第37話 魔蟲襲撃イベントがあるらしい

「体育祭は魔蟲襲撃イベントがあるのよ」

 ふふふふふ、と暗い笑みを浮かべている淫乱ピンクを目の前にして、俺はちょっとドン引きしている。


 ちょっと今、変態になった気分である。いや、犯罪者だろうか、ストーカーだろうか。

 俺は現在、ケルベロス君を連れて淫乱ピンクのお部屋にお邪魔中です。誰にも見られないわけだから、この能力を悪用して犯罪し放題という状況だが、今は目を瞑っておいて欲しい。大義の為である。


 というわけで、俺は忍者のごとく壁に張り付いてじっと息を殺しているわけだ。できれば天井に張り付きたかったが、さすがにまだ忍びの者としての訓練が足りていない。今はこれで満足しよう。

 俺の手の中には、ダミアノじいさんから借りてきた魔道具――虹色に輝く拳大の宝玉があった。これが淫乱ピンクの言動を録音できる魔道具らしく、ちょっとだけ魔力を流してやれば相手の映像も言動も記録できるという代物だ。

 淫乱ピンクの悪だくみの言質を取るため、俺は深夜、こっそりと光の塔の彼女の部屋にやってきている。彼女も一応貴族であるから一人部屋で、身の回りの世話をする使用人が一人ついていた。しかし、夕食が終わった時間でお風呂も済み、後は寝るだけという状況になったので使用人も別の塔にある自室へと戻っていく。


 そうしてヴィヴィアンが一人きりになると、彼女がほっとしたように息を吐いた。

 ジュリエッタと同じような間取りの、同じように高級感溢れる部屋の真ん中で、淫乱ピンクは俺という異質な存在がいることも知らず、ぶつぶつと独り言を言い始めている。

 魔力が強いわりに、勘は鈍いな、淫乱ピンク。

 俺の気配も察知できないとは――と思うが、これはケルベロス君が頑張ってくれているからだろう。後でご褒美としておやつをあげよう。ちなみに、うちのハスキー犬三兄弟は甘いものが好きだ。


 それはともかく。


 淫乱ピンクはひとしきり一人で笑った後――これはちょっと気持ち悪かった――、机の引き出しから便せんらしきものを取り出して手紙を書き始める。

 さすがに近寄るのは怖いので、何を書いているのかは見えないし解らない。だが、彼女の緩んだ口元が上機嫌さを示している。


「……まあ、殿下の攻略はほとんど終わってるし、いいけど」

 彼女はそう呟いた後、それを封筒に入れて封蝋をする。赤い溶けた蝋の上から、はんこみたいなものを押して完成。それを手の平の上に乗せ、何か呪文を詠唱すると瞬時に消える。

 この世界の手紙とやらは、フクロウが届けるとか、そういう夢はないらしい。風属性の魔法が少しでも使えれば、魔法の風に寄って相手に届くという仕掛けだ。

 誰に出したのかは知らんが、あんまりいい感じの内容ではないんだろうな。その証拠に、淫乱ピンクの笑顔がちょっと歪んでいる。

 これで淫乱ピンクが何かの物語とかゲームのヒロインとかないわー。


「本当はもっと先のはずなんだけど、婚約できるなら早くてもいいし。後は、お姉さまをどうやって退場させるか」

 手紙を出し終わると、彼女は椅子に座って爪を噛む。真剣な表情で、しばらく何事か考えこんでいた彼女は、机の引き出しから一冊のノートを取り出してそれを開いた。


「体育祭での魔蟲襲撃イベントは、飛行獣の召喚の後。お姉さまは魔蟲が現れた後、わたしを見捨てて先に逃げるはず。その後、わたしはできるだけ格好よく、派手に、皆に見せつけながら魔蟲を倒せばいい」

 淫乱ピンクはノートの内容をじっと見つめ、自分に言い聞かせるように呟く。

 俺はそれを離れた場所で見ながら、眉間に皺を寄せていた。

「それを殿下も、他の皆も見てくれる。お姉さまが魔蟲の前で非道な真似をするところも見てくれる。わたしを餌にしようとするんだものね? 最低よ、お姉さま」

 暗い炎のような輝きを双眸に灯す彼女は、正直なところ、とても醜いと思う。

 今の自分、鏡で見てみろよ。性格の悪さが際立ってんじゃねーか。


 でもまあ、淫乱ピンクが独り言が好きな奴で良かった。お前の計画がだだ漏れで本当に助かった。

 少なくとも、俺のやることは決まったというわけだ。


 魔蟲襲撃イベントとやら、ぶっ壊してやろうじゃねーか。


 本当なら炎の塔の地下に引きこもっているのがベストなんだろうが、ジュリエッタさんのためだ、俺はやるぜ!

 魔蟲が現れた瞬間に、俺がやっつける。誰にも気づかれないうちに終わらせる。

 そのためには、俺のこの計画、ダミアノじいさんとリカルド先生に相談しておかねば。


 そして、そんなことがあった翌日、俺はダミアノじいさんから借りた魔道具を片手に、説明することになった。

「何じゃこれは」

 ダミアノじいさんはぽかんとした様子で、魔道具によって映し出された淫乱ピンクの独り言を聞いていた。

 まるで映画でも見ているみたいに、目の前に例の光景が繰り返されている。プロジェクターみたいな魔道具で、超便利。

「……体育祭で?」

 そう呟いたリカルド先生の眉間の皺は、もしかしたらそのまま刻まれて元に戻らないんじゃないだろうかというくらい深い。

「何故、この娘は魔蟲が襲ってくると解るんだ」

 リカルド先生の疑問も当然だ。俺、淫乱ピンクが転生者だってこと、まだ言ってなかったし、この世界がゲームか何かの世界かもしれないことも伝えていない。やっぱり、誰かによって作られた世界だっていうのを知るのは、ショックなんじゃないかな、と思うから。

「魔力が強いので、未来が見える能力持ちなのかもしれません」

 俺はそう言って誤魔化しつつ、少しだけ苦笑する。「ただ、その予言もあまり当たっていないようですね。しかし、権力のある男性との出会いを演出するためにその力を利用していることから、必ずしも全て当たらないというわけでもないようです」

「ふむ」

 ダミアノじいさんは映像に近づくと、その手を伸ばして何か呟いた。その途端、映像が巻き戻って手紙を書いているシーンへと戻る。

 そして、どうやったのか解らないが手紙が大きくズームアップされた。


「父親に向けた、婚約のし直しの提案じゃの。自分の方が殿下と心を通じ合わせていると書いてあるぞい。何とも強気な意見じゃ」

 そこに書かれた文字を読み取って、じいさんが苦笑する。リカルド先生も苦々しく息を吐いて頷いた。

「あの姉妹が不仲なのは知れ渡っていますが、まさか、ここまでとは」


 その後、リカルド先生が話をしてくれた内容で、俺はヴァレンティーノ殿下とジュリエッタの婚約に至るまでのプロセスを知った。

 どうも、ジュリエッタの母親の生家が、ヴァレンティーノ殿下のとジュリエッタの国――レオーニ王国に貢献した貴族らしいのだ。それは王家に対してとんでもなく発言力を持つ一族のようで、それはレオーニ王国だけではなく、他国へも少なからず影響力を持つのだという。それだけ色々なところに嫁いだり、受け入れたりとしている家だそうだ。

 だから、その血を王家に受け入れることで、その一族とのつながりを強固にしておこうという意味合いがある婚約のようだった。


 っていうことは、殿下とジュリエッタの婚約破棄は難しいんじゃないだろうか。父親に送った手紙は無駄になる……?

 いやそれでも、淫乱ピンクはジュリエッタを排除するために何かやるだろう。あれだけ性格が悪いなら間違いない。

 だったら、あいつが考えていること全部、片っ端から潰していった方がいい。


 だから、リカルド先生に俺も体育祭を傍らで見守りたいとお願いした。とんでもなく渋い表情の先生に文字通り縋り付き、厭そうに俺の頭を遠くに押しやられつつも抵抗し、リカルド先生かダミアノじいさんの傍に隠れているのなら、という条件で許可をもらう。

 よし、これでちょっとは安心だ、と俺が胸を撫でおろしていたそんな翌日。


 魔法試験が終わって、若干の余裕ができた放課後、またダフネのマナー教室が復活した。俺とジーナがいつものように彼女の部屋にお邪魔すると、ジュリエッタが青白い顔で出迎えてくれた。

「ど、どうなさったんですか?」

 ジーナが顔を引きつらせてそう訊くと、ジュリエッタは地を這うような笑い声を上げた。カクカクした動きで笑うその姿は、美少女なだけあってちょっとしたホラーである。

 おろおろしつつ俺たちが辺りを見回せば、ダフネが額に手を置いて、部屋の隅でため息をこぼしていた。


 そして気づくのは、部屋の中央にあるテーブルの上に置かれた、封の空いた手紙。


「やってくれたのよ、あの子」

 くっくっく、と笑うジュリエッタは、顔を傾けながら宙を睨む。そこに、淫乱ピンクの顔でも見えるかのように、その双眸には危険な色が浮かんでいた。

「……あの子、父に手紙を送ったみたい。わたしと殿下の婚約をなかったことにしてもらいたいって」


 知ってます。

 つか、昨日の今日で何か変化があったんでしょうか。


 俺もジーナも部屋の隅で緊張しつつ身を寄せ合っていると、ジュリエッタはテーブルに近づいて手紙を右手で握りつぶす。

「父もやってくれたわ。陛下に婚約者の変更をお願いするってね!」


 つまり、彼女の手の中でぐしゃりと潰されたそれは、父親からの手紙なのだろう。彼女の首の傾け方が、さらにホラーチックになっていくのが怖い。落ち着いてくれ、頼むから。


「別にね、婚約破棄はもうどうでもいいわ。妹に入れ込む殿下にもほとほと愛想が尽きたし! でもね、わたしの次の婚約者候補を決めたって父が連絡してきたのよ! 何とびっくり、お相手は五十二歳の男性ですって! 三人の子持ちですって! はあ!? 馬鹿にしてるのかしら!? そうよね!?」


 ジュリエッタは拳を振り上げて血を吐くような勢いで叫ぶのだ。


「冗談じゃないわ! どんな手段を使おうとも、わたしはあの妹に勝ってみせるわよ!? そう、どんな手段を選ぼうとも叩き潰してやるわよ!」


「いえ、手段は選んでください」

 背後でダフネがそう呟き、俺もジーナもそれに頷いたのだった。

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