第47話 心は男でも身体は女なのだから

「おーい、リヴィアさんやー」

 ドアの向こう側からダミアノじいさんの間延びした声が聞こえるが、俺はベッドにうつ伏せに倒れ込んだまま、頭を動かす気力すら失っていた。

 あああああ、もう、どういうことなんだって話だよ!

 俺はこのまま身体が沈んでしまえとばかりに頭をぐりぐりと枕に押し付けた。

 僅かな頭痛と胸の痛み。知ってるんだ、これが失恋ってやつだってこと。


 空中競技場が解体されたのは、『あの』直後。

 それからの流れは、色々ありすぎてよく覚えていない……んじゃなくて、思い出したくない。


 厭な邂逅があった。何故かあの場に居合わせたオスカル・ファルネーゼ殿下は、酷く冷たい眼差しでリカルド先生と俺を見たと思う。視線も間違いなく合った。

 しかし彼は無言のまま立ち去って、俺たちもすぐにその場を後にする。

 ジュリエッタとヴァレンティーノ殿下は二人きりで話がしたいということで、光の塔へ向かってしまった。

 それからしばらくして赤毛がヴァレンティーノ殿下を探しに戻ってきたが、この場にいないと知ると元々強張っていた表情をさらに曇らせ、ため息をついて見せた。

 どうやらその様子から、追いかけていった淫乱ピンクとはあまりいい会話ができなかったのだろうと知る。

 学園内に出た怪我人の治療やら、後始末に追われて先生方も忙しかったし、リカルド先生もすぐに他の先生に呼ばれて姿を消した。

 で、俺はと言えばどこかもやもやした感情を持て余しながら、ダミアノじいさんと一緒に掃除をしたり体育祭の後片付けをすることになったのだ。


 本当ならば翌日に予定されていた剣術大会も予定が未定のまま延期となってしまったし、それから数日の間は色々と学園内が騒がしかった。

 今まで見たこともないほど強い魔蟲が現れたこと、それが不吉だと噂する人間も多かった。でも結局は、無事に退治されたのだから――という安堵も広がっている。


 それから――。


 しばらくして、ジュリエッタさんの名字が変わった。

 ジュリエッタ・カルボネラではなく、ジュリエッタ・ヴェルドーネ。母方の旧姓、つまり、祖母のところの正式な養女になったのだ。

 祖母の怒りは凄まじく、娘の夫――ジュリエッタの父親とはほぼ絶縁になることを言い渡したようだ。大切な孫を勝手にどこぞのジジイに嫁入りさせようとしたことが逆鱗に触れたらしい。元々、カルボネラ家というのはヴェルドーネ家の娘を嫁にもらったことで力を得た貴族だったらしく、今は微妙な立場に追いやられたのだと聞く。

 そしてレオーニ王国の現在の国王は、ヴェルドーネ家の血筋を入れたかったようで、色々あったもののジュリエッタとヴァレンティーノ殿下の婚約は継続されたままだ。


 嘘だろう?

 婚約破棄はどこにいったんだ。

 あの浮気男とジュリエッタさんが幸せになれるっていうんかよ、畜生め!


 俺がそう思っても、ジュリエッタさんはまだヴァレンティーノ殿下のことが好きらしい。何だかヴァレンティーノ殿下も、元々はジュリエッタのことが気に入っていて、淫乱ピンクとは結婚など考えていなかったというのだから……どういうことなんだよ! あんだけイチャついてただろ!? ふざけんな!

 聖女が何だっていうんだ。聖女を自分の国に引き留めておくための駆け引きって何だよ。そんなの知るか! 死ねばいいのに!


 でも――。


 雨降って地固まる、ということなのだろうか。

 ジュリエッタさんとヴァレンティーノ殿下は今、仲睦まじい。

 日常生活に戻った学園は、前と同じように生徒たちが笑顔で行き交う場所になった。以前はヴァレンティーノ殿下と淫乱ピンクが並んで歩いているのをジュリエッタさんが遠くから見つめている、という光景が見られたのに、今は違う。

 淫乱ピンクの姿はなく、殿下とジュリエッタさんが談笑しつつ並んで歩いている。一緒に勉強したり、昼食を取ったり、その場には俺やジーナは近づけない。

 いや、近づいてもいいんだろう。ジュリエッタがたまに俺たちを呼んでくれる。でも、二人の邪魔なんかできるわけない。馬に蹴られて死ぬのは俺たちなんだ。


 ……くそ、いっそのこと死にたい。


 俺は深いため息をつき、まだドアの外で呼んでいるダミアノじいさんの声を聞きながら、のろのろと身体を反転させた。

 部屋の中は明りがついているから時間ははっきりしないが、きっと夕食の時間が迫っている。じいさんの食事の準備でもするか、とベッドから降りて、ドアを開ける。

 すると、少しだけ香ばしい香りが漂っていることに気づく。

「飯にするかの、リヴィアさんや」

 ダミアノじいさんが俺の頭を撫で、そう言った。

 どうやら、もう食事の準備はできているようだ。

 気遣ってもらっているらしいと知って、俺は思わず泣き笑いの顔を作った。


「怪我人の治療は全部終わった。もう大丈夫だろうということで、剣術大会の日程も来月早々に行われる」

 そう言ったのはリカルド先生だ。相変わらず夕食時は姿を見せるが、どことなく疲れの見える表情でもあった。きっと忙しかったんだろう。

 今夜のメニューはダミアノじいさんが作ったということもあって、あまり手の込んだ感じではない。鶏肉のソテーの上には香草という名の薬草が乗っていたり、野菜シチューにも滋養強壮のための薬草が混じっていてちょっと苦味がある。だが、ありがたいことにパンは買ってきたものらしく、シンプルだけど美味しいと噂のやつだ。

 もぎゅもぎゅと口を動かしていると、リカルド先生はどことなく俺を観察する視線を向けてくる。

「……お前は今度こそ引きこもっていろ」

「それより、ヴィヴィアン様の姿を最近お見かけしませんが、どうしたんですか?」

「お前な」

 ふと彼は深いため息をついた後、テーブルに視線を落として続けた。「光の塔の自室から出てこない。体調不良という話だが、このままだと補講を受けなければならないだろうな」

「落第とか留年とかいう概念はこの世界に存在しますか?」

「……何だそれは。試験の結果が悪ければ、卒業した時の評価が低くなるだけだ。カルボネラ家の人間なら、別に評価が悪いまま卒業したとしても、結婚できなくなるわけではない。問題はないはずだ」


 なるほど?

 まあ、淫乱ピンクがどうなろうと知ったことではない。彼女はこのゲームの世界でハッピーエンドを迎えることができなさそうというだけで、それで人生が終わるわけではない。ヴァレンティーノ殿下と結婚できないのが確定したとしても、もしかしたら他の王子と結婚するかもしれないし、聖女としてレオーニ王国で何不自由ない生活を神殿で死ぬまで送れるかもしれない。

 貴族なんて連中は、どうやったって金には困らない生活を送れるんだろうし。人生は続いていくのだ。


 俺はどことなくやさぐれた気分になりつつ相槌を打つ。

 そしてやっぱり、ジュリエッタさんのことを思い出して落ち込んだ。


「忘れているのかもしれんが……お前は女なんだ」

 食事が終わってリカルド先生が部屋を出て行く前に、そんなことを言う。

「そうですね。不本意ながら女のようです」

 自分が男として生まれ変わっていたら、本気でジュリエッタさんを狙いに行っていただろうと思って苦々しく思った。ヴァレンティーノ殿下と不仲になっていたチャンスを逃がさなかっただろう、と。精一杯優しくして、俺を見てくれるように頑張っただろう。

 でも、俺は今、女なんだよなあ。

 視線を落とせば、小さいながらも間違いなく膨らんだ胸があって。細い腕と足があって。男性よりは弱く見えるだろう、細い身体があるのだ。

「でも、心は男ですから」

 と、続けようとすると、リカルド先生は静かに俺の台詞を遮った。

「お前がどう思ったとしても、お前は女だ。そういうふうに肉体ができているし、周りにもそう思われている。ラウール殿下は相変わらずお前に興味を持っているし、困ったことにお前と私が一緒にいるところを弟……オスカル殿下に見られた。彼もまた、お前に興味を持つだろう。私に対する嫌がらせとして、お前を攻撃する可能性もある。神具かどうかは別として、お前の肉体は女であり、一見はたおやかな女性に見えるというのが問題だ」

「何が問題ですか? 見た目はどうあれ、わたしは強いです。魔蟲退治はおじいさまにいいところを持っていかれましたが、わたしだって戦える実力があります。周りのどんな人間にも負けない自信があるんです」

「解っている。だが、その自信が過信を生み、油断を作る。気を抜いたら襲われる可能性があると思え」

「それはそうですが」


 リカルド先生はそこで心底厭そうに顔を歪めて、言おうかどうしようか悩んだようだ。しかし、結局は口にした。俺が知りたくなかったことを。


「お前はアンブロシアと呼ばれる神具の餌ではあるが、その身体の造りは人間と違わない。襲われれば子供も作れる身体なんだと自覚しろ」

「……え」

 一瞬、理解するのを脳が拒否した。襲われれば、何?

 先生はさらに俺に詰め寄るように言う。

「理由はどうあれ、王族を傷つければ身分が低い方が処分される。身の危険を感じたら反撃する前に逃げろ。いいか?」


「リカちゃんはお主を心配しとるのよ」

 ソファに座ったままお茶を飲み、こちらの会話に耳を澄ませていたダミアノじいさんがそう言葉を投げてくる。俺はじいさんに顔を向けると、意味深に微笑む顔がそこにある。

「いっそのこと、リカちゃんと形だけでも婚約しておけばいいじゃろ。どうせ、どっちも浮いた話の一つもないし、恋人もおらん。問題ないはずじゃ」

「ええ……」

 形だけでも男と婚約ってのはどうなんだ。俺が鼻の上に皺を寄せて不満を露にすると、リカルド先生が低く唸りながら首を横に振る。俺も厭がっているが、先生も同じのようだ。

「ラウール殿下はそれで跳ねのける口実になると思いますが、あの弟は私の婚約者ともなれば本気で命を狙ってくるかもしれませんよ?」

「こいつは殺しても死なんじゃろ。神具なのじゃし」

「……確かにそうですが」


 つい、俺とリカルド先生は顔を見合わせて唸り合う。ある意味、威嚇のような響きでもあった。でもまあ、ラウール殿下のようなケダモノ避けにはいい口実なのかもしれない。納得はいかんけども。

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