第48話 幽霊と逢引き

 俺がケルベロス君を連れて外に出られるようになったのは、それから数日後のことだ。

 失恋のショックから立ち直ったとは言えないが、それでも色々と考えることがあった。リカルド先生に色々言われたこともあって、何て言うか……答えが出せず、煮詰まってしまったのだ。一人で考えていてもどうにもならず、気分転換にと夜中、久しぶりにアイテム探しの夜歩きに出たわけだ。

 まだちょっと、ジュリエッタに会って普通の顔をできる自信もないし。


 深夜の中庭は、結構いい雰囲気だ。ここに一緒に歩く女の子が隣にいたら、心がときめくんだろうが――。


 ――お前は女なんだ。


 リカルド先生はあの時、困ったように笑った。婚約がどうこう言われたものの、とりあえずお互いそれは触れないことにした。面倒だし。

 しかし、先生は部屋を出て行く前にまた言ったのだ。俺がどんな前世を持っていようが、今の俺は女であるのだと強調した。

 解ってるが、でも――。

「こういう訊き方は自分でもどうかと思うが、言っておく。お前は前世という記憶に引きずられすぎている。前世が男性だから、リヴィアとして、女性として生まれても男性らしく生きていくつもりなのか?」

「……心は男性です。だからきっと、ジュリエッタ様のことが好きになったんだと思いますが」

「しかし、男性である前世とやらを、完全に思い出してはいないのだろう? 思い出せない記憶に何の価値があると思う?」

「それでも、一部だけでも思い出したことに意味があるのだと思います」

 まあ、大して役に立っていない記憶なんだが、と内心で考えてしまう。


 どうして俺は前世の記憶を取り戻したのか。頭を打って、偶然? だったら思い出さなくてもいい記憶だったんだろうか。

 思い出さなかったら、きっと今の俺は俺じゃなくて、リヴィアという人格のままだっただろう。


 何のために俺はこの世界に生まれて、記憶を思い出したんだろうなあ。大体、生まれ変わることに何の意味があるんだろう。

 俺はアンブロシアとかいう変な存在で、狂える剣とやらの神具で、誰かを主にしなくてはいけない、のかも。そうして、魔蟲と戦う運命が俺にはある? 小説なんかだったら、魔王と戦うために異世界から呼び出された勇者みたいな立場なんだろうか、俺。

 考えてみれば、こんなところでジュリエッタさんに恋をしてたりとか、そんなことしてる場合じゃなかったのか。


 ぐるぐる色々なことを考えていると、俺は何かの気配を感じて慌てて足元で並んで歩いていたケルベロス君を抱え上げた。俺の姿は誰にも見えないようにしてあるはずだが、何となく不安で近くに生えていた木の幹に姿を隠す。


 すると、中庭の外れの方で何か光のようなものが見えた。

 目を凝らしてみれば、制服を着た少女のようだった。ガゼボの近くの方へ、どこか身体の輪郭がぼんやりとした少女が歩いていく。全体的に色が白っぽいというか、背中を覆う髪の毛の色も曖昧だ。


 ――幽霊。


 学園七不思議のひとつだろうか、と口を開けて見つめる。


 歩き方も、地面の上を滑って平行移動しているような感じだ。霊感のない俺でも見えるってことは――と考えて、思わず一人で苦笑する。

 霊感とか、この世界にあるんだろうか。そう言えば、リカルド先生も幽霊とか全く不思議には感じていない様子だったし、当たり前に見えていいものなのかもしれない。

 ってことは、怖がらなくてもいい?


 俺が顎を撫でつつそう首を傾げていると、遠くからまた別の声が聞こえてきた。


「逢引きなんだよ、ついてくんな」

「いい加減にしてください。もう本当、勘弁してください。何ですか逢引きって。またどこかの女の子に手を出してるんですか」

「まだ出してねえよ」

「まだ」


 そんな二人の少年の声には、認めたくないことだが聞き覚えがある。何だこいつら、何で俺の前によく出てくるんだ。

 俺はケルベロス君のもふもふした毛皮を撫でながら、その場にしゃがみこんでため息をついた。

 声の主はラウール殿下とブルーハワイである。もう夜なんだから部屋に戻って大人しくしていればいいのに。


「昨日の夜、見つけたんだよ」

 ラウール殿下は上機嫌な様子で、足音らしい足音も立てず歩く。そうやって耳を澄ましてみれば、ラウール殿下もブルーハワイも、ほとんど足音がしない。靴が原因じゃなく、おそらく、身のこなしというか――騎士として身体を鍛えているせいなのか、気配を殺すのが上手いんだろうと思う。

