第42話 ケルベロス君たちの出番

 ケルベロスの躰が一気に膨れ上がった。巨大な三つの頭を見上げ、俺は広い背中に跨ってしがみつく。

 巨大な前足がスタジアムの地面を叩き、ぶつかった爪が金属音を立てた。


 そうしている間にもダミアノじいさんは黒いドラゴンの背中に乗って、辺りに翼による風圧をばらまくようにして空に飛びあがっていた。他の塔の管理人と思われる男性、女性、色々な人間も次々に巨大な鳥などを召喚して飛び立っていく。

 空に映し出された巨大なスクリーンの中には、競技に参加していた生徒たちが慌てふためいて逃げる様が映っていたし、観客席にいた生徒たち、保護者たちは悲鳴を上げつつも見守るしかない。


「無茶はするな!」

 リカルド先生がケルベロスの足元にやってきてそう叫んだが、俺は親指を立てて返事とする。見事に舌打ちされたようだった。


 俺はそこでケルベロス君の腹に手と足で合図をして、地面から追うように指示する。すると、毛皮がぶわっと膨れ上がって三匹の頭がそれぞれ嘶いた。

 どん、という重力を感じた瞬間、ケルベロス君が競技場から飛び出した。

 視界の隅に、「見つけた!」とラウール殿下が叫んでいる姿があったような気がするが、もちろん無視である。


 空中の競技場から、飛び降りるケルベロス君。

 やべえ、振り落とされる!

 俺は必死にその背中にしがみついていると、それを確認した後に走り出す。ほんの一歩が何百メートルの跳躍なんだろうか、中庭をあっさりと飛び出し、初めての――俺にとってはだが――グラマンティの街へ。


 街の中も、騒然としていた。

 色々な店が立ち並ぶ大通りには、空を見上げて何か言いあいながら足をとめている人たちが溢れていた。

 ドラゴンや巨大な鳥が同じ方向へ飛んでいく様は、どこか物々しい雰囲気を放っている。向かった先、遠くの空が真っ黒に染まっていることから、彼らも何か問題が起きていることは気づいていた。


 そんな彼らを避けるように、ケルベロス君が走る。

 悲鳴や怒号をあっという間に背中に流れていくのを感じながら、必死に前方を見つめ続ける。


 がつ、がつ、と前足が地面を叩き、時には人間を避けて頑丈そうな建物の屋根にまで飛び乗りながら、俺たちはダミアノじいさんたちより随分と遅れて目的地へと到着したのだった。


 ――何が起きてる?


 空に広がった黒い塊は、魔蟲と呼ぶより魔物、いや、魔物というより魔神のように思えた。とにかく、今まで見た中で一番デカい。デカすぎる。魔蟲ってレベルじゃない。

 見るだけでこちらの心まで黒い感情に汚染されていくような、ぞわぞわとした感覚が広がる。ケルベロス君たちも警戒した咆哮を上げた。


 塊はもぞもぞと蠢き、形を変える。

 異形の手足を伸ばしたようだったが、それは今まで見たどんな生き物の手足とも違う、ぬるりとした表面とぼたぼたと落ちてくる粘液。地面に到達したその粘液は、白煙を上げて立ち上り、地面に大穴を空けてから消えた。

 手足というよりも触手にも似た複数に枝分かれしたそれが、空中で剣か何かのように振り回される。

 空を裂き、まるで見えない刃が飛ばされる。逃げようとしていた生徒の召喚した獣がそれを受け、赤い霧を噴き上げながらバランスを崩し、落ちていく。


 これはやべえぞ。


 ダミアノじいさんの姿が見えた。年寄りの冷や水って言葉を知って欲しいほど、勇猛にその魔蟲に向かっていき、魔法による攻撃を仕掛けている。

 他の人たちが、落下する生徒たちを救うために獣を操って空を駆けた。


 俺は必死に目を凝らしつつ空を見回し、小さな黒いドラゴンを探す。ジュリエッタさんはどこだ。


 魔蟲はその巨大な躰からは想像もできないほど自由に動き回り、手足を伸ばして次々にドラゴンなどの獣を襲う。触手で捕まえた鳥を引き寄せ、その喉笛に噛みつき、食いちぎる。


