第34話 南の地に伝わる伝説
現実逃避の後に我に返ったのは、その日の夜、自分のベッドに潜り込んだ時である。
状況に流されて何が何だか解らなくなっているが、よく考えてみれば俺の考えなんて単純だ。
自分のことは正直、どうでもいい。こうして生まれ変わっても、魔王を倒せとか重要な運命を背負っているわけでもない。神具とかいう変な立場にいるけれど、お金を稼いで楽しく生きていければ満足だ。正直、主がどうこう言われても、相手が厭な奴なら逃げ出せばいい。
今の俺は、ダミアノじいさんのところで平穏無事に生きていられるんだから何も問題ない。
で、気になるのはジュリエッタさんだ。下手に入れ込んでしまっているから、できれば彼女のことだけは守りたい。淫乱ピンクと殿下が恋人同士になったとしても、俺が全力で慰めるつもりだ。
いっそのこと、ジュリエッタが俺の主になってくれればいいのに。
……まあ、あの細腕で剣を振り回して魔蟲と戦うなんて無理だろうから、諦めるけどな。
「ジュリエッタお嬢様、少しご報告が」
次の日の放課後、光の塔のジュリエッタの部屋に俺とジーナが訪れた時、まずはお茶を――となった時にダフネがそう切り出した。
実は、お昼休みも俺たち三人は一緒に行動していた。俺はもちろんケルベロスを連れて身を隠しつつだが、昼食を取った後に図書室へ向かった。魔法試験期間が始まったため、各自勉強にも力を入れなくてはならない。
俺は単なる見物人だが、ジーナにとって試験は鬼門のようなものらしい。悲壮な表情の彼女に、ジュリエッタが解らないところは教えてあげる、と言い出した。
そして、ジュリエッタは意外にもジーナに勉強を教えるのが上手かった。ジーナは何だか知らんがめちゃくちゃ感動して、ジュリエッタ様って優しい! と目を輝かせている。ヤバい、ライバルが増えた予感がする。俺がジュリエッタに先に目をつけたんだぞ、と熱く牽制したいところだ。
そんな感じで、急速に俺たちは仲良くなりつつある。これも意外だが――だがおそらく、ジュリエッタは寂しかったんだろうと思う。基本的に彼女は表情は冷たいし、あまり感情を露にはしないが、今まで一緒に行動していた貴族連中がいなくなって、孤独だったんだろう。だから簡単に俺たちをそばに置くことを許した。
ダフネもそれを察したのか、最初だけ俺たちに当たりが強かっただけで、すぐに受け入れてくれたようだった。
「報告?」
ジュリエッタはテーブルの上に置かれたお茶に手を伸ばしつつ、そっと首を傾げる。俺もジーナもソファに座り、いつも真面目な表情のダフネを見上げた。
「ヴィヴィアン様の素性の件なのです。信用できるものに依頼をし、調べてもらいました」
「それで?」
ジュリエッタの声が僅かに緊張に強張る。
「簡単に申し上げてしまえば、素性を調べ上げることはできませんでした。ヴィヴィアン様のお母様がどこ出身でどのように育ったのか、全く不明です。それは、あまりにも綺麗に何も出ないので――恐らく、作為的な何かがあると思われます」
「……そう」
「もしかしたら凄い血筋の方なのでしょうか?」
そう訊いたのはジーナで、ダフネはそれに頷いて「可能性の話なのですが」と続ける。
「お嬢様、南の地に伝わる伝説をご存知でしょうか。昔、戦で滅ぼされた小さな南の国の話ですが」
「南の地の……?」
「全知全能のダルクヴィニア神が愛したとされる、聖なる乙女の住む国、と言われていた場所があるのです。神の祝福を受けた乙女が女帝となりその土地を治めていましたが、他国からの攻撃を受け、戦に負けた後に巨大な湖の下に沈んだとされています。その聖なる乙女の髪の色が、薄紅色をしているそうなのです」
「薄紅色……ヴィヴィアンの髪の色?」
ジュリエッタは信じられない、と言いたげに首を振った後、苦々しく笑った。「神に愛された乙女? まさかヴィヴィアンがそうだというの? 万が一そうだとしたら、わたしに勝ち目なんてないわね」
「もちろん、証拠などない仮説ですが」
ダフネの顔も強張っていて、発言したものの信じたくないと言いたげだ。
「……そうよね、単なる仮説よね」
ジュリエッタもそう返したが、顔色は随分と悪くなっていた。しかし、すぐに彼女はぎこちない笑みを浮かべると、俺とダフネを見て言った。
「この子にあげる制服、用意はできている?」
気が付けば、俺はジュリエッタの制服を着せられていた。彼女は予備の制服をたくさん持っているようで、これはプレゼントだと言われた。
何がどうなってこうなった。
コスプレってやつじゃないだろうか、これ。本当に俺はどこに向かっているのか。
だが、ジュリエッタと一緒に行動する時は制服を着ていた方が何かと安全かもしれない。できるだけケルベロス君に姿を消してもらっているとはいえ、誰に見られてしまう可能性もあるのだから、変装ってやつだな。
「色々いただきすぎて、何もお返しすることができません」
俺がそう言うと、彼女は露悪的に笑うのだ。
「欲しいものは全部持ってるわ」
……そうだな、ヴァレンティーノ殿下の心以外は。
なんてことは言えない。
俺は素直にお礼を言って、それからの時間はダフネによるマナー教室へと突入する。女の子らしい仕草で、おしとやかに、なんて苦労しているその横で、ジュリエッタさんはジーナに勉強を教えている。いいなあ、あっちの方が幸せそう。
「一区切りついたらお茶にしましょう。ケーキを準備してあるわ」
ジュリエッタがさらにそう言うから、俺もジーナも気合が入った。
そしてそろそろ休憩――となった時に、ドアがノックされる音が響いた。ダフネが扉を開けにいき、扉の向こう側に立つ女性の姿が見えた。
制服ではなく、ダフネと同じような使用人らしい服装をした二十歳過ぎの女性である。
「失礼致します。ヴァレンティーノ殿下より伝言を預かってきております」
そう言った彼女の声に、ジュリエッタがソファから立ち上がった。それが視界に入っているだろうに、その女性は無表情でダフネを見ながら続ける。
「実技塔で、魔法の訓練部屋を借りております。これから、ヴァレンティーノ殿下とそのご学友、ヴィヴィアン様が試験対策のための練習を行います。ヴィヴィアン様が試験に不安を抱いておりますので、その解消のためです。もしよければ、ジュリエッタ様もいかがでしょうか、とのお言葉です」
きっと彼女はヴァレンティーノ殿下の身の回りの世話をする人間なのだろう。どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出す彼女は、ジュリエッタさん相手でもその堅苦しい表情を崩そうとはしなかった。それどころか、その双眸にはジュリエッタを嘲るような色さえ浮かんでいるように思えた。
「ヴィヴィアン、の?」
ジュリエッタは一瞬だけ苦しそうに息を吐いた後、その表情を消して嫣然とした笑みを作った。そして、部屋の中にいる俺とジーナの方へ目をやり、残念そうに首を振った。
「殿下には大変申し訳ありませんが、わたしも学友のために勉強を教えているところでして。それに、あまり大人数になってはヴィヴィアンも練習に集中できないでしょうし、どうか、お気になさらずとお伝えください」
ジュリエッタは婚約者だという立場なのに。
何でここで遠慮しているような台詞を言わねばならないんだ。むしろ、淫乱ピンクが遠慮すべきじゃねーのか。あの女、いつか膝カックンしてやろうか。今の俺なら姿を消して近寄れるから、絶対できるぞ。完全犯罪を成立させてやるぞ?
俺は自然と険しい顔をしていたんだろう。ジーナに肘で横腹をつつかれて慌てて深呼吸する。
「そうですか、それは残念です」
その女性は全く残念そうではない表情で、むしろ喜色の様子を見せつつ軽く一礼すると、姿を消した。
「……これってお貴族様にとっては普通のことなんですか? ジュリエッタ様がかわいそう」
ジーナが眉尻を下げて情けない顔でそう言うと、ダフネが苛立ったように乱暴に扉を閉め、絶対零度の笑みを浮かべて見せる。
「普通はヴィヴィアン様よりお嬢様と勉強をするべきだと思いますが。婚約者が誰なのか、お忘れなのかもしれませんね」
「ですよね……」
「いいのよ。今の殿下にとって、優先すべきはヴィヴィアンですもの」
ふと、ジュリエッタが思いつめたようにそう言った後、僅かに顔を傾けて鼻で嗤う。「でも……殿下も随分、余裕ですこと。下級生に勉強を教えて、ご自分はいかがなのかしら。もうわたし、開き直ったわ。いつだって殿下は試験結果の上位にいらっしゃいますが、今度こそ負けるつもりはありません。わたしだって、徹底的にやらせてもらいますから」
ふふふふふ、とヤバい笑い方をしたジュリエッタさんと、そんな彼女を応援するかのように両手を胸の前で組み、熱い視線を送るジーナ。
俺はとりあえず、ヴァレンティーノ殿下が若くしてハゲるように祈っておいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます