第38話 味方なんていないと思っていた

「とにかく落ち着きましょう」

 俺はジュリエッタの前に立って、思わずその肩を掴んで揺らした。最初のうちだけ、カクカクとした動きで笑っていた彼女だが、ゆらりとその頭を元の位置にまで戻し、歪んだ笑みのまま続ける。

「落ち着いていられないし、もうどうでもいいわ。わたしは」

「駄目です」

「駄目ですよ!」

 俺とジーナが同時に叫ぶ。それからはジュリエッタを何とか言いくるめようと必死だった。何かするなら俺がやるし、ジュリエッタは大人しくして欲しいのだ、と。

 ジーナはジーナでいつも持ち歩いているらしいノートを取り出し、ヴィヴィアンの嘘を暴くためにこれを使う、と熱弁する。


 俺はさらにこう続けた。

「大丈夫です、任せてください。わたしはあまり頭がいい方ではありませんが、ヴィヴィアン様は私以上に頭がいいとは思えません。絶対、尻尾を捕まえて見せますから! ジュリエッタ様は、悲劇のヒロインとして微笑んでいてくれれば、丸く収まるようにしますから!」

 若干、馬鹿っぽい台詞だが本気だ。


「……何故、そこまでしてくれるの?」

 ふと、彼女が奇妙なものに気づいた、と言いたげな顔をする。初めて俺を見たような、驚いたような目つきだ。

「前も言いましたが、わたしはジュリエッタ様が好きですよ?」

「あっ、わたしも!」

 ジーナも右手を高く上げて叫ぶ。「貴族の方も、悪い人たちばかりじゃないって教えてもらった気がします! 特にジュリエッタ様って誤解されやすいですが、優しいですよね!」

「馬鹿ね」

 ジュリエッタはそこで、ゆっくりとソファに近づいて腰を下ろした。俺たちも座るように促されたので、彼女の向かい側のソファに腰を下ろす。

 すると、いつの間にかダフネがお茶を用意してくれて、テーブルの上に湯気の立つ白いカップが置かれる。

「貴族なんていい人間はいないわ」

 お茶を一口飲んでから、彼女は自虐的な笑みを浮かべた。「わたしだってそう。心の中は汚いものが渦巻いている。それは嫉妬だったり、憎悪だったり。他人を蹴落とすことに必死なの。立場がある分、酷いものよ」

「でも、それは仕方ないのではないですか?」

 俺は首を傾げた。「誰だって、聖人君子じゃいられないですよ。まして、ジュリエッタ様は婚約者をあの淫……ヴィヴィアン様に奪われたような形なのです。怒らない方がおかしいです。でも、やり方は選ばないと」

「やり方?」

「わたしもジーナもいます。利用してください。それなりに役に立つと思います」


 ジュリエッタはしばらくの間、宙を見つめたまま黙り込んだ。しかし、その沈黙を破ったのもまた、彼女だった。


「……わたしには味方なんて誰もいないと思ってたわ」

「いますよ」

 俺も、ジーナも。そして、ジュリエッタの傍に控えているダフネもまた、痛ましそうな目つきでジュリエッタを見つめているが、その双眸の奥には強い光がある。彼女だって味方の一人だ。


「あの、一つ訊いてもいいですか?」

 俺はやがて悩みつつも問いかける。「ジュリエッタ様はヴァレンティーノ殿下のことをどう思われていたんですか? その……好きだったのですか」


 そこに恋愛感情がなければいいな、とうっすら思った。それは彼女のためではなく、俺のためだ。俺の欲のため。これもまた、綺麗な感情ではない。


「今となってはどうなのかしらね」

 一瞬だけ驚いたように目を見開いた彼女は、ぽつぽつと記憶を辿るように語る。「殿下のこと、初めて見た時は本当に綺麗な人だと思ったわ。そうね、見た目は好きだった」

「見た目だけですか?」

「でもね、わたしたちの婚約が決まった時、言ってくれた。政略結婚という立場であっても、できるだけ歩み寄って理解をしていきたい、と。お互いを大切に、裏切らず、国のために生きていこうと言ってくれた。そこに嘘はなかったと信じてる」


 そして彼女の目が唐突に潤んだ。


「わたし、これまで誰からも必要とされたことはなかったわ。母でさえ、父と不仲になってから自分のことに精一杯で、わたしが声をかけても無視するだけだった。屋敷に帰ってこない父を恨み、そんな父の血を受け継いだわたしの存在すら疎み、遠くに押しやろうとした。そんな母が亡くなっても、わたしはそれでも悲しかった。少なくとも、父よりはわたしのことを愛してくれていたと思っていたから。それからのわたしは愚かにも、父に少しでも受け入れてもらえるよう、努力した。カルボネラ家の一員として、相応しい知力も、魔力もあると思ってたし、それなりに自信はあったから」


