第28話 淫乱ピンクはヤンデレが怖い

 俺が黙り込んでしまっている間に、大ホールの中ではリカルド先生に促されて皆が出て行こうとしていた。

 暗闇に怯えたように身を竦ませているヴィヴィアンは、終始ヴァレンティーノ殿下の腕に縋り付いたままだ。殿下のご学友と思われる男性たちは、そんなヴィヴィアンを妙に微笑ましく見つめていると思う。それでいいのか。


「あなた、よく見ると女の子なのね。どうしてそんな恰好をしているの?」

 ずっと俺を見ていたらしい茶髪の子が眉根を寄せてそう言った。我に返って俺は自分の姿を一度見下ろしてから、ふっと笑って応える。

「心は男性だからです」

「……え?」

「あなたの名前を訊いていいですか?」

 さらにそう続けたら、問題児を外に追い払った先生たちが俺たちのそばに戻ってきた。アンナマリア先生は俺たちの会話を聞いていたらしく、釘を刺してくる。

「その子はあたしのものだから手を出さないでね?」

 それからアンナマリア先生が興味を惹かれたように俺をまじまじと見つめ、目を細めて近くにいたリカルド先生を揶揄った。

「気づかなかったけど、あなた、可愛い女の子だったのね? もしかして、リカルド先生に浮いた噂の一つも聞かないのって、こういう変わった性癖を持ってたから? 男装少女を犯……」

「男装しているのは君みたいな女性の敵から身を守るためだ。それより、我々は見回りが途中なので帰ってもらおうか」

 冷気を放つリカルド先生と、悠然と笑うアンナマリア先生の間に微妙な空気が流れた後、アンナマリア先生は俺に近寄ってきて小声で囁いた。

「あたし、女の子には優しいから何か困ったことがあったら声をかけなさい。リカルド先生より色々と教えてあげられると思うわよ?」


 何を教えてもらえるのか僅かに気になったが、とりあえず曖昧に笑ってごまかしておく。茶髪の子の視線も突き刺さっていたし、下手に関わらない方がいいだろう。

 リカルド先生の舌打ちも聞こえたし、ここは大人しくしておこう。


 そこで俺たちは二人と別れ、また学園内の見回りに戻った。その後は何も問題は起こらず、学園内の全ての隠し部屋の位置を教えてもらい、合成素材アイテムを大量に回収して、ほくほく顔で炎の塔に戻ったのだった。


 それから数日の間は、何事も起きない平和な毎日だったと言っていい。

 俺は回収したアイテムを合成して地下にこもっていたし、掃除や料理が終われば腰が痛いと言っているダミアノじいさんのマッサージをしたり、使役獣のハリーと戯れたりしていた。これぞ理想のスローライフか?


 リカルド先生は、とうとうダミアノじいさんの部屋で食事の後に授業の準備をするとか言って資料を持ち込み、寝る直前まで入り浸るようになった。俺を監視する意味もあると思われる。

 俺は彼にジュリエッタさんがどんな様子なのかとか、淫乱ピンクやヴァレンティーノ殿下、ラウール殿下の様子を聞いたりする。あまり芳しくない表情をしているので、何かと問題は起きているのだろう。

 だから、眼鏡を使って暇な時は色々なところの覗き見をする。

 そうしているうちに、短い平和が終わった。


「……酷い」

 そう涙を浮かべて肩を震わせているのは淫乱ピンクである。

 授業が終わってすぐの放課後の時間帯、いつものように俺は眼鏡をかけて色々なところを見回り中、派手なピンク頭を裏庭の小さな噴水のそばで見つけた。

 噴水の傍にはいい感じの木のベンチもあり、昼寝にちょうど良さそうな綺麗に手入れされた一面の芝生もある。裏庭は中庭よりも随分と狭いし人の姿も少ないため、静かな場所である。

 水の音だけが静かに響く噴水の前に立って、淫乱ピンクが一人で唇を噛んでいる。


 ――珍しく一人なのか。


 俺はソファにだらんと座った格好で、眼鏡の中のその光景を見つめていた。ダミアノじいさんは上の階の見回りでいないから、だらけた格好もし放題だ。

 しかし、いつも男子生徒と一緒にいるイメージしかないヴィヴィアンの意外な様子を見て、妙に気になって自然と居住まいを正す。


 そしていつの間にか、彼女に近づく少年の姿があった。魔法科の生徒らしい黒い髪の小柄な少年。

「どうしたの?」

 ヴィヴィアンにそう声をかけた少年の声は、とても優しく響いた。

「あ」

 ぴくりと肩を震わせ、慌てて目元を拭いながら淫乱ピンクが振り返る。いつもの庇護欲を掻き立てる弱々しい笑みを浮かべ、彼女は軽く手を振った。

「何でもないです。大丈夫です」

 そう言った彼女の言葉を無視して、少年が噴水に近づいて手を伸ばす。その手を引いた時には、彼の手の中にはずぶ濡れになった教科書らしきものがあった。

「大丈夫じゃないよね。これ、君の?」

 眉根を寄せたその少年の顔は、どこか見覚えのある顔立ちをしていた。


 黒い髪の毛と灰色の目。

 リカルド先生に似ているということは、そういうことなんだろう。彼がオスカル・ファルネーゼ、リカルド先生の弟だ。


 彼は濡れた教科書に魔法を使ったらしく、すぐにそれは乾いていく。しかし、完全に元通りになることはなく、表紙や中身も随分とよれてしまっていた。

「このくらいしかできないけど、ごめん。使えそう?」

「ありがとうございます」

 珍しく、淫乱ピンクは殊勝な顔つきで礼儀正しく頭を下げる。他の男子生徒たちに向けるような親しみやすい明るい笑顔はそこにはなく、一歩引いた感じの普通の雰囲気だ。

「君、嫌がらせを受けているの?」

「え、あの」

「ああ、ごめん。僕はオスカル・ファルネーゼ。君の名前は?」

 困惑するヴィヴィアンに優しく微笑みかける少年は、とても――リカルド先生の命を狙うような人間には見えない。邪気の欠片もない柔和な雰囲気は、まるで陽だまりのような感じがする。

「ヴィヴィアン・カルボネラです」

 そう彼女は礼儀正しく名乗ってから、その表情を引き締めて続けた。「嫌がらせ……なのかもしれません。教科書が一人で勝手に噴水に入るはずはありませんから」

「確かにね」

 オスカルは苦笑してそっと小首を傾げた。これもまた、あざとい仕草だった。男のくせに可愛らしく見えるのは嫌味以外の何物でもないと思う。


「ヴィヴィアン……って、光の魔法書を持つ子だよね? 噂になっていたから気になってたんだけど、なるほど、これは酷いね。嫉妬かなあ? 強力な力を持つってそういうことだよね。敵が増える」

「そうなんでしょうか」

 ヴィヴィアンは少しだけ俯いた後、表情を引き締めて顔を上げる。そして、オスカルをまっすぐ見つめて笑った。

「でも、負けませんから大丈夫です。わたし、強いですから!」

「そう」

 ふと、オスカルも明るく笑う。そして、ヴィヴィアンがまた一礼して教科書を抱えて中庭の方に向かって走り出すと、彼はその背中が小さくなるまで見守って呟いた。

「確かに強いな、あの子。欲しくなる、よね」

 その表情は、さっきまで俺が見ていたものと違って酷く冷たかった。


 そして、随分とオスカルから離れた場所に『逃げた』ヴィヴィアンを眼鏡で追う。

 彼女は木の陰に飛び込んで、幹に背中を預けて大きな息を吐く。安堵のため息なのだろう、その表情も随分と和らいでいる。

「イベント、クリア……」

 彼女はぼそりと呟き、教科書を持つ手に力を込めた。その手が少しだけ震えているのが解る。

「もうやだ、ヤンデレ怖い」

 ぽつぽつと彼女が呟いているのが聞こえる。

 ヤンデレって……、と俺はオスカル殿下の顔を思い浮かべ、思わず顔を顰めた。

 彼女の独り言は続いている。

「オスカル殿下、仲良くしすぎるとヤンデレ監禁ルートに入るし、冷たくしすぎると邪魔だと思われた時に殺されるし。適度な距離を保つって難しいよ……」


 そのまま彼女は口の中でさらに何か言ったようだったが、小さすぎて俺には聞こえてこなかった。


「ジュリエッタお姉さまはどうせ婚約破棄されるし、そっちにオスカル殿下が行ってくれればいいのに。お姉さま、ほんっとに邪魔だし……二人とも一緒にどこかに消えてくれないかなあ」


 疲れたようにそう言った彼女は、気合を入れるように「よし」と一言強く言うと、木の陰から飛び出した。どこか浮かれたような足取りの彼女を見送って、俺は心底苦々しい思いで考えたのだった。


 ――淫乱ピンク、マジ淫乱ピンク。

 これってアレか。イベントとやらをこなすために、いじめを自作自演してんのか。もしそうだったら性格ヤバいし、そうじゃないとしても……ちょっと問題だ。


 俺はジュリエッタさん推しなんだ。ジュリエッタさんの平和のためにも、淫乱ピンクとオスカル殿下をくっつける方法はないだろうか。そうすれば丸く収まる。本気でそう思う。

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