第49話 まずは恋人から始めてみないか
「隠れているつもりかもしれませんが、わたしには見えてますよ」
白い幽霊は黒い笑みを浮かべて俺をじっと見つめ続ける。逃げようと思ったのは確かだが、逃げても追いかけてこられそうな気がする。
俺たちは相手から見えるように、でも俺の魔力の気配は隠蔽したままで、とケルベロス君に心の中で頼んでから、木の陰から足を踏み出した。幽霊には見られてしまったとしても、せめて殿下たちには俺の正体を知られるわけにはいかない。それだけは願いつつ。
「あっ」
その途端、ラウール殿下が輝くような笑みを浮かべる。すげえ迷惑、という感情を顔芸で示すと、若干彼が口元を引きつらせた。
「こんばんは。そろそろ消灯の時間では?」
俺ができるだけ冷静に殿下とブルーハワイに向けて言うが、殿下は懲りずに俺に近づいてきた。その手の中で短剣を弄びながら。
「こんばんは。会いたいと思っていたら会えた、ということはこれは運命なのでは?」
一回死ねばいいのに。
冷ややかな俺の視線に何を感じたのか知らないが、ラウール殿下は目元を赤くして笑う。うわあ、死ねばいいのに。
「その短剣は、彼女でしたら上手く使えると思いますよ?」
幽霊の少女はそう言って、ふっ、と意味深に笑う。顔立ちは可愛いが、幽霊となって長いせいなのか、表情は老成していると言えた。彼女はどこか裏のあるような表情を見せ、滑るように俺の前にやってくると、さらにその口角を上げた。
「あなたほど魔力の強い『人』はいませんからね」
一瞬、彼女の顔が陰に覆われて表情が見えなかった。だが、声に含まれた意味深な響きに俺は顔を顰める。
「タダより怖いものはない、という名言がありますね」
俺が一歩後退ると、ラウール殿下も間を詰めてくる。今は幽霊よりもずっと俺に距離が近い。
彼は短剣の柄を俺に差し出した。
「タダではない。まだ君の名前を聞いていないから、それと交換といこう」
悩んだのは一瞬だ。
彼が差し出した短剣は、見るだけで俺の心の奥をくすぐってくるかのような力を持っている。触れてみたい、自分のものにしてみたい、という誘惑に駆られた。だからこそ、わざわざこの問題児の前に出てきたとも言える。
「リヴィアといいます。すみませんが、近いです」
俺は短剣を受け取ってラウール殿下から距離を取ろうとする。柄はひんやりとして、吸いつくような感触があった。
しかし、短剣を握った右手から、心臓にかけて電流のものが走って驚く。皮膚の下に、まるで蟲が這いずり回るような――これはきっと、魔力の流れだろう。
まずい、と直感した。
よく解らないが、短剣に潜んだ力が俺の心臓から何かを引きずり出そうとしている。俺の身体の奥に潜んだ、巨大な『何か』を。おそらく、神具としての俺の本当の力だ。その力をよこせと言われているような気がした。
俺の左腕の中にいたケルベロス君が、俺の腕を蹴って地面に降り立つ。そして、威嚇の音を喉から絞り出した。
――ヤバい。これ、シャレになんないやつ!
俺は咄嗟に、右手に力を込めて短剣を見下ろし、柄さえ折れてしまえと睨みつけた。
震える心臓が何か叫んでいる。俺の指の輪郭がぼやける。短剣に俺の力が吸い込まれる。
喰われる?
ふざけんな!
そう心の中で絶叫する。
地面が揺れ、土煙が上がった。ラウール殿下とブルーハワイが何か叫んだようだったが聞こえなかった。
そして、訪れる静寂。俺の心の奥で、何かが叫ぶ。神具であるリヴィアの声だったのかもしれない。
『ばーか! 思いあがるなよ、三下がぁ! 格ってもんがあんだよ、くそが! 一回死にさらせや!』
元々のリヴィアの表情が見えたような気がした。歪んだ、狂った笑みと邪悪な声。とても女の子とは思えないような、流れるような罵倒と悪態と……ちょっと待とうか、これが『俺』の本質か? リヴィアってマジでこんなヤツなのか、とドン引きするくらいヤバい感じがするんだが。
「一体、何が……」
ラウール殿下が土煙を吸い込んで、咳き込んだ後に辺りを見回した。ブルーハワイも困惑を隠せず、俺と短剣を交互に見やる。何かあったのだと気づいたんだろう。
俺は何て言うか、と少しだけ考えた後に笑って口を開いた。
「この短剣、持ち主の力を引き出す……というか、食べようとするのかもしれません。でも、わたしが封じましたから大丈夫です」
――うん、多分。
今、短剣は俺の手の中で静かにしている。さっきまでは、俺の魔力を喰ってしまおうと敵意すら向けていたのに。
しかし、無機質なものであるはずの短剣は、今や俺に服従しているかのように身体を小さくしているようなイメージが頭に浮かんでさえくる。
「まさか、神具……」
と、ブルーハワイが顔を強張らせて言いかけたが、すぐに自分で否定した。「いえ、違いますね。神具ほど力はなさそうな短剣ですし」
