第43話 わたしが殿下を救うはずだった
遥か頭上ではダミアノじいさん他、先生方の戦闘が始まっている。
激しい閃光が走り、雲を裂く。魔法と魔蟲がぶつかり合い、白煙が上がる。
一瞬だけ、俺もその戦いに参加したいという思いが胸の中に湧き上がる。血の流れを妙に感じて、獣じみた衝動に突き動かされそうになる。
それを呼吸を整えることで必死に押さえ込んだ。今、俺がやるべきことは違うんだ、と言い聞かせて。
俺はケルベロス君に頼んでドラゴンごと俺たちを見えなくしてもらい、一気に飛び上がった。ドラゴンを操るのはジュリエッタで、手綱を引いて右手を上げながら指示する。惚れ直しそうなくらい彼女は格好いいと思う。
「魔蟲が押されてるわ! このままなら大丈夫かしら……って、あの馬鹿!」
ジュリエッタが前方に見えるヴィヴィアンを見て舌打ちする。その原因は俺にも見えた。
ヴィヴィアンの魔法による攻撃は、他の先生方と同じくらい、いやそれ以上に激しくなっていた。光魔法による攻撃なのか、魔蟲はその攻撃を受けて激痛にのたうちまわり、黒い粘液も巻き散らかした。
「お嬢さん、下がるんじゃ! ここは魔蟲退治に長けてるわしらに任せてもらうぞい!」
ダミアノじいさんの声も魔法によって拡声されているのか、空の上でも大きく響く。
しかし、ヴィヴィアンは引かなかった。いつもの甘い声音とは違い、必死で決意のこもった叫びが続く。
「駄目です! ヴァレンティーノ殿下のドラゴンが怪我をして、逃げられません! ここは防ぎますから!」
どこからその自信が出てくるのか、ヴィヴィアンは全く恐怖を感じていないようだ。口元に笑みすら浮かべながら、自分が召喚した巨大な鳥を操ってさらに魔蟲へと近寄っていく。
彼女の左手の上に開いた魔法書は、白い光を放っている。そして右手の前に魔方陣が現れる。神々しいと感じるその輝きは、光属性だと一目で解るものだった。
彼女の後ろに、ヴァレンティーノ殿下のドラゴンが血を流しながら滞空を続けていた。彼が何か叫んだようだが、それは俺たちには聞こえてこない。ただ、ヴィヴィアンの行動を諫めているような雰囲気だけは伝わってきた。
「勇気なの? それとも蛮勇?」
ジュリエッタが苛立ったように呟き、ドラゴンの背中を労わるように撫でた。そして、「無茶させてごめんなさいね」と小さな囁き声が聞こえてくる。
そしてその直後、黒いドラゴンは鼻を振って大きく咆える。翼を大きく羽ばたかせ、俺たちの身体に重力がかかった。
それからはあっという間だった。
魔蟲から巻き散らかされた粘液を避けつつ、ドラゴンが空をぐんぐんと進み、間合いを詰めていく。
そして、ヴァレンティーノ殿下の白いドラゴンの傍にいくと、ジュリエッタが魔法で声を飛ばした。
「殿下! ご無事ですか!?」
「……その声、ジュリエッタ!?」
巨大な白いドラゴンの背中で、ヴァレンティーノ殿下がはっとしたように顔を上げる。
「驚かないでください。今、姿を見せますから!」
ジュリエッタに促されてケルベロス君が姿を見せるように魔力を操ると、殿下が驚いたようにこちらを見た。それはそうだろう、何もいなかったはずの空に小さめとはいえドラゴンが姿を見せたのだから。
「リヴィア!? 下がっとれ!」
さすがにこちらの様子に気づいて、すぐにダミアノじいさんが声を飛ばしてきた。ヴィヴィアンよりも前方で戦っているというのに、じいさんの勘の鋭さは一流だ。
「下がります! 殿下を回収してからですが!」
俺もそれに叫び返し、すぐにヴァレンティーノ殿下に向き直って続けた。「こちらに飛べますか? 大丈夫です、受け止めます!」
こちらのドラゴンはヴァレンティーノ殿下よりも少しだけ低い位置で飛んでいて、そのまま飛び降りればこちらに墜落するような感じになるだろう。
俺はこう見えて馬鹿力だから、ヴァレンティーノ殿下一人くらいだったら受け止められるはずだ。
「しかし」
殿下はそこで、痛まし気に自分の召喚したドラゴンを見下ろした。血だらけで、大きな翼の一部が破れ、今にも飛べなくなるだろう。むしろ、今までよく耐えたと言える。
「どうか、今は殿下のお命を優先してください! あなた様はレオーニ王国を背負うべき方なのですから、ここで何かあったらどうするのです!」
そう叫んだのはジュリエッタで、両腕を差し伸べるように彼に伸ばす。それを見て、ヴァレンティーノ殿下も最終的には頷き、ドラゴンに向けて何か小さく呟いた後に、その背中を蹴って宙を舞う。
