第51話 性交渉はしばらくなしでお願いします

「時々、自分が何のために生まれ変わったのか、と考えます」

 俺がそう続けると、じいさんが目を眇めて小さく唸る。俺に話の続きを促しているようなので、さらに俺は言葉を探した。

「正直なところ、自分が神具だという自覚もあまりありません。わたしは昔と同じ人間の意識が強く、リヴィアとして生きてきた記憶も戻っていません。本当に、何のためにわたしはここにいるのでしょうか」

「……自分が何者か、なんてことを考えるのは、人間くらいなもんじゃ」

 じいさんは笑い、肩を揺らす。「まあ、答えを出すのはわしじゃなくお主じゃのう。ゆっくりでいいから考えなさい」

 ――それもそうか。

 俺はじいさんの言葉に頷き、また考えこむ。

「考えても答えが出ないのなら、前に進むしかないぞ」

 そう言ったのはリカルド先生で、彼は冷めたお茶のカップに手を伸ばしてそれを飲む。お茶を淹れ変えてやるか、と俺が立ち上がると、先生はそれを横目で見て苦笑した。

「本当にお前は人間のように思える」

「褒め言葉ですか」

「褒めてる」

 ほほう、今日はどうやら素直なようだ。リカルド先生は滅多にデレない。ほとんど笑わないし、冗談も言わない。

 しかし、魔法を教えてもらっていたり食事を共にしているとそれなりに人となりが解ってきている。真面目だが、根は優しい。相手が女だろうと男だろうと同じ塩対応をするが、心を許しているらしいダミアノじいさんに対してだけはちょっとマシなのだ。

 そしてどうやら、最近は俺に対しても少し警戒を解いて、素の顔を見せることが増えてきた。多分、餌付け成功というやつだろう。じいさんが作る料理よりは随分美味しくできていると自分でも思うし。

 俺はお茶を淹れてじいさんとリカルド先生の前に新しいカップを置き、古いものを回収した。何だか最近は家事の腕も上がってきているので、いい女になれるような気がする。

 気がするだけだが。

「何だかんだ言って、リカルド先生は優しいですよね。口は悪いですが」

「優しくなどない」

 俺の言葉に驚いたように顔を上げた彼は、不審げに俺を見つめる。「お前こそ、私を褒めても何も出ないぞ」

「いえ、別に何も引き出そうとはしてませんが」

 俺はカップを洗って水切り籠の中に放り込みつつ、ふと思いついたことを口にする。「ああでも、もし婚約とかしても性交渉はしばらくなしでお願いします」


 ダミアノじいさんがお茶を吹き出し、リカルド先生がカップをソーサーの上にがちゃりと落とす。割れてないよな!? まともなカップ、数少ないぞ、じいさんの部屋!


「しばらく……って、最終的にはするつもりか?」

 さすがのリカルド先生も動揺したように視線が定まらない。

「興味はありますが、まだその勇気は出ないので。自分でもやったことがないですし……って、リヴィアって男性経験は?」

「もういい、それ以上言うな」

 先生がぐったりと肩を落とし、視線も床に落としてからのろのろとソファから立ち上がる。

 できれば初めてのキスは女の子としたいな、それとできれば男性経験なしでもいいんじゃね? とか考えつつ、部屋を出て行くリカルド先生の背中を見送る俺。意外と揶揄うと面白かったので、また機会があったら先生をいじって遊ぼう。

 部屋の中には、引きつけを起こしそうなほど笑っているじいさんの声だけが響いていた。


「聞きたいことがあったのよ」

 そう言ってジュリエッタさんが俺を部屋に出迎えてくれる。俺の隣にはジーナがいて、部屋の中にはダフネがいた。

 ジュリエッタから久しぶりにマナー教室はどうかと手紙が届いて、それにいくと応えたら漏れなくジーナがついてきた感じだ。

 放課後のちょっと遅めの時間で、どうやらジュリエッタは殿下と図書館で勉強をしてきた帰りのようだ。課題も終わって暇になったということもあり、俺の腕を引いてソファに促し、上機嫌で訊いてくる。

「噂が広まってるみたいじゃない? リカルド先生とはどうなの? どこまで話は進んでるのかしら?」

「うっ」

 俺は言葉に詰まりつつ、視線を宙に彷徨わせる。まだちょっと俺はジュリエッタさんに心が残っている自覚があるせいか、この話題は避けたかった。避けたかったのに。

 ジーナも俺の隣に座り、じりじりと身を寄せてきて俺の顔を覗き込む。

 ダフネはお茶とお菓子を用意して、こちらの会話を窺っている。

 どんだけ興味があるんだ。何でこんなに興味津津なんだよ?


