第30話 浮気じゃなくて本気らしい

 まあ、何はともあれ――。

 俺はケルベロス君のお蔭で昼間でも自由に行動できることになった。ダミアノじいさんの言う通り、ケルベロスはとんでもない魔力を持っているようだった。

 普通、ここまで強大な力を持つ存在を使役獣として使うのは、現実的ではないのだと言う。使役獣は、主の魔力を断続的に吸収する。弱い使役獣――例えばハリーみたいな存在なら、必要とする主の魔力は少ない。

 しかし、ケルベロスくらいのレベルになると俺くらいの魔力持ちではないと無理らしいのだ。だから、主であるダミアノじいさんも餌として俺を設定したんだろうが……。


「あなたは可愛いです」

 俺はケルベロスの頭をそれぞれ撫でていく。

 今、この使役獣は最初の巨大な体躯ではない。俺が「もっと小さければいいのですが」とケルベロスの前で呟いたら、あっさりと小さくコンパクトな形に変身してくれたのだ。

 シベリアンハスキーの子犬みたいなサイズになり、俺の前でクンクン鼻を鳴らしている。何コレ尊い。


 俺は三匹の頭に、左から『いっちゃん』『にーちゃん』『さんちゃん』と名付け、一緒に行動を開始した。俺には残念ながら名づけのセンスはない。しかし、三匹とも喜んでくれているようだ。やっぱり尊い。


 尊いケルベロス君たちを連れて俺の姿を他人から見えないようにした後で、昼間から学園内を歩き回り、出現率の増えた魔蟲を倒したりアイテムを回収したりする。

 さらに、夜中はダミアノじいさんと一緒に学園の外に出て、魔蟲退治のための夜回りもしていたりする。学園内に引きこもっていると、グラマンティの街にいる魔蟲も寄せ付けてしまって誰かに不審がられてしまうかもしれないというので、これも仕方ない。

 街に出る時はケロべロスも元の大きな身体に戻り、俺とダミアノじいさんを背中に乗せてくれる。暗闇を駆け抜ける獣と、それを操る俺。

 俺すげえ(誰も褒めてくれないので自画自賛)。

 魔蟲を倒す時のナイフの扱いもすっかり慣れたと思う。


 そんな感じで、結構充実した毎日を過ごしていた時。

「ヴァレンティーノ殿下とジュリエッタ様の妹さん、あんなに堂々と会っていていいのかしら」

「だって、ジュリエッタ様、性格が悪いって噂じゃない? きっと、殿下も性格のいい妹と一緒にいる方が楽しいのよ」

 とある晴れた日の放課後、そんな会話が聞こえてきた。

 俺は小さくなったケロべロス君を胸の前で抱え、炎の塔から中庭に続く道を歩いていた。俺は誰にも見えない幽霊みたいなものだから、生徒たちも聞き耳を立てられているとは気づかずに好き勝手に話し、笑いあう。

 今、俺の視線の先には三人の少女が歪んだ笑みを浮かべて小声で囁き合っていた。

「でもどっちにしろ、お貴族様ってのは性格悪いものでしょ? 妹だって本当は……」

「何言ってるのよ。妹は母親が平民だって話よ? だからあの『お姉さま』も虐めてるんでしょ、平民だから」

「何だかそれって、街で話題のあの『ロクサーヌと恋人』っぽい。意地悪な義理の姉、そのままじゃない?」

「そのままだったら、姉に待ってるのは破滅よね」


 好き勝手に無責任な噂話に花を咲かせる女生徒たち。

 俺は道の脇で足をとめ、威嚇の唸り声を上げようとして必死に堪える。


 何だか俺の知らない間に、随分とジュリエッタさんには苦しい状態になっているようだ。

 そのまま中庭の方へ視線を向ければ、ヴァレンティーノ殿下と淫乱ピンクが仲良く並んで談笑しているのが目に入る。淫乱ピンクは自然な仕草で殿下の腕を取り、いかにも恋人同士という雰囲気を漂わせているし、殿下も殿下で優しい微笑みを彼女に返している。


 そして、苛立ちつつ彼らの方へ俺は近寄っていく。この二人がどんな会話をしているのか気になったからだったし、さっきの女生徒たち以外の生徒がどんな反応をしているのか知りたいからでもあった。

 中庭にいる他の生徒たちは、どうやらあの二人の様子を見慣れているのかあまり驚いてはいない。普通に軽く会釈をして通り過ぎていく者たちばかりで、俺は『これがヘイトが溜まる』っていう状況なのかと唇を噛んでいた。

 苛立ったままの状況で、俺は辺りを見回した。

 そして、随分と遠くの場所に知っている魔力の渦を見つけたのだ。


 図書館は三階建てだ。

 その二階の外れの窓のところに、中庭を見下ろしている視線がある。


 ジュリエッタだ。

 彼女はそこにぽつんと一人きりで立って、真っ白な顔でヴァレンティーノ殿下とヴィヴィアンを見つめていた。


 どうしても気になって、俺は急いで図書館に向かう。図書館の中はそれなりに生徒たちの姿があったけれど、皆、読書に夢中なのか周りを気にする人間はいない。

 ジュリエッタはそんな生徒たちから随分と離れた場所で、ひっそりと息を殺していた。ずっとケロべロスを抱いたままだった俺は、ジュリエッタのすぐそばに立って、いっちゃんたちに姿を見せてくれるよう、お願いする。

 そして、小さな背中に向かって声をかけたのだ。


「ジュリエッタ様」


 ぴくりと彼女の肩が震え、青ざめた顔がこちらに向いた。でも、その目が困惑に歪む。

「……あなた……」

 そう呟いてから、彼女は眉を顰めた。「何、その格好」

 俺は相変わらず男装中である。言われてみて気が付くが、この格好でジュリエッタに会うのは初めてなのだから、警戒されるのも仕方ないだろう。彼女は困ったように笑ってから後ずさり、咎めるように続けた。

「これでもわたし、殿下以外の男性と一緒にいるのを見られるのは困るのよ。たとえ、それが変装でも」

「では、姿を消します」

 そこで俺はまたケルベロス君たちにお願いをする。

 そうすれば、俺の姿は誰にも見えなくなる。ジュリエッタさんも驚いたように息を呑み、そっと辺りを見回しながら訊いてきた。

「そこにいるの?」

「います」

「何故?」

「何故、とは?」

「何故、わたしに関わろうとするの? 放っておいて」

「厭です」

「どうして」

「ジュリエッタ様が好きだから?」


 僅かな沈黙の後、彼女は何も見えないであろう空間を見つめたまま、小さく言った。

「馬鹿みたい」


 彼女は窓ガラスに手を置いて、また中庭を見下ろした。俺は彼女の横に立ち、同じ光景を見つめる。

「浮気現場を咎めないのですか?」

 俺の問いに、苦々しい笑みが返ってくる。

「浮気じゃなくて、本気らしいわよ。不肖の妹によれば、ね。それに、どんなに正論で苦言を呈しても、彼らには通じないの。嫉妬に狂った馬鹿な女の台詞だと、周りから逆に諫められる始末。当の殿下は何を考えているのか解らないし、話しかけるのも躊躇うし」

「でも、殿下の婚約者はあなたです」

「そうね。殿下から愛されてはいないけど、立場的には婚約者ね」


 自嘲の響きと、諦めの表情。

 俺は何て声をかけるか悩む。


「わたしの父が愛していたのは、妹の母親だけだったわ。いつだってわたしも、わたしの母も捨て置かれた。母とは政略結婚だったらしいし、愛はなかったみたいだから。でも、わたしは父に認めてもらえるように頑張ってきたつもりよ? 貴族の一員として、魔力を多く持つ立場として、悔いのないことをしてきたと思う。いつか、ほんの少しでも愛してもらえるんじゃないかって願ってた。でも、それが無駄だと解ると、何もやりたくなくなるものなのね」

「無駄でしょうか」

「無駄よ。母が亡くなった時も、父はわたしに何も声をかけてくれなかった。それでも、わたしが殿下の婚約者に決まった時にだけ、少しだけ褒めてくれた。でも、それだけだった。それだけの価値しかなかった。そして今は、学園の皆からは早く婚約破棄になったら面白いのに、って目で見られている」


 家族も、殿下も、学友ですら、味方ではないの。


 彼女はそう消え入りそうに言いながら、それでも中庭の二人から――微笑ましい様子で寄り添っている二人から目を逸らせずにいる。


「父も、今はあの子が殿下と婚約したいと考えていることを知って、わたしのことを邪魔に思い始めたみたい。この婚約、失敗したって言われたわ。父だけじゃなく、皆がわたしの破滅を望んでいる。わたしが不幸になれば喜ぶ人間がいる。どんなに努力しても、わたしが欲しいものは絶対に手に入らない。幸せになれるのは、あの子だけ。たくさんの味方に守られて、あの子はきっと……」


 今にも泣きそうな顔だな、と思った。だから、つい、手を伸ばしてその肩に触れた。びくりと跳ねた肩が、彼女の動揺を教えてくれた。反射的に逃げようとする彼女に向けて、俺は言う。

「一人でも、味方がいると違うと思います。だから、わたしはジュリエッタ様の味方でいていいでしょうか?」

 そう囁くと、彼女は呆けたような顔で宙を見つめた。


「……期待させないで」


 彼女はそう囁いてから、そっと俯いた。


「期待を裏切られるのはつらいもの」


 そうだろうな、と俺は笑う。そして、できるだけ明るく聞こえるように、彼女に信じてもらえるように、声に力を込める。


「わたしは、誰かを裏切ることができるほど頭が良くないと思います」


 自虐的な台詞だが、それを聞いた彼女が笑ってくれたからよしとしよう。

 そして俺は、しばらく前から気になっていたことを彼女に質問することにした。


「魔力が強いのは、貴族であることの証拠だと聞きました。しかし、平民であるヴィヴィアン様が魔力が強いのはどういうことですか?」

「え?」

「本当に彼女の母親は平民なのでしょうか。光の魔法書を最初に得ることができた彼女の母親は――?」


 そう、それは俺が疑っていたことだった。あの淫乱ピンクがこの世界の『主人公』的な立場だったとしたら、よくある設定じゃないだろうか。平民だと思われ、不幸な生活を送っていた主人公が実は――というパターン。

 万が一、俺の予想が当たっているとしたら、下手にジュリエッタが行動するとまずいことになりそうだ。俺の考えすぎならそれはそれでよし、警戒することにこしたことはない。


 とにかく、ジュリエッタさんの立場の改善を行わねば。

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