「ジュリエッタ様!」

 危機感に駆られるようにして、俺は必死に声を上げた。


 意識を集中させると、自分の感覚が鋭く研ぎ澄まされる。そして、探していた相手を見つけだした。

 小さなドラゴンは魔蟲の前で咆哮するものの、勝ち目はないと知って距離を取っていた。逃げようとすれば反射的に相手が襲ってくることに気づいているようで、下手に飛ぶことができず、滞空していた。その背中にジュリエッタが乗っていて、どこか遠くの方を見つめている。


 彼女の視線の先には、白い巨大なドラゴンがいた。

 白い鱗だから、攻撃を受けて吹き出した赤い血が酷く目立っている。ヴァレンティーノ殿下はそんなドラゴンの背中を撫でつつ、救助にきたグラマンティの関係者たちに気づいているように辺りを見ているようだ。


 そしてヴァレンティーノ殿下の傍には、ヴィヴィアンの乗った白い鳥。

 恐らく、ヴィヴィアンを庇うためなのか、殿下はそこを離れられずにいるようだった。何しろ、淫乱ピンクは何か魔法を使って魔蟲を攻撃している。そのため、魔蟲の意識は淫乱ピンクに向かっていて、敵意をばらまきながら身体をくねらせている。

 淫乱ピンクの魔力は強い。魔蟲もそれを警戒してあまり近づけないようだが、一瞬でも気を抜けば攻撃を受けるはずだ。

 きっと、逃げられないだろう。


 何やってんだ、淫乱ピンク!


「ジュリエッタ様! 聞こえますか!?」

 俺はリカルド先生に教えてもらった魔法を使う。左手に魔法書が現れ、自動的にページがめくられる。風属性の魔法を使い、俺の声をジュリエッタまで飛ばすと、彼女が肩を震わせて辺りを見回す。そして、遥か下にいる俺に気づいて、ドラゴンの背中を叩く。

 ドラゴンは魔蟲を警戒しながら、少しずつ地面の近くまで降りてくる。その頃になると、魔蟲はジュリエッタの乗っているドラゴンには興味が失せたようで、攻撃対象は淫乱ピンクに向かっていた。

「お怪我はありませんか!?」

 そう叫ぶと、彼女も空の上から叫び返した。

「わたしは大丈夫! でも、殿下が! 殿下の召喚したドラゴンが襲われて、もう保たないわ!」

 遠くて彼女の表情は解らない。しかし、その声は震えていて、今にも泣きそうだと思った。

「わたしを連れていってください! いっちゃんたちが頑張ってくれるので!」

 さらに俺が叫ぶと、困惑したような雰囲気が漂う。俺はケルベロス君の首に手を伸ばして叩く。心得た、と言いたげに嘶くいっちゃん。俺もやるぜ、と鼻を鳴らすにーちゃん、さんちゃん。


「何の役に立つのよ!?」

 ジュリエッタさんは泣きそうになりつつも、ぎりぎり俺の近くまでドラゴンを寄せてきた。小さいドラゴンとはいえ、巨大な生き物だ。翼が一度風を叩けば、風圧が襲ってくる。

 ケルベロス君が俺の合図で大地を蹴った。ドラゴンの背中の上まであっさりと到達し、その身体をくるりと一回転。

 俺は子犬サイズに小さくなったケルベロス君を抱え込み、ジュリエッタさんの後ろに飛び乗る。今の俺、めっちゃ格好いい。

 ジュリエッタが驚いて目を見開き、俺をまじまじと見つめる。まるで俺がこの場にいるのが嘘じゃないかと思っているかのような表情だ。

「この子、優秀なんです」

 俺は彼女の前に小さなハスキー三兄弟を見せ、にこりと笑う。「こちらの気配を完全に消してくれる、素晴らしい能力持ちです。つまり、殿下と淫……ヴィヴィアン様のところまで、姿を消してひとっ飛びですよ?」


 がう、といっちゃんたちが吠える。


「……よく解らないけど」

 我に返ったように、ジュリエッタが表情を引き締めて俺の手首に手を添えた。「頼ってもいいのね?」

「任せてください」

 俺は力強く頷いた。

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