「リカルド先生って気難しいって噂でしょう? 顔はいいのに恋人もいないし、生徒の中では注目の男性の一人なのよ。何しろ、先生の中でもかなり魔力が強くて、このまま学園でのいい地位を築きそうとかでね」

 ジュリエッタは用意されたお茶を飲みつつ、ふふ、と笑う。ヴァレンティーノ殿下と上手くいっているせいなのか、とても余裕のある笑みに思える。

「いえ、まだ確定ではありません。そういう話が出ているというだけで」

「でも、ラウール殿下が恨みがましくリカルド先生を睨んでるって話よ? 男性二人の間で揺れ動くなんて、さすがねリヴィア」


 いやいやいや。

 何だそれは。わたしのために争わないで! みたいな歌があっただろ。それかよ?


「そんなことより、ジュリエッタ様は」

「リカルド先生はどんな感じで口説いてくるの?」

 俺が話を逸らそうとしても、今度はジーナが肩をぶつけてくる。「あんな怖い顔をしていても、やっぱり優しいの?」

「まあ、優しいか優しくないかと言えば、優しい方かもしれませんが。それよりジュリエッタ様は」

「いいなあ。わたしも恋愛したい。ジュリエッタ様もヴァレンティーノ殿下と二人きりの空間を作ってるし、いえ、作ってますし。わたしだって憧れるんです」

 ジーナは居住まいを正して口調も改め、女の子らしい可愛い仕草で口元を手で覆う。

 これが恋バナってやつか? 俺には荷が重すぎる。

 引きつった笑みを口元に浮かべていると、ジュリエッタも揶揄いすぎたと思ったのか、少しだけ態度を和らげてくれた。

「まあ、騒ぎすぎもよくないわね。上手くいくように願っておくわ」

「あ……はい」

 俺はそこで何とか息を吐き出し、居心地の悪さも振り払う。そして、気になっていたことをもう一度口にした。


「それで、ジュリエッタ様はいかがでしたか? ヴィヴィアン様はその後、どうなされてますか?」

「ああ、それね……」

 そこで彼女は少しだけ情けなさそうに眉尻を下げ、僅かに首を横に振った。「あの子、ずっと部屋に引きこもって出てこないの。ダフネに頼んで時々様子を見に行ってもらってるのだけれど、声すら聴かせてもらってないみたいで」

「そうなんですか」

 部屋に閉じこもっているなら、別にもう危険性はないんだろうか。ヴァレンティーノ殿下のことは諦めて、他の男に狙いを定めてくれないだろうか。

 他に余っている男子生徒はたくさんいるわけだし。

「わたしも意外だったのだけれど、わたしのお婆さまが頑張ってくれてしまったせいなのか、カルボネラ家の立場が微妙になってしまっていてね。お婆さまの家――ヴェルドーネ家から定期的に出ていた援助金も打ち切りになったの。もちろん、王家から出ていた援助もなくなったし、あの子も今までみたいに贅沢は許されなくなったから大変なのでしょうね」

「贅沢?」

「……反動なのかしらね? 子供の頃、貧しい生活をしていたからという理由で、父が随分とあの子にお金を使ってきたのよ。あの子もそれに慣れてしまっていて、毎月のように新しいドレスやアクセサリーを買ってもらっていたの。でもさすがに、もう、ね?」

「なるほど……」

 俺が唸るように言うと、ジュリエッタは少しだけ苦笑して見せた。

「あの子は部屋に引きこもってるのだけれど、たまに外出しているみたい。さすがというべきかしらね? 今は――オスカル殿下に目をつけたと聞くわね。時々、放課後の時間帯に二人が会っているのを見かける生徒もいるみたいだわ。何だかちょっと、呆れるというか」


 ――オスカル殿下に。


 何だろう、厭な予感がするのは俺だけだろうか。こういう時の予感って、当たることが多いのだ。


「それに何だか、厭な感じがするの。あの子を放置していたら何か起こる気がして」

 ジュリエッタがそう続けたことで、妙なことだけれども安堵もした。警戒することに越したことはない。

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