対に同じ思いが返ってくることはないんだよ」

「……うう。傷口に塩を塗り込むんですか」

「ごめんね。でもさ、ちょっと気になって」

「何がです?」

「失恋もまた、運命だっていうよ。ちゃんと他に、本能が呼んでる相手がいるんだって。きっとリヴィアもさ、他に好きになれる相手がいるんじゃないかなあ」


 俺は少しだけ考えてみる。

 今はジュリエッタ以外のことを考えるのは、何となくだが罪悪感がある。彼女が駄目だから、はい次、なんて軽く切り替えられるはずがない。


「ほら、リヴィアにはリカルド先生がいるんでしょ? 真面目にそっちを考えてあげないと、先生も可哀想だよ」

「いえ、それはただの成り行きで」

 俺は慌てて手をぱたぱたと振り、否定した。

 好きとか嫌いとか関係なくて、ただ利害が一致したから――そうなりそうなだけだ。お互い、虫よけになりそうだから、という単純な理由。

 しかも、リカルド先生は厭がっている。かなり本気で。

 あれはちょっとムカつくんだよな。恋愛感情はそこにないのに、何だろうな、これ。

「リヴィアは美少女なんだから、ちゃんと男の子とか、男の人とか、見た方がいいよ。性格は確かに男の子っぽいけど、身体はちゃんと女の子なんだし。そういうふうにできてるんだよ、わたしたちって」


 むー、と思わず唇を尖らすと、暗闇にジーナのくすくす笑いが響く。

 次の恋はジーナ相手でもいいのに、なんて軽く考える。そして自己嫌悪に陥る。


「それにさ、ラウール殿下のことはどうするの?」

「え?」

 ジーナの突然のその問いかけに、俺は間抜けな顔をしただろうと思う。俺がジーナの顔を見て首を傾げると、彼女は半目になりつつ駄目だこりゃ、みたいな顔をする。

 彼女はそっと指を遠くに向けて指す。中庭の奥へと続く小道。その先にあるのは、ガゼボだろう。

「ラウール殿下、ここ数日、誰かを探して待ってるんだって。リヴィアのことじゃないの?」

「えええ……」

 軽く引きつつ言葉を探す。そういや、放課後、待ってるとか言われてたっけ、とか思い出して胃が痛くなる。

「リカルド先生と婚約するなら、ラウール殿下のことは何とかしなきゃ、じゃない? 大丈夫?」

 うー、と唸りつつ俺は天を見上げる。できればラウール殿下と会うのは避けたかったが、これも仕方ないのか。

 俺はぼそりと暗闇に向けて「いっちゃんたちー」と声をかける。すると、俺の傍にいつも控えてくれているケルベロス君が小さな姿を見せる。転がるように俺の足元に駆け寄ってくると、がう、と一鳴き。

「行ってきます」

 俺は諦めてジーナにそう言うと、彼女はにしし、と変な笑い声を上げた。


 身体が女だから、俺はいつか男性とそういう関係に――?

 ひいいい、と両腕をさすり、鳥肌が立ちそうな腕を落ち着かせる。抱きつぶされる形になったケルベロス君たちがじたばたと足を動かしていて、その可愛さに心が癒される。

 しかし、『それ』はわざと考えないようにしていたことでもあったと自覚していた。冗談で済ませておけばいいと思っていたことだと。

 しかしどう考えても、今の俺は女だし、周りからそう見られている。事実、ラウール殿下は俺をそういう目で見ているわけで、だからこそ側妃がどうこう言い出した。

 俺は前世の記憶が強いから、心は男性だと思っているし、恋愛対象も女の子だけど、これもいつか変わるんだろうか、と怖くなる。

 とりあえず、今はそんな考えを心の奥に追いやって、蓋をする。まだ考えなくてもいいことだ。多分。


「よう、待ってた!」

 と、輝くような――男らしい笑顔を見せたラウール殿下を目の前にして、俺はげんなりと強張った笑みを返す。俺の感情を読んだらしいケルベロス君が、警戒したように鼻をぶるんと鳴らしている。

 ガゼボの中にある石造りのベンチに座った彼は、ばしばしと目の前の石のテーブルを叩く。前にあるベンチに座れという意思表示だ。

 彼の傍には相変わらずブルーハワイがぐったりとした表情で立っていて、同情を誘う。お疲れさんです、まだ本名を知らないブルーハワイさん。もしかして毎日この殿下の傍に付き従う運命ですか。

「待たれても、返事は同じですから。お付き合いはしませんし、婚約相手も決まりました」

「決まったのか!?」

「多分」

 俺も負けじと彼のキラキラ笑顔に勝つべく、心からの微笑を浮かべる。彼の笑顔が凍ったのは一瞬で、すぐに立ち直ったらしい彼はベンチから立ち上がって腕を広げる。

「それはともかく、剣技大会に応援にきてくれないか。俺の格好いいところを見せるチャンスなんでな」

「いえ、行きません」

「即答かよ」

「いい加減、諦めてくれませんか。望みのない……」


 恋、だろうか。

 俺は疑いの眼差しを向ける。

 そして、真面目に考えるととんでもないことになりそうなので、話を変えることにした。人はそれを現実逃避と呼ぶ。


「そう言えば、少し気になっていることがあるのですが」

 そう話を切り出すと、殿下が俺の背後に回り、ベンチに座るように促す。ちょっと、背中に触ってくるのはセクハラです。そう言いたくなりつつ、さりげなく逃げ、ベンチに座る。

「何?」

 殿下が俺の向かい側のベンチに腰を下ろし、じっと俺を見つめる。目力が強い。やべえ、やっぱり逃げたい。

「ヴィヴィアン様とオスカル殿下が接触しているという噂です。何か情報をお持ちではありませんか? ジュリエッタ様の幸せの邪魔をされそうなら、対処をしなくてはなりませんし」

「相変わらずリヴィアはジュリエッタ嬢のためなら何でもやる、って感じだなあ」

 呆れたように彼は肩を竦め、ちらりとその視線を横に立つブルーハワイへ向ける。すると、彼の忠犬かもしれないブルーハワイはため息をついた後に口を開く。

「ヴィヴィアン嬢とオスカル殿下が接触しているのは事実です。消灯前の時間、二人きりで会っているのを見た生徒がいます」

「つまり、お二人は恋人同士になられたということでしょうか? そういえば、ラウール殿下もヴィヴィアン様に声をかけられたことがありましたよね?」

 俺がそう続けると、殿下が首を傾げて不思議そうに頷いた。

「そういや、最近はほとんど俺に接触はないな。何だかしばらく前までは、妙にばったり会うことがあったのに。あのふわふわ頭」


 ――なるほど。

 ってことは、淫乱ピンクの狙いは完全にオスカル殿下へと移ったのか。このまま婚約して、オスカル殿下の国に行ってしまえば、ジュリエッタさんの周りから危険因子が消えるということだ。

 でもなあ。

 オスカル殿下のことを、リカルド先生は警戒している。二人が会っているということに、何か裏があるのかもしれない。

 そんなことを考えていると、ラウール殿下がニヤリと笑って言った。

「それとなく見張っておこうか? その代わり、剣術大会の応援に」


 ――さすがだな、ぶれない。

 俺はちょっと呆れたように彼を見たけれど、最終的には「応援だけなら」と頷いた。


 そして炎の塔の地下に戻ってから俺は思う。

 ラウール殿下と縁を切りたいのに、これでいいのか。

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