俺はジュリエッタに伏せるように指示してから、殿下を受け止める。ドラゴンがその衝撃を受け、ぐんと高度を落としたが安定した飛行を見せてくれる。
「すまない、大丈夫だろうか」
殿下が小さく囁き、俺の腕を軽く叩く。考えてみれば俺は女なのだから、女に助けられた形になった殿下が困惑するのも仕方ないだろう。俺はただ頷き、ジュリエッタに視線を投げる。
「殿下、ご無事でよかった……」
ジュリエッタが苦しそうに言った後、その顔を上へ向ける。頭上を飛ぶ白いドラゴンは、自分を呼び出した主がいなくなったことで自由になる。僅かに不安定ながらも、ゆっくりと俺たちの上をぐるりと回って見せた後で、魔蟲がいない方向へ飛んでいく。
「心配をかけた。その……」
気まずそうに殿下がジュリエッタを見つめる。「ヴィヴィアンが、君が逃げ出した、と。私たちを見捨てて逃げた、と」
「え?」
「何ですかそれ」
ジュリエッタと俺がそれぞれ眉間に皺を寄せると、殿下は苦笑して見せた。
「逃げるのは当然だと思うけどね。こんな状況で逃げない方がおかしい。君の妹は……無茶だ。無謀にも魔蟲と戦おうとするものだから、それをとめようとして私のドラゴンが」
苦々し気な声音に嘘はないだろう。そこにヴィヴィアンに対する好意は感じられず、冷ややかなものまで感じられる。
「あの妹は殿下の命を危険にさらしたわけですわね」
ジュリエッタの声も冷淡だ。
まあ、当然だな。俺が無言で頷いていると、ジュリエッタの迷いのある声が続いた。
「あの子は……どうするつもりなのかしら。ここは先生方に任せて引くべきなのに、何のために戦ってるの?」
「自分なら魔蟲を倒せると言っていた。それだけの力がある、と」
「あの馬鹿……」
「でも、もしも彼女が『聖女』なら」
と、殿下がさらに言葉を続けようとした瞬間だった。
「お姉さま!? どうしてここにいるの!?」
淫乱ピンクの信じられないといった声が響く。自然と魔法を使っているのか、遠く離れているのにその声は鮮明だ。
「下がりなさい、ヴィヴィアン! もう充分よ、学園に帰るのよ!」
ジュリエッタも魔法で声を飛ばすと、巨大な白い鳥がさらに魔蟲の方へ飛んでいく。
間違いなくあれは馬鹿だ。
「どうして!?」
ジュリエッタのその問いかけに、淫乱ピンクの問いが返ってきた。
「それはこっちの台詞よ! どうして!? お姉さまは魔蟲に怯えて逃げ出すはずだったのに! どうして戻ってきたの!? どうして……殿下もそこにいるの!? わたしが殿下を救うはずだったのよ! わたしが! わたしが!」
どうやら混乱しているようだ。悲鳴じみた声が響いた後、ヴィヴィアンのぶつぶつという声が続いたが、それはこちらに聞かせるものではなく、自問らしかった。
どうして、とか、上手くいかない、とか。掠れたような声が続いて。
「わしの見せ場じゃあ!」
と、遥か頭上で聞きたくないダミアノじいさんの叫びが轟く。見ない方がいいかもしれない、と思いつつもそちらの方向に視線を投げると、グラマンティの先生や塔の管理人たちが魔蟲の周りを取り囲んで、最終的な攻撃を加えている光景があった。
派手な魔法による閃光、爆音、遅れてやってくる風圧と地響き。
出遅れた形になったヴィヴィアンは、風圧に飛ばされるようにして遠くに追いやられる。
巨大な魔蟲は、自分をぐるりと取り巻く魔法使い軍団から一斉攻撃を受け、地の底から響くような雄たけびを上げた。
そしてゆっくりと、その身体が溶けるように小さくなり、様々な色の光を放ちながら魔石へとその身を変えていく。
どうやらそれはダミアノじいさんが手にしたらしく、漁で大物を釣り上げた釣り人よろしく、何か叫んでいるようだが気にしたら負けである。
気づけば、ヴァレンティーノ殿下の学友と思われる貴族の男子生徒が、こちらを気にして召喚した飛行獣に乗って向かってきていた。
空はゆっくりと元の明るい色を取り戻し始めている。
戦闘の終わりは、平穏が戻ってきた印でもある。
「……帰りましょう、殿下」
眉根を下げて、どことなく困ったように笑うジュリエッタが、そう短く言う。それを聞いて殿下も似たような、困ったような笑みを作って頷く。
「そうだな、帰ろう」
ほんの僅かに沈黙が降りて、何となくいい感じの雰囲気が漂った気がする。俺はそれがちょっとだけ気に入らなかった。
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