第45話 リカちゃんよりいい男じゃないと
「結婚できないなんて……そんな設定なかった」
気が付けばヴィヴィアンはぶつぶつと呟きながら後退り、虚ろな目で辺りを見回してからスタジアムを降りようと走り出す。揺れるピンク色の髪の毛を茫然と見送った殿下が、ちらりと視線を赤毛に走らせた。
「ダンテ、頼めるか?」
「はい」
ダンテと呼ばれた少年は、素早く一礼すると淫乱ピンクの後を追って走り出した。
そして、その場に残された皆の間には奇妙な空気が流れる。
「殿下は妹を追わないのですか」
困惑したように問いかけるジュリエッタに、ヴァレンティーノ殿下は困ったように微笑みかけた。ジュリエッタと殿下の間に立ち塞がるように立っている俺のことは無視ですかそうですか。
「今は君と話をした方がよさそうだからね。それに……すまなかった」
「何がでしょうか」
「噂を鵜呑みにしたこと、だろうか」
「いいえ」
ジュリエッタは僅かに首を傾けて笑う。「人は皆、好きな相手の言葉を信じるものですから。だから、殿下がわたしを信じなかったのは仕方ないのです」
殿下は言葉に詰まったようだった。
学園内に流れていたジュリエッタの悪い噂、それを信じて彼女から離れたのは殿下だろう。ジュリエッタは笑顔であるけれど、その笑顔の裏に潜んだ感情がいいものではないことも、殿下には伝わっているはずだ。
だからこそ彼はもう一度頭を下げ、真摯な態度でジュリエッタに向き直る。そして、どこか躊躇している様子を見せながら口を開いた。
「今までは周りの人間の話を聞いた。これからは君の話を聞きたい。君がヴィヴィアン嬢に嫌がらせをしていなかったという件もそうだが、あと一つ……」
そう言いかけた時だ。
「無事でよかった! 探してたんだ」
と、望まぬ相手から声をかけられて俺の顔が不快に歪む。
ラウール殿下が俺たちが戻ってきたことに気づいたようで、どこからか姿を見せて駆け寄ってくる。彼の視線は俺に向いていて、俺は思わずジュリエッタの背後に回り込んで彼女の服を掴んだ。
俺の左腕の中で、ケルベロス君がまるで「逃げる?」と言いたげに見上げてくる。どうしようかと一瞬悩んだが、逃げるのはいつでもできる。できるはずだ、と自分に言い聞かせた。
「そう、ラウール・シャオラ殿下のことがあった」
ヴァレンティーノ殿下がため息をつく。「彼は君のことを気に入っていると……」
「……この子に何かございましたか、ラウール殿下?」
ジュリエッタが俺を庇うように立ち、嫣然と微笑む。それを聞いて、ヴァレンティーノ殿下が目を眇めるように細めた。
「ああ、君に興味はないな。俺が話をしたいのは、その銀色の君だ。隠すのはやめてほしいんだが」
――いやいやいや。
俺はぷるぷると首を横に振って、さらにジュリエッタの背後で小さくなる。
「あら、この子はわたしの大切な友人ですの。気まぐれで手を出すのはやめてくださいますか? 殿下はシャオラ王国の今後を担う方。そして、噂では女の子に次々と声をかけていらっしゃる、不誠実な方」
「友人……」
ヴァレンティーノ殿下の困惑した声が耳に入る。
ラウール殿下が斜に構えて低く笑った時、遅れて青い髪の少年が駆け寄ってくる。おせーよ、ブルーハワイ。この男をどこかに連れていってくれ。
そう願っても、ラウール殿下の上から目線の言葉はとまらない。さらに一歩こちらに歩みを進めてジュリエッタを見下ろした。
「噂は噂でしかないな。その友人の幸せを考えるなら、引いてもらえないかな、ヴァレンティーノ殿下の婚約者殿? 君はこの件に関しては部外者だ」
「例えそうだとしても、今は取り込み中ですから。どうぞ、ラウール殿下こそお引き取りください」
「そうですよ、殿下、ここは」
ブルーハワイがラウール殿下の背後から声をかける。
しかし、絶対にここから離れない、と明確な意思を示す表情のラウール殿下、俺を守って一歩も引かない、というジュリエッタが向かい合って。
俺は思わずジュリエッタの後ろから声を上げた。
「わたしは絶対にラウール殿下のことを好きにはなりませんので、もう近寄らないで欲しいです」
「連れないなあ」
く、と笑うラウール殿下の顔が妙にムカついて、俺はジュリエッタの服を掴む手に力が入り、さらに声を張り上げる。
「前も言いましたが、わたしはジュリエッタ様をお慕いしております! わたしは女性しか好きになれません! もしわたしと付き合いたいというのなら、一度死んで、女の子に生まれ変わってからどうぞ!」
「……どういう状態だ?」
呆気に取られたヴァレンティーノ殿下の言葉は、その場にいた他の生徒たちの心情も表していただろう。誰もが俺たちの会話を眉根を寄せつつ見つめ、首を傾げていた。
「しかし本当に……仲がいいんだね?」
やがてヴァレンティーノ殿下は不思議そうにジュリエッタと俺を交互に見やる。その目には真剣な輝きが灯り、やがてジュリエッタの上でその視線はとまる。
「悪かった。本当に誤解していた」
「いいですわ。もう、わたしはカルボネラ家の名前ではなくなるかもしれませんもの。婚約破棄するにはちょうどいいタイミングでした」
「それはどういう」
「リヴィア」
混乱とか困惑とか色々渦巻くこの場所に、ちょっと聞きたくなかった声が響く。にこやかなのに明らかに怒っているというのが解る、リカルド先生のものだ。
当然ながら、俺たちのこの光景は酷く目立っていて、他の生徒たちの視線も引いている。遠巻きにしつつこちらを見つめている視線がたくさんある中で、やはりというか何というか、眉尻を下げて情けない顔をしたダミアノじいさんと、得体の知れない笑顔を浮かべたリカルド先生もそこにいた。
俺たちに近寄ってきた二人は、野次馬たちにこの場から立ち去るように促しつつ、その後でリカルド先生は俺の襟を掴んで引き寄せた。
やっぱり猫扱いだろ、俺!
