第35話 ストーカーとマゾ仲間
「おかしいのよ」
淫乱ピンクは爪を噛み、その可愛らしい顔を歪ませた。「何で今回もイベントが起きないの?」
俺はジュリエッタの部屋から炎の塔に戻り、食事を作る前に眼鏡で観察を始めたところだ。
実技塔で魔法の練習をしているとかいう奴らの様子を覗き見しようとすると、ちょうど彼らが練習を終えて外へ出てくるところだった。
ヴァレンティーノ殿下も淫乱ピンクも、ジュリエッタのいる光の塔に自室があるらしい。だが、他の学友とやらは別の塔なので、実技塔の前でそれぞれ別れ、淫乱ピンクと殿下が並んで歩き出す光景が見えた。
――ラブラブでいいっすね?
それぞれ笑顔を見せながら歩く二人の様子にイラつきつつ、俺は思わず低く唸る。少し離れた場所にダミアノじいさんがいるので、この浮気現場を録画したり写真に撮ったりできるような魔道具はないかと探りを入れてみたが、あるにはあるが、王族相手に使ったら首が物理的に飛ぶかもしれないと言われたので断念した。
淫乱ピンクは相変わらず淫乱ピンクで、殿下の腕に自分の腕を絡ませるのが当然のようだ。恋人同士のように談笑しながら身体を接触させ、殿下もさらに嬉しそうに何か囁く。死ねばいいのに。
そんな様子で彼らは光の塔の入り口までやってくると、殿下が先に塔へ入り、それを淫乱ピンクが手を振って見送る。時間をずらして中に入ろうとしているのは、やっぱり誰かに見られると都合が悪いと自覚しているんだろう。
そして、薄暗くなりかけた空の下、ヴィヴィアンが一人になった瞬間に笑みを消して小さく呟いた。
「おかしいのよ」
おかしいのはお前の頭じゃねーだろうか。
自分の姉の婚約者を寝取るの完了か? 死ねばいいのに。
「どうしてお姉さまに関してのイベントが起きないの? 魔蟲に襲われることもなかったし、今日だって本当はお姉さまが実技塔へやってきて、嫉妬のあまり、わたしを罵ってくれるはずだったのに。そうすれば、殿下に完全に嫌われるはずだったのに。あの女……」
と、ぶつぶつ呟くヴィヴィアンの顔は、どんどん醜悪なものになっていった。こういうところ、殿下に見せてやれないだろうか。百年の恋も冷めるだろ、絶対。
でも、何となく思うのだが。
今の状況は、淫乱ピンクの狙うところには向かっていないのだろう。彼女はジュリエッタが殿下に嫌われて、不幸になるのを望んでいる。でも、きっとジュリエッタは彼女の思うようには動かない。
さっき、別れ際のジュリエッタさんはとてもいい顔をしていた。いい顔というか、悪い顔、でもあった。あれ、絶対に何かやるぞ?
そんな俺の考えはあっさり現実のものとなる。
その翌日から、ジュリエッタは動き始める。
お昼休み、食事なんて簡単に済ませ、残りの時間は全て図書館で過ごすことにした彼女。その傍らにはいつもジーナがいて、その様子を見ていた他の生徒たち――平民の生徒たちがジーナに質問をしたのだ。
「……一緒に勉強してるの?」
ジーナはよくぞ聞いてくれた、とノリノリで熱く語る。
ジュリエッタ様はとても頭がよくて、試験に悩んでいた自分の悩みをよく聞いてくれて、解らないところを丁寧に教えてくれる。教え方が上手くて、でも手抜きをしようとすると本気で怒るから怖いけど、でも結局は優しいのだ、と。
元々、ジュリエッタ・カルボネラは平民には冷たいという噂があった。いや、噂じゃなくてそれが事実だったはずだ。
だが、真面目に勉強をしている平民相手なら、それなりに真剣に向き合ってくれるようで、ジーナに対しても結構酷いことを言うが間違ってはいないことが多い。
それでも。
ジーナは酷いこと――あなた、真面目に授業を受けてる? ちゃんと受けているなら、このくらいできないなんておかしいんじゃない? みたいなことを言われ、目をキラキラさせているのはおかしいと思うがね。もしかしてマゾなんだろうかと最近は疑っている。
そんなマゾなジーナに、マゾ仲間が増えた。
試験期間中ということもあり、図書館には多くの生徒がいる。貴族連中が貴族だけで固まる中、ジュリエッタの周りには平民の生徒たちが集まり、ちょっとした勉強会の図が出来上がった。
最初のうちは俺も姿を消して近くにいたのだが、とても近寄れない状況になってしまった。だから、ちょっと離れた場所で見守ることにする。
そうしているうちに。
「何か……噂と違うんですね」
とマゾ仲間のうちの一人が言い出した。
やはり、ジュリエッタが自分の妹をいじめているという噂は、とんでもなく広がっていた。だが、お昼休みの間は図書館に引きこもって勉強する彼女を見ていて疑問を抱いたらしく、こう続けた。
「昨日、わたしは食堂にいたんです。そこにヴィヴィアン様が泣きはらした目で食堂に入ってきて。そこにいたラウール殿下に何かあったのかと訊かれて、ジュリエッタ様に制服に水をかけられたって。着替えていたから食事をするのも遅れたし、勉強する時間も減ったとかで悔しそうにしてました。ラウール殿下に慰められて、すぐ笑ってましたけど」
「変ね」
ジーナがどこから出したのか、図書館のテーブルの上に「どん!」とノートの束を乗せて言う。「昨日もわたし、お昼休みはずっとジュリエッタ様と一緒にいましたよ! 授業が終わった瞬間にジュリエッタ様のところに行って、ランチボックスを買ってくるって声をかけて、わたしが戻ってくるまでずっと教室で待っていてくれたんです。それ以外にも、ここに、ジュリエッタ様の行動が五分刻みで書いてあります! 放課後だって、ここずっとわたしと一緒に行動してくださってるんですよ!? ヴィヴィアン様と接触する暇なんて毛ほどもありませんよ!?」
ドン引きです、ジーナさん。完全にストーカー。
俺が図書館の隅でジーナに対する評価をどんどん下げているというのに、他の生徒たちは違うらしい。貴族であるジュリエッタ、しかも王族の婚約者という雲上人のようなジュリエッタと一緒に行動できるジーナのことを、羨望の眼差しで見つめる彼女たちは、明らかにヤバい。
俺の癒しは、足元にいるケルベロス君たちだ。俺はシベリアンハスキーの子犬みたいな小さな身体を抱え上げ、もふもふ具合を楽しみつつ、ちょっとだけ現実逃避する。俺はストーカーじゃないから大丈夫。うん。
さらに、マゾ仲間たちの誰かが「お昼休みだけだと短いですね」と言い出したことで、放課後も勉強会が行われることになった。図書館だけじゃなく、実技塔の部屋も借りて実技試験の対策もするそうだ。
今まで放課後は俺たちはジュリエッタの部屋にお邪魔することが当然のようになっていたのだが、まあ、仕方ない。俺のマナー教室もしばらくお休みとなり、彼女たちの勉強する様子を見守ることにする。
そんな日常が続き、試験期間が終わった。
色々な場所に、試験の結果が張り出される。大ホールの前の壁、それぞれの塔の入り口の脇の壁。
基本的に、試験結果の上位に食い込むのは魔法科の生徒たちだ。
魔法騎士科の連中は、やっぱり剣を習う時間も取られてしまうので、魔法試験は苦手のようだった。それでも、新入生たちの一覧の中、王族の意地を見せたのかラウール・シャオラ殿下は二十位以内に入っていた。ちなみにトップは魔法科のオスカル・ファルネーゼ殿下である。
淫乱ピンクはヴァレンティーノ殿下に教えてもらった成果が出たのか、十三位。
そして。
上級生であるジュリエッタ、ヴァレンティーノ殿下たちの結果は。
「さすがです、ジュリエッタ様! トップなんて、素晴らしいです!」
大ホールの横に集まった生徒たちの中、ジーナが傍らに立つジュリエッタを称賛する言葉を投げた。すると、それに続いて見慣れたマゾ仲間連中の顔ぶれがそれぞれ浮かれたように凄い凄いと声を上げるのだ。
「一位は初めてだわ」
彼女は無表情を装っていたが、その頬は少しだけ赤く染まっていて、ジーナの言葉に照れているような横顔を見せている。ここ最近の彼女は、確かに鬼気迫るものがあったと思う。開き直った彼女は勉強に打ち込んで、他のことはどうでもいいという状況になっていた。
他のこと――ヴァレンティーノ殿下と淫乱ピンクのことですね、解ります。
「あなたたちに教えるためにも、頑張って勉強したからかしら。人に教えるって難しいのね。色々考えさせられたわ」
ジュリエッタはそう言いながら、ジーナたちの顔を見回す。その表情は、いつになく優しく見える。
「わたしたちもそれぞれ、順位が上がっているみたいです。これも、ジュリエッタ様のお蔭です」
ジーナが緩んだ口元を誤魔化そうとしたのか、両手で口を覆う。そして、手で隠しきれない邪悪な笑みに変えて続けた。
「ヴァレンティーノ殿下……大丈夫なのでしょうか」
心配そうに言おうとしたのだろうが、その口元が裏切っている。
ジュリエッタも困ったように――でもその目は明らかに笑っていたが――言うのだ。
「殿下が十位以内にいらっしゃらないのは……体調不良か何かだったのでしょうね」
ふふ、と笑う彼女たち。
笑っているのにどこか怖い。
俺はそれを離れた場所で、いつものように姿を消しながら見物していたのだが。
俺、何の役にも立ってなくね? と、ちょっと残念だった。できれば一緒に混ざりたかったなあ。
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