第36話 噂には噂で対抗

「……お姉さま?」

 そこへ、聞き覚えのある声が響く。見なくても解る、淫乱ピンクである。

 いつの間にかヴィヴィアンも大ホールにやってきていて、貼りだされた試験結果を見上げていたようだ。ジュリエッタからそれほど遠くない場所に立ち、信じられないと言いたげに首を振って、その視線を自分の姉に投げる。

「一位、なんですか? お姉さまが?」

「あら。ヴィヴィアンも試験、頑張ったようね」

 さすが一位になった余裕からだろうか、ジュリエッタは嫣然と微笑んで彼女を見つめ返す。

「お姉さま……どうして? そんなに頭良くなかったはずなのに」


 ――おおお、すげえ失礼なことを言ってんぞ、こいつ!


 俺が隅っこでケルベロス君を抱きしめて硬直している間に、酷く剣呑な空気がジュリエッタから発せられていた。

「あら、どういう意味かしら」

 そうジュリエッタが眉を顰めて言うと、淫乱ピンクは口の中で「だって」とか「おかしい」とかぶつぶつ呟いた後に、何か思いついたように手を叩く。

「カンニングってやつ?」

「は?」

 ジュリエッタが目を細め、その周りにいたジーナ含むマゾ軍団が気色ばんだ。いきなり失礼じゃない? とか何それ? とか、低い声が響くもヴィヴィアンの耳には入っていないようだった。どこか奇妙な目でジュリエッタを見つめ直した後に、それ以上何も言わず、塔の外へ出て行く。

 それを見送ったジュリエッタが、頭痛を覚えたように額に手を置いた。

「何なの、あの子……」

 それからひとしきり、その場の人間だけで淫乱ピンクに対する猜疑心を露にするような会話が続いた。まあ、普通、あんなにあっさりカンニングを疑うか? ってことだ。


 で、俺はと言えば。

 凄くムカついていたので、ジュリエッタが他の人間から少し離れた場所に立った時、そっと近づいて耳打ちした。

「すみませんが、わたしはこれで失礼します」

「え」

 突然声をかけられてジュリエッタがびくりと肩を震わせたが、表情は全く動かさず、小声で訊く。「何かするつもりなの?」

「淫……ヴィヴィアン様は何か悪い噂を振りまくと思いますので、噂には噂で対抗してきます」

 ふ、と俺の唇が笑みの形を作る。きっと邪悪な形をしていたに違いない。しかし、それが見えないだろうにジュリエッタの形の良い眉が顰められ、何か躊躇ったようにその視線を宙に彷徨わせた後、彼女は小さく頷いた。

「……気を付けてちょうだい」

 ――任せろ。


 今の俺は身体を見せないようにケルベロス君に頑張ってもらっているとはいえ、ジュリエッタにもらった制服を着てコスプレ中である。つまり、誰に見られても一応はこの学園の生徒のように思われるということだ。

 俺は淫乱ピンクの派手な髪を目印に、そっと後をつけていく。絶対、何かしでかすはずだ。

 そして、俺の厭な予感は当たる。


 彼女は色々なところを当てもなく歩いているようで、実は違う。彼女はどうも、女友達より男友達の方が多い人間らしい。行く先々で、男子生徒に声をかけられる。そして、物憂げな、庇護欲をそそる笑顔をして見せる。それに心を動かされない男はなかなかいない。さすがだな、淫乱ピンク。そこだけは褒めてやりたい。

 そして、中庭だったり裏庭だったり塔の談話室だったり購買だったり、次から次へと歩き回って、そこで声をかけてきた少年に心配そうな表情で言うわけだ。

「お姉さまが……ちょっと、試験で……その」

 曖昧に語尾をぼやかすことで、相手の妄想力を掻き立てる技である。

 ぽつぽつと言葉にしないのに、いつの間にかヴィヴィアンの姉、ジュリエッタが試験で何かしたらしい雰囲気を作り上げていた。

 男子生徒はヴィヴィアンと別れた後、他の友人にそれを話の種として蒔いていく。種が芽吹くのも早い。

 だから、俺はそんな彼らに近づく。

 辺りに王族とかヤバそうな人間がいないことを確認した後、ケルベロス君たちの効果を消してもらって、銀髪美少女、俺が満を持して登場である。正直に言えば俺、淫乱ピンクより美少女だ。大丈夫、勝つる!


「ジュリエッタ様が試験で不正をしてるって噂、知ってるか」

 などと下卑た笑いを振りまく少年に近づき、「おかしいですね」なんて言うとその少年たちが俺を驚いたように見つめるわけだ。どうだ、俺は可愛いだろう! そうは思っても、できるだけ清楚に見えるであろう笑みを作る。

「ジュリエッタ様、ここ最近ずっと、図書館で勉強をしていらっしゃいましたよ? わたし、ずっとジュリエッタ様のことを誤解していました。でも、貴族の方なのに平民の方にも分け隔てなく、たくさんの質問に答えてくださって。試験で不正する必要はないくらい、とても優秀な方なのに……やっぱり、誤解を受けやすいんでしょうねえ」

「えっ、そうなのか」

 男子生徒たちが困惑しつつも、俺の言葉を聞いてくれる。

「ヴィヴィアン様の方が可愛いから、最近はジュリエッタ様も色々な方から冷たくされているみたいで、一人きりになった時に泣いているって噂もあります。やったことのない悪い噂も独り歩きしているみたいですし、でも誰も無実を信じてくれなくて苦しんでいらっしゃるとか。特にヴィヴィアン様、色々な国の王族の男性とお付き合いがありますから、下手にジュリエッタ様も言えないみたいで」


 そんなことを、俺は放課後の間、色々なところを歩き回って吹聴したのだった。


 まあ、ジュリエッタさんについて色々脚色したが、大体合ってる。一人で泣くほど弱い彼女じゃないと思うけど、間違いなく傷ついているはずだし。

 俺という美少女が悲しそうな顔で、ジュリエッタに同情している様を見せつけていると、だんだん彼らの反応も変わってくるから面白い。俺の女の子らしい仕草も、ダフネに仕込まれて随分とかわいらしくなったもんだと思う。しかしやっぱりアレだな。美少女は強い。俺最強。


 でも、口説くのはやめて欲しい。

 俺に興味を持ったらしい男子生徒が名前を訊いてきたりしたが、全力で逃げてきた。俺は彼女が欲しいのであって彼氏が欲しいわけではないのだ。

 それに今は、ジュリエッタの悪い噂を消す火消し作業に必死だから! 余計な雑談なんかしないぜ! そんな軽い女じゃないのだ、俺は!


 うん、何はともあれ、いい仕事をした。俺頑張った。


 そして俺はダミアノじいさんに以前聞いた、録画やら録音やらできる魔道具についてもう一度話を聞いた。

 王族相手に使えないなら、まずは淫乱ピンクに使えばいいじゃん。あいつ、もしかしたらとんでもない身の上かもしれないが、今は単なるジュリエッタ・カルボネラの妹だ。ただの貴族でそれ以上ではない。

 淫乱ピンクは一人きりになると色々と失言してくれているから、俺もやる気が起きるってもんだ。絶対にジュリエッタの敵だという証拠を掴んでやろう。


 そんな感じでそれから数日の間に、色々な噂が色々な化学反応を起こしたようだった。生徒たちが淫乱ピンク派、ジュリエッタ派に別れ、皆が好きに噂を掻き立てていたが、ジュリエッタの立場が少しずつ改善されたのが目に見えてきた。

 ジュリエッタが妹に嫌がらせをしているという話は毎日のように湧いて出てくるが、ヴィヴィアンが言った時間にアリバイが成立しているんだからおかしいよなあ。

 分が悪いとやっと気づいたのか、それから少しずつヴィヴィアンが発する『嫌がらせ』の話は消えた。


 ジュリエッタは完全に自分からヴァレンティーノ殿下に近づくことをやめ、ヴィヴィアンと殿下が一緒に行動するのが当たり前になった。ジュリエッタはそんな彼らを遠くから悲しそうに見つめるだけ。もちろん悲しそうな演技なんだろうが。


 殿下とジュリエッタの婚約破棄は間近だろうと囁かれ、一部の貴族連中からはジュリエッタが妹に敗北したと面白おかしく言われたものの、ジュリエッタが切なそうに――もちろん演技だ――微笑んで見せると、どちらが加害者でどちらが被害者なのか、うっすらと伝わり始めた。


 そして、体育祭の準備期間に突入し、淫乱ピンクが妙にそわそわし始めたのだった。

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