「リヴィアが魔力が強いから反応したってことか?」
ラウールが頭を掻きつつ、俺の手元を覗き込んできた。しかし、怪訝そうに顔を顰めて首を傾げる。
「でかくなってないか? さっきの短剣とは違う」
言われてみればその通りで、おそらく、俺の――リヴィアの魔力を吸って成長したと思われる。一回り大きくなった短剣はさっきよりずっと握りやすい。重さもそれなりにあって、振り回すのにちょうどいい感じがする。
少なくとも、ダミアノじいさんからもらった短剣よりずっと使えそうだと思った。
「やっぱり、君は魔力が強いんだな」
やがて、ラウール殿下が何かに納得したように笑い、俺に詰め寄る。
「だから何でしょうか」
俺は彼から遠ざかるために後ずさる。
「リヴィア、だっけ? 俺はさ、強い女が好きなんだよ。君が側妃が厭だって言ったとしても、いつまでも同じ気持ちでいるとは限らない。それに、それを抜きにしてもこんな学園で燻ってるのも問題だと思わないか? 将来的に、この学園を出て……うちにこないか?」
「うちに?」
「シャオラ王国。学園の下働きよりもずっと、有意義な生活が送れるはずだ。その魔力の強さも、生かせる。そのついでに、仲よくしよう」
「間に合ってます」
さらに後退っていくと、逃げ場がどんどんなくなっていく。ムカついたので、足元をぐるぐる回っているケルベロス君を『噛め!』とけしかける。さすがに子犬サイズとはいえ、ハスキー犬に吠えられてラウール殿下が後ずさり、その背後でブルーハワイが額に手を置いてため息をついた。
「あの。この方をどうにかしていただけませんか、ブルーハワイ様」
俺がそう言うと、一瞬遅れてブルーハワイが反応して顔をこちらに向けた。
「ブルー……? 何はともあれ、うちの殿下が申し訳ありません」
そういえば、俺はブルーハワイの名前を知らなかった。相手も意味の解らない名前で呼ばれて困惑しているようだったが、それでもラウール殿下の腕を掴んで俺から遠ざけてくれる。
不満げにブルーハワイを見た殿下は、すぐに俺に視線を戻す。
「でも、俺は本気だから。リヴィア、まずは恋人から初めてみないか」
「初めからの位置が間違ってませんか? きれいさっぱり、何から何までお断りします。せっかくだから殿下はさきほどの幽霊と……」
と、そこで白い少女が姿を消しているのに気付いて俺は眉を顰めた。ラウール殿下もそれに気づき、肩を竦める。
「何だったんだかな、そういや名前も聞いてなかった」
「幽霊まで口説くラウール殿下、さすがですね」
わざと嫌味ったらしくそう言ってみるが、殿下はその口元を緩めてこう返してくる。
「何だ、嫉妬か? 可愛いな」
全身全霊をかけてぶん殴ろうと本気で思ったが、それより先にブルーハワイが俺と殿下の間に割って入った。ブルーハワイどいて! そいつ殺せない!
「おっと……」
ふと、そこで殿下が奇妙な目つきで遠くを見やる。その視線の先を追うと、中庭をゆっくりと歩く赤毛の男が見えた。ヴァレンティーノ殿下の友人、兼、側近。ダンテ何とかとかいったと思う。あまり顔色はいいとは言えず、悩みでもあるかのように難しい表情で光の塔の方へ向かっている。
「忠犬も、主を誤るとああなるという例だなあ」
ラウール殿下が鼻の上を指先で掻き、苦笑した。「ヴァレンティーノ殿下とやらは悪い男ではないんだろうが、正直、どうかと思うね。人を見る目がないというのは、上に立つ者として致命的だ。平和ボケってやつかね」
「だからこそ、ジュリエッタ嬢が必要なのでしょうね」
同感だと言いたそうにブルーハワイも頷いて、そんなことを言う。「ヴァレンティーノ殿下より、ジュリエッタ嬢の方が悪知恵も働きそうですし。正直に言えば、周りの女生徒を上手く使ってみせたと感心しましたよ」
それは俺も含まれるのだろうかと軽く睨みつけると、その視線を感じたのかブルーハワイは視線を宙に彷徨わせた。
「あっちの忠犬も引っ張りたいもんだが、難しそうだ。俺の方がずっと上手く使ってやるのに」
ラウール殿下がそう嘯くと、ブルーハワイが半目になってその横顔を見すえる。
「まあ、向こうも主を選ぶ権利がありますから諦めてください。それより、少し気になりませんか」
「何がだ」
「あっちの忠犬とやらの様子ですよ。おそらく、もう一波乱あると思いませんか?」
ブルーハワイが赤毛の少年が消えた方向を見つめたままそう言って、ラウール殿下は「確かに」と頷く。
そういや、淫乱ピンクはどうしているんだろう。ここずっとジュリエッタさんにも会っていないから、情報が何も入ってこない。
何かまた問題が起きているんだろうか、と俺は気になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます