第32話 谷間を作る試練

 絹を裂くような悲鳴、という表現がある。

 しかし、それを俺が発することになろうとは考えもしなかった。


 放課後、ジーナと一緒にジュリエッタの部屋を訪れた俺は、仁王立ちで待ち構えていたダフネに驚いて後ずさった。しかし、冷ややかな笑顔のダフネが「逃がさないでください」と言った言葉にジーナがあっさり陥落、俺はそのまま部屋の奥に引きずられるようにして連れていかれた。


「ちょっと待ってください、話し合いましょう。落ち着いてください!」

 いきなり服を脱がされそうになった俺は、部屋の隅に逃げようと必死になる。服を脱ぐなら自分でできるし、可能であれば他人の目がないところで着替えたい。

 こう見えても俺、中身は男なんで!

 羞恥心も持ち合わせてるんで!

 女性に見られながら着替えるってそれって何て罰ゲームですか!?

 ジュリエッタは我関せずとばかりにソファに座ってお茶を飲んでいるし、俺が助けを求めるように視線を投げても完全に無視である。

 ジーナは敵に寝返っているからどうにもならない。

 むしろ、ジーナはノリノリで俺の服を脱がそうとしてきたのだけれど。


 マントを剥ぎ取られ、男物のシャツもはだけた状態で半泣きの俺を見て、ダフネとジーナが驚いたように動きをとめた。まあ、そこには完治しているとはいえ、目立つ傷跡があるから仕方ない。

 ジーナはまるで百面相でもするかのように表情筋を動かしたが、何らかの結論を頭の中で出したらしい。ぷるぷると首を振って、いつもの笑顔を作る。傷跡について質問はしないぞ、ということらしい。ダフネはもっと意識の切り替えが早く、無表情でため息をこぼした。

「予想はしていましたが、これは酷すぎますね」

 ジーナも少しだけわざとらしく大きく頷く。

「それほどわたしも気を遣わない方ですが……そんなわたしより酷いですね」

 二人の声音に大きな変化はなかったから。ソファに座っていたジュリエッタは気づかなかっただろう。彼女の位置からはちょうど俺の胸元は見えないはずだ。

「ひ、酷いですか?」

 俺も何もなかったかのようにシャツの胸元を掻き合わせながら引きつった笑みを浮かべる。


 何はともあれ、二人が問題視しているのは、俺の下着である。実は、女の子らしい下着というものをこの世界で見たことがない。何しろ、俺の面倒を見てくれているのはダミアノじいさんだし、他に接点があるのはリカルド先生くらいなものだ。

 俺が着ている服は全部、実用性重視である。そんな感じだから、下着は着られればいいというか――。


 ところで、この世界の下着って前世と同じようなものなんだろうか。今の俺、スポーツブラみたいなやつをつけてるわけだけども。楽でいいんだよ、これでいいんだよ!


「胸が小さいわけが解りました」

 やがて、心の底から残念そうに、可哀想なものを見るかのように俺を見るジーナ。

「うっ」

 胸が小さいのは少し……いやかなり、気にしているけれども!

 ジーナさん、後で覚えてろ。君からもらった胡椒、ぶつけてやんよ!

 ある意味俺の頭の中が修羅場を迎えていたが、まだこれは前哨戦であった。


「正しい下着をつけるのは重要なのです、リヴィア様」

 ダフネのその言葉に、俺は「いえ、様付けしなくても」と言いつつ引きつった笑みを返す。

 俺は背後からジーナに羽交い絞めされていて、力任せにすれば振り払えるけど乱暴にしたら怪我をさせてしまうのでそれもできず。

 ダフネは両手をわきわきと変な動きをさせつつ、俺に迫ってくる。

 逃げ場を探してきょろきょろと辺りを見回すと、近くのテーブルや椅子の上に綺麗に並べられた女性用の下着らしきものを見て動きをとめる。ええと、前世で俺が知ってるものよりゴツイ感じがしますね? がっちり締め付けるような感じの造りですね?

 それ、つけるんですか?

 ちょっとだけレースみたいな飾りがついているのは可愛いけども! 可愛いけども!


「いいですか。胸というのは、そんな手抜きの下着などつけていれば、どこかに逃げてしまうものなのです!」

「先生、何を言っているのか解りません」

 俺も自分が何を言っているのか解らない。

「逃げた胸を寄せて上げます。少し痛いかもしれませんが、大人しくしていてくださいね」

 えええええ?

 俺が大口を開けて固まっていると、ダフネが魔王か何かのような邪悪さを称えた微笑みを浮かべつつ、問答無用で俺の腹、背中、腕、ありとあらゆるところに手を伸ばし――。


 俺は絹を裂くような悲鳴を上げたのだった。


 で、その結果。


 敗北感を感じつつ、精魂力尽きた俺は床に座り込んでいた。俺はダフネの手に寄って、胸の周りの脂肪という脂肪を胸のところにかき集められ、がっちりとした下着をつけられているわけだ。あられもない格好というのは今の俺のことを言うんだな。泣きそう。

 まあ確かに、まな板ではなくなった!

 ささやかだけれども、確かに胸のふくらみが出現している!

 見下ろせば可愛らしい谷間ができているのは認める!


 だが、女ってのはこんなに苦労してんのか!? 谷間を作るのにこんな試練を乗り越えないといけないのか! 何故山に登るのか! そこに山があるからか!


 ぐったりと肩を落とす俺に、彼女たちは次の試練を与えてきた。

 着せ替え人形のターンである。


 幸か不幸か、実はジュリエッタさんもそんなに胸が大きくなかった。身長も体つきも似たようなものだから、ジュリエッタの服で余っているものを次から次へと着せられたわけだ。

 多分、この一着で一か月の生活費が賄えるんじゃないだろうかと思うくらい、生地が高級そうな服ばかり。この辺りになると、ジュリエッタもこの戦いに参戦してきた。

 あっちの服がどうの、色はどうの、デザインがどうの、めっちゃどうでもいい。

 だが、ちょっとだけレースのストッキングとガーターベルトには興奮した。自分が着るんじゃなくて、他の女の子に着てほしかったというか、脱がせたかった気がするが!


 化粧もされた。

 肌の手入れとかも教えてもらったが、力尽きていたので全部頭の中を素通りして抜けて行った。

 短くボーイッシュになってしまった髪の毛も、上手く女の子らしいまとめ髪ができるように教えてもらったが、高度テクニックすぎてこれはどんなに頑張ってもできる気がしない。


 そうやって出来上がった俺は、今までに見たことのない完璧な美少女となっていた。化粧してなくても、おしゃれな服装をしてなくても凄い美少女だったんだよ、俺。それがちゃんとした格好をするだけで、さらにランクアップしている。

 でかい鏡台の前の椅子に座らされ、ほんのり程度に化粧された目元、色づいた唇を見た俺はアホみたいな顔をしていただろう。俺の背後に立って鏡を覗いているダフネの『やり切った感』は凄かったし、ジーナも「凄い凄い!」と盛り上がっている。ジュリエッタでさえ、「素晴らしい出来だわ、さすがダフネね」なんて言いながらため息をこぼしていた。


 俺、絶対に道を誤ってる気がする。

 俺はどこに向かっているのだろうか。っていうか、俺の目的は何だった?

 ジュリエッタを守りたいって思っただけだったのに、何故こうなったし。


「後は、礼儀作法ですね。今日はもう夕食の時間になりますし、明日からビシバシやることにしましょうか」

 ダフネがその目を熱く滾らせているように思えるのは、どうか嘘だと言って欲しい。礼儀作法? それ、俺に必要ですかね?

 俺が死んだ魚の目でダフネを見つめていても、誰も何も言わず楽しそうにしている。解せぬ。


 そうして、俺はジュリエッタからお土産として色々な服、化粧品、髪の毛の手入れ用品、爪磨き、アクセサリーまで持たされて帰らされた。

 ジーナも手伝ったお礼として、色々もらっていたようだ。そのため、恩返しのためにもストーカー日記にもっと力を入れねば、と気合を入れていた。ジーナもそれでいいのか。


 俺は茫然としつつ、帰り道はケルベロス君に姿を消してもらいつつ廊下を歩き、光の塔で手に入るレアアイテムも抜かりなくゲットして、炎の塔の地下に帰ってきた。

「ただいま帰りました……」

 完全なる美少女と化けた俺を見たダミアノじいさんは声を失い、その直後に無言で拍手をしてきた。馬子にも衣裳と言いたげである。

 その直後、リカルド先生も夕食の時間までまだ時間があるというのに姿を見せ、俺を見て。


「……化けたな」

 と、感心したように言う。

 本当に心の底から驚いているようで、しばらく彼も俺をじっと見つめたまま立ち尽くしていた。

 そう言えば俺、ドレスどころかスカートを履いたのもこれが初めてだ。こちらの世界で目が覚めてから、ずっと動きやすいズボンだった。スカートって足が涼しいものなんだな。ストッキングをはいている場合はそうでもないけど、何だかとても心もとない感じで不安になる。自然と歩き方も大人しくなっている気がする。


 俺、本当にこれでいいんだろうか。

 泣きそうになりつつリカルド先生を見上げると、彼は困ったように眉根を寄せた。

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