 ――でもね、無理だったの。あの子には敵わなかった。


 ぽつりと続いたその声は、あまりにも弱々しかった。


「父はわたしを受け入れてくれなかったけど、殿下の言葉が唯一の救い、希望だったのね。わたしは、殿下の婚約者という立場に縋り付こうと思ったわ。それがわたしの存在意義だと思えたし……そうね、きっと好きだったんだわ。殿下は唯一、わたしに優しい声をかけてくれたから。だから好きだった」


 ――くそ。ヴァレンティーノ殿下もヴィヴィアンも地獄に落ちろ。


 俺は腹の中に毒を吐き、必死にそれが外に出ないように押し込める。

 やっぱり、俺はジュリエッタさんに幸せになってもらいたいと思う。だったら、どうにかして救ってやりたい。


「それならば、殿下に嫌われるような終わり方にしては駄目だと思います」

 俺は膝の上に置いた手に力を込め、ジュリエッタを正面から見つめて続けた。「ジュリエッタ様は頑張ってきたじゃないですか。だったら、それを壊すようなやり方じゃなく、綺麗にいきましょう」

「……今更だと思うけど」

「いいえ、絶対に大丈夫です。ジュリエッタ様の味方はここにいますし、もっといるはずですよ? 大丈夫、安心してください」

 どことなく心許ない口調の彼女に、俺は必要以上に力強く言い続ける。すると、ほんの少しだけ彼女の表情にも生気が戻り始める。そして、彼女はじっと考え込み、ゆっくりとした動きで立ち上がる。


「味方……になるのか解らないけど、やってみようかしら」

 そう言いながら、彼女は近くの机に向かう。淫乱ピンクが使っていたような便せんを机の引き出しから取り出し、椅子に座って何か書き始めた。

 封蝋をして、呪文を唱え、手紙が消える。

 どこに出したんだろう、と彼女の横顔を見つめていたが、その結果はすぐに出た。


 お茶を飲んで沈黙の中にいた時、ジュリエッタの元に手紙が舞い降りてくる。彼女が手を伸ばすと、狙いすましたかのように落ちてきたその手紙は、封蝋を割られた瞬間に『叫び』出した。


「いつでも帰ってきなさい! 孫の一人や二人、守ってやる甲斐性くらいあるからね!」


 キーン、と耳鳴りがするほどに大声で叫んだ手紙の声は、老婆のように嗄れていた。俺もジーナも、そしてダフネでさえも、耳を手で押さえて声を失っている。しかし、ジュリエッタだけが安堵したように微笑んでいた。

「……ずっとお会いしていなかったけど、おばあ様、元気そうで何よりだわ」


 ジュリエッタによれば、その声の主はジュリエッタの母方の祖母らしい。

 ジュリエッタの現在の状況――殿下との婚約破棄を控え、新しく提示された婚約者の年齢などを手紙で送り、手助けを希望している、と書いたようだ。その返事があの叫び声。手紙に声を乗せる魔法なんてあるのかと思ったが、これはこれで面白い。

 というか、ジュリエッタに笑みが戻ってきたことが嬉しかったし、これからの俺の企みにも力が入るってものだろう。


「あの子が魔蟲を呼び寄せると?」

 ジュリエッタは俺たちと色々話し合った後、そう言った。

 体育祭で起きる『かもしれない』事件について、ちょっと脚色しておいたのだ。ヴィヴィアンが魔蟲を『わざと』呼び寄せて、皆の前で事件を起こすことを企んでいること。

 ジュリエッタがそこで罠に仕掛けられ、魔蟲の前で、そして殿下を含む他のイケメン男子の前で情けなく逃げ出すように派手な舞台を準備していること。

 そして俺が、それを阻止するために動くこと。


「魔蟲を呼び寄せるなんて、禁呪の類だと思うけど、あの子にそれができるのかしら」

 と、彼女は怪訝そうに首を傾げたものの、俺は「イケメンに好かれる体質のようですから、イケメンな魔蟲でも呼び寄せるんじゃないですか?」と言ったら苦笑が返ってきた。


 やがて、彼女はいつものふてぶてしい笑みを浮かべて言うのだ。

「まあ、こちらも味方が増えたことだし、怖くないわ。あの子の狙い通り、綺麗に退場してやろうじゃないの。ただし、悲劇のヒロインとしてね」

 そして言葉もなく、俺とジュリエッタ、ジーナが手を伸ばしてその手を重ねた。何というか、スクラムを組んでるような仲間意識が生まれる。

 それに遅れて、ダフネが羨ましそうにこちらを見ているのでそれをもう片方の手で呼んだ。

「わたしもいますから」

 ダフネの手が俺たちの手の上に重なる。共犯者の笑みがそれぞれに浮かんだ。

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