「何を見つけたんですか」

 俺が訊きたいことをブルーハワイが平坦な口調で呆れたように言う。

「女の子の霊。可愛い感じの子が、あっちの方へ歩いて行った」

「はー。とうとう幽霊にまで手を出すようになるとは。殿下の女癖の悪さは最悪ですね」

「まだ出してねえっつってんだろ」

「やめてくださいよ? 在学中に子供を作って国に帰るとか、そんなことになったら陛下に……」

「今回は幽霊だぞ?」

「確かにレアケースですが、可能性はないとは言い切れません。殿下ですから」

 そんなことを言い合い、彼らは中庭の小道を歩いて奥へと進む。よくヴァレンティーノ殿下と淫乱ピンクの姿を見かけていたガゼボの方だな、と思いながら木の陰から顔を出して彼らの背中を目で追いかける。


「ほら、いたぞ」

 そわそわした様子でラウール殿下がブルーハワイの腕を掴み、前方を見るように促した。すると、ガゼボの辺りをゆらりと動いた白い少女は、そのまま奥の花壇の方へ進み、急に姿を消した。

「この辺か」

 ラウール殿下は生い茂る花をかき分け、花壇の中に立ってフルーハワイの方を振り向いた。「よし、ここを掘れ」

「犬みたいに言わないでください。大体、最初はついてくるなと言ったくせに結局はこうなるんですか」

 心底厭そうな声が響いたが、殿下の側近的な立場のブルーハワイには拒否することはできないのだろう。何やら魔法を使って地面を掘りだした。

 ざくざくいう音はあっという間に終わり、ブルーハワイが地面に身を屈めて何か拾い上げる。

「短剣ですね。凄い魔力を感じますし……レアアイテムだと思いますよ? 誰かが、いえ、さっきの少女が埋めたんでしょうか」

「そうかもな」

 そう殿下は言いつつ、ブルーハワイの手の中にあった土にまみれた短剣を取る。乱暴に土を払うと、夜目にも解るほど豪奢な造りの美しい短剣が姿を見せてくれる。空に浮かんだ月の光を反射して、柄や鞘が輝く。飾りに宝石のようなものがついているようだが、どうもそれは魔石のようだった。

「鑑定は苦手なんだ。どんな効果がありそうだ?」

 少しだけ残念そうにラウール殿下が言うと、ブルーハワイがじっと短剣を見つめた。

「穢れ払いの短剣でしょうか。魔蟲退治によさそうですね。これを持っていたら、先日の魔蟲退治で殿下もいいところが見せられたかもしれませんが、今更ですね」

「ちっ」


 何でそんなものが埋まってるんだろう。

 遠目だからあまりよく解らないが、普通の湧いて出るアイテムとは違って、合成されて造られたもののように思える。誰かが――さっきの幽霊が生前に埋めたものなんだろうか。


 そんなことを考えていると、急にあの二人の息を呑む気配が伝わってきた。俺も思わず彼らに視線を戻すと、殿下とブルーハワイの前に白い幽霊が立っていた。

「わたしの妹が合成した短剣だったの」

 少女はそう言った。

 幽霊の声だからか、酷く曖昧に、ぼんやりと伝わる声だ。

「妹? 妹がこれをここに埋めたのか?」

 我に返った様子の殿下がそう訊くと、少女は首を横に振った。

「埋めたのはわたし。妹はこれを売るつもりだった。わたしが病気でお金がかかるから、勉強そっちのけでアイテム回収してたの。でも、わたしのためにお金を使って欲しくなくて、とりあえずここに隠したんだけど……隠した場所を妹に教える前にわたしが死んじゃった。それが心残りで、何とか妹に伝えようとしたのに、その時はわたしも周りの人間に気づいてもらえなくて言葉が届かなかった」

「そうか」

 殿下は低く唸り、手の中の短剣をまじまじと見つめてから顔を上げた。どうもラウール殿下は、女の子相手なら誰にでも優しいのか、こう続けた。

「せっかくだから、俺から妹に渡してやろう。妹の名前は?」

「もう、わたしが死んだのは百年も前のことだから。妹ももう……」

「あー、そうか」

「でもせめて、誰かに使ってもらえたらって思ってる」

 と、少女はそう言って唐突に視線をこちらに向けた。


 木の陰に隠れ、ケルベロス君に姿を消してもらっているはずの、俺の方へ。

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