第46話 幕間 6 ヴィヴィアン

 ――こんなの絶対間違ってるのよ!


 ヴィヴィアンは中庭を走り抜け、外れにあるガゼボにまでたどり着く。人目を避けて逃げついた先がそこだった。ヴァレンティーノともよく散歩した場所。イベントが起こりやすい場所。

 石でできた柱に手をかけ、乱れた呼吸を整えながら彼女は考える。どこで間違ったのか、どうして狙った通りにイベントが進まないのか。


 姉であるジュリエッタ・カルボネラは、彼女が知っているゲームのシナリオ通りに動いてはくれなかった。だが、登場人物の名前も舞台もゲームと全く同じだったし、何もしなくても普通のエンディングを迎えるために動いてくれていた。

 最悪、ノーマルエンドでもヴィヴィアンが不幸になることはないはずだった。

 それなのに、どこで間違ってしまったのか。台詞選びを間違ったのか、行動を違えたのか。

 現状は、ヴィヴィアンが知らないバッドエンドに向かっているようにしか思えない。


「本当なら、今日がお姉さまの婚約破棄のイベントがあったのに。どうして?」

 ぽつりと呟いた後、背後に気配を感じて振り返る。

 追ってきてくれた! と喜色を浮かべたその顔は、すぐに困惑に強張った。

 彼女が望んでいたのは、一番攻略が簡単で一番彼女を裕福な生活に導いてくれるヴァレンティーノ・レオーニ殿下だ。姉のジュリエッタと婚約破棄後、ヴィヴィアンと改めて婚約し、そのまま幸せなエンディングを迎える。

 しかし、今、彼女の目の前にいるのは彼ではなかった。

「ダンテ様? あの、ヴァレンティーノ様は……?」

 赤毛の柔和な顔立ちの少年を目の前に、不安げな声が上がる。それを慰めるかのように、相手は優しく微笑みながら近寄り、申し訳なさそうに口を開く。

「申し訳ございません。殿下はジュリエッタ様とお話があるようなので」

「どうして!」

 ヴィヴィアンはそう叫んだ後、後退ってダンテから遠ざかろうとする。視線を上げると、中庭の上空に浮かんだ競技場があった。そこにヴァレンティーノとジュリエッタがまだいるのだと思うと、ヴィヴィアンの顔が歪んだ。


「ヴィヴィアン様。今まで、我々が伺っていた話は事実ということで間違いないのですよね?」

 ダンテは静かに問う。

「事実?」

「ジュリエッタ様がヴィヴィアン様に嫌がらせをしているという話が本当なら、ご安心ください。殿下は曲がったことが嫌いな方なので、絶対にヴィヴィアン様を守ってくださいます」


 ――それが、真実であるのなら。


 と、小さく続けたダンテは、次第に顔色を失っていくヴィヴィアンを見つめていた。

 それが語っていることは一つだった。


「……聖女って何ですか?」

 やがてヴィヴィアンはそう訊いた。彼女の知っているストーリー展開にはその設定はない。

 ヴァレンティーノ殿下と結ばれた後、本当なら彼女は自分の立場を明かすつもりだった。今はもう失われた国の王女の血を引いていること、神に愛された血族であること。

 それで完全に彼女の物語は終わる。

 彼女が想像するに、違う国の王家の血筋を引いているということは、ヴァレンティーノとの婚姻もスムーズに行わせる。ジュリエッタよりもずっと高貴な血筋なのだから、他の貴族たちも二人の結婚を祝福するだろう、と思っていた。


 それなのに、ここで新しい設定が出てきた。聖女とはどういう立場なのか。結婚できない、という不穏な言葉を聞いて、心臓が厭な音を立てている。


「今、神殿には二人の聖女様がいらっしゃいます」

 急な質問に戸惑っただろうに、ダンテの声はどこまでも平坦で、落ち着いて返される。「お二人ともずっと今まで神殿で暮らし、国のために祈りを捧げてくださいました。ただ、かなりご高齢でありますから、新しい聖女様が現れるのを待っていたのです。そして、もしかしたらヴィヴィアン様が、とヴァレンティーノ殿下もおっしゃっていました」

「違うわ。わたしは、聖女なんかじゃなくて、神に愛された乙女の血筋なの」

 ヴィヴィアンはダンテの台詞を遮って笑う。震える胸の上に手を置いて、必死に声が大きくならないようにと抑えながら続ける。

「わたしは、特別なのよ」


「……神に愛された乙女?」


「知らないの? 失われた聖なる血を引いているの、わたし。この髪の毛の色だってその証拠なのよ」

 くすりと笑ってそう言いつのるが、ダンテの顔からはそれまでの穏やかさが消え、不穏な輝きがその双眸に灯るのだ。それを見て、また何か言い間違ったのか、とヴィヴィアンが唇を震わせた。

「……神に愛され、神を畏れず、傲慢の道を歩み、滅んだとされる……あの?」

 そう、ダンテの声が低く響く。


 ――どうしてなのよ! そんな設定、どこにもなかったはずでしょ!?


 ヴィヴィアンは頭を抱え、柔らかな髪の毛を掻き回し、頭皮に爪を立てる。


 ――聖なる血筋なのよ。誰もが称賛する対象なのよ! 何でそんな目で見られなきゃいけないのよ!?


「……何で、わたしは生まれ変わってきたのよ。幸せになるためなのよ? わたしがこの世界の主人公なの。他のキャラたちはわたしのために生きているの」

 ぶつぶつと呟く少女を、ダンテは眉を顰めて見つめるだけだった。

 目の前にいる少女の抱える心の闇に、初めて気づいたかのように、どうしたらいいのか解らず言葉を失っている。


 彼女は目の前にダンテがいることも忘れ、ただ自分に問いかける。


 リセットはどうすればいいの。前世はいじめを苦にして、電車の前に飛び込んだ。わたしに味方なんていなかった。誰も助けてくれなかった。たくさんの恨み言をノートに書いて、遺書とした。積もり積もった恨み言は書いても書いても終わらなかった。あいつらに対する憎しみは、死の寸前に幸せに変わる。遺書を読んだ時の彼らの表情を想像して、ぞくぞくする。わたしだけ不幸になるのは厭。みんなみんな、不幸になってしまえ。

 死の瞬間。

 凄まじいブレーキ音と、一瞬の痛み。それでわたしの人生は終わり。

 あまりにも不幸な人生だったから、神様がもう一度チャンスをくれた。幸せになるための人生。それが今回。

 それを失敗してしまったら、今度はどうすればいいの。また死ねば新しい人生がもらえるの? 塔の最上階から飛び降りたら苦しまずに死ねるの?

 今度は今よりもっと楽な人生になる?

 生まれた時から恵まれて、お金にも困らず、美しく、誰からも愛される人生を生きていけるの?

 苦しいことなんていらない。優しい人だけ一緒にいてくれればいい。


 優しい人だけいれば。


「ダンテ様。わたしを幸せにしてくださいますか? わたしだけを見て、わたしだけを幸せにしてくださいますか?」

 歪んだ笑みのまま、ただ希うようにそうダンテの前に立ち、少年の腕を掴んで引き寄せようとする。ダンテ・パルヴィスという少年は、ヴァレンティーノとハッピーエンドを迎えた後、二週目以降で攻略できるキャラクターだった。

 真面目で優しく、ヴァレンティーノに忠誠を誓う少年。それが、主人公と接することで彼女を見てくれるようになる。

 しかし、ダンテは困ったように身体を引いた。

「……ヴィヴィアン様、今のあなたは混乱しています。一度、部屋に戻って落ち着かれてはどうでしょうか」

「助けて……くれないの?」


 彼女の頬にぼろりと涙がこぼれ、それを見たダンテがさらに情けない顔をする。それを見ると、少しだけ溜飲が下がるような気がして、ヴィヴィアンは笑う。

「やっぱり、ダンテ様は頼りなくて駄目ね。あんまり人気なかったキャラだし、仕方ないかなあ」

 くく、と笑いながらヴィヴィアンは涙を拭い、一人で歩き出した。それを追うかどうしようか悩んだダンテは、ただ唇を噛んでその場に残る。追うことを恐れたかのように、彼は僅かに俯いて唇を噛んでいた。


 ヴィヴィアンの頭上で、いつの間にか競技場は解体されて姿を消している。

 ヴァレンティーノもジュリエッタも、競技場から降りてきているはずなのに自分の前に姿を出さないなんて、と自嘲するしかない。

 ヴィヴィアンは今、自分がとても矮小な存在に思えて仕方なかった。自分は主人公なんだから、本当は幸せなエンディングがあるのだと信じたかった。


 しかし。


 ――リセットしようかな。


 彼女は辺りを見回した。

 どの塔が一番高いかなあ、とくすくす笑う。死ぬ瞬間、咄嗟に防御魔法を使うなんてことはしないように注意しないと、とさらに声を上げて笑う。あはははは、と甲高くなっていく声を聞いて、通りすがりの生徒たちがどこか恐ろし気に彼女を見た。


 やがて彼女は足をとめる。

 気が付けば目の前に見覚えのある少年の姿があった。

 黒い髪と黒い瞳。幼さが残った綺麗な顔。


 ――まるで、悪魔みたいね?


 ヴィヴィアンはオスカル・ファルネーゼ王子を見て首を傾げた。その仕草はとても可愛らしく、魅力的であるのは確かだろうが、どこか狂ってもいた。


「君は幸せになりたいの?」

 オスカルはそうヴィヴィアンに問いかける。

「もちろんです。誰だって、幸せになるために生まれてきたんでしょう?」

 ヴィヴィアンの言葉に頷いたオスカルは、さらに続けた。

「そうだね。幸せになるためには、誰かの不幸の上に立つしかないんだ」

「わたしもそう思いまーす。気が合いますね?」

「じゃあ、手を組まないか? 手伝って欲しいことがある」

「ギブアンドテイクってやつですねー? いいですよ、わたしのお願いも聞いてくれたら何でもします」

 自暴自棄になった声だとヴィヴィアンも自覚していたが、どうしてもとめられなかった。目の前にいるオスカルという少年は、自分の手に余る闇を抱えていると知っている。だからずっと、彼との間に起こるイベントも最低限で済ませ、避けていた。

 でも、利用できるかもしれないと彼女は気づいたのだ。


「オスカル殿下が、わたしの望みをかなえてくれるなら。そうしたら」

「ふうん。君の願いは何?」

「お姉さまを殺してくれれば? かな? お姉さまが幸せになるなんて、ストーリー展開はあり得ないから、絶対に駄目なの。ヴァレンティーノ様と結ばれるなんて未来は許せない」

「そう」

 オスカルはそっと笑い、ヴィヴィアンの手に触れ、優しく耳元で「いいよ」と囁いた。

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