「目立つなと言ったな? 覚えているか?」
と、耳元で低く囁いた彼に、背筋が凍る。
ちょっとヤバいかもしれないな、と引きつった笑みを浮かべつつ彼を見上げると、彼の目が形だけ柔和に細められる。
「さて、怪我人が出ているため、体育祭は中止となる。この会場は解体されるので、降りてもらいたい」
リカルド先生が顔を上げてそう言うと、皆が顔を見合わせた後にそれぞれこの場を離れていく。ヴァレンティーノ殿下、ジュリエッタやジーナ、マゾ仲間たちも、そして他の生徒たちもそれぞれ歩き始めたが、ラウール殿下とブルーハワイだけがリカルド先生の前に残る。
「さて、ラウール・シャオラ殿下」
リカルド先生は俺の襟首を掴んだまま言う。「この子に関わるのはやめてもらいたい」
「何でだ、いや、何故です?」
ラウール殿下は教師相手だからか、口調を改めたがその目には納得いかないという感情が混じっている。
「この子は我が師匠であるダミアノ導師の娘であり、私の魔法の弟子でもある。魔法に関して一人前になる前に、嫁に出すつもりは毛頭ないのでな」
「勝手ですね」
不満げに鼻を鳴らす彼を、横からブルーハワイがその腕を引いた。
「もう、いい加減にしてください、殿下。殿下に見合う女性は他に星の数ほどいます」
そうだそうだ、帰れ帰れ!
俺が心の中でブルーハワイを応援していると、ダミアノじいさんが呵々と笑いながら口を挟んだ。
「わしの娘は人気があるのう? じゃが、グラマンティから出すつもりはないからのう、諦めてもらおうかの!」
「そんな勝手な」
気色ばんで口を開く殿下に顔を突き出して、じいさんが露悪的に笑って続けた。
「わし、このリカちゃんよりいい男じゃないと認めんからのう。残念じゃが、今のお主では敵にはなれん」
「リカちゃん……?」
「導師」
困惑するラウール殿下、皆の前でリカちゃんと呼ばれて渋い顔をするリカルド先生。微妙な空気が流れても、ダミアノじいさんは気にしない。じいさんは服のポケットから巨大な魔石を取り出して、手の中でそれを弄びながら小さく笑う。魔蟲石ではない、それより大きな力を持つものが魔石。魔蟲よりも遥かに強いという魔物を倒せば手に入れることのできるもの。
何かよく解らんけど、魔蟲も魔物並みに強くなれば魔石を落とすことがあるらしい。
「わし、この程度の魔石を落とす魔蟲を倒すのも簡単なのよな。しかし、わしの弟子であるリカちゃんも、わしを超えるかもしれん能力持ちじゃ。お主はそれほどの力は持たんじゃろ?」
彼の手の中で輝く魔石は、今まで見たどんな石よりも濃い闇の色をしていた。
そして最終的には、ラウール殿下は不承不承という形で引いた。
俺たちの前から遠ざかる彼らの背中を見送りつつ、俺はどこからかこちらに向けられている視線に気づく。背筋を這い上がる冷たい感覚は、その視線の主があまりよくない感情を抱いている証に思えた。
「だから目立つなと言ったのに」
リカルド先生がまたそう言った。
彼が横目で見た先を俺も視線で追う。
そして、随分と遠い場所。スタジアムから降りようとしている生徒たちの中で、足をとめてこちらを見ていた視線と一瞬だけぶつかった。
それは、リカルド先生の弟だというオスカル・ファルネーゼ殿下だった。
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