第26話 学園の隠し部屋

「わたし……わたしには、弟がいたような、気がします」


 俺は微かな頭痛に困惑しつつ、それでもそう口を突いて出てきた言葉がある。

 リカルド先生の台詞に引きずられるように、前世の片鱗を見る。

 そうだ、確か俺の記憶の中で父さんが言っていたじゃないか。


「母さんが浮気したんだ。もう……帰ってこないって言ってる」


「俺の何が悪かった?」


「あいつ、俺が仕事ばかりで家庭を顧みないからって言ってたけど」


「お前たちを育てるのに、いい学校にいかせるために……」


 ――お前たち。


 そうだ。父さんは『お前たち』と言ってた。俺だけじゃない。俺だけじゃなくて。


「兄貴」


 そう俺を呼んでいた存在が。


「大丈夫か」

 リカルド先生のその声に我に返り、現実に引き戻される。その途端、微かに掴んでいた記憶が途切れ、思い出せた以外のことが曖昧になった。

「……大丈夫です」

 そう言葉を返しながら、父さんを裏切った母親はどうでもいいとして、父さんと弟はどうしているんだろうか、と気になった。俺はどうやって死んで、あの二人はどうしているんだろうか?

 どんなに考えても、そこまで思い出すことはできなかった。


 その数日後。

 俺は久しぶりに外に出ることになった。いつものように三人での夕食を終えた後、見回りの時間――二十一時になったとリカルド先生がソファから立ち上がり、俺を呼んでくれたわけだ。


 炎の塔の地下には俺の天敵とも言えるラウール殿下とその関係者はやってこないし、他の貴族連中も姿を見せないから、ダミアノじいさんと手分けして掃除やら何やらはこなしている。でも、外に出られないので小遣い稼ぎができないのが不満だったから、これはとても嬉しい。

 炎の塔の地下でも、場合によっては俺の部屋やじいさんの部屋でも、たまにアイテムが湧くことがある。だが残念ながら、どこでも手に入る精霊の布や聖なる羊皮紙くらいしか出てこない。どんなに集めてお金にしようとしても、微々たるものだ。

 今夜はせっかくのチャンスだから、稼がねば! と、ぐっと拳を振り上げるとかわいそうなものを見るかのようにリカルド先生に見下ろされた。何故だ。


 宿舎の明かりが完全に消されるのは二十四時だが、二十二時には塔の管理人によって点呼が行われる。それまでは、生徒たちは結構自由に歩き回っていることが多い。

 リカルド先生と俺が炎の塔を出て行く時、一階にある生徒のための談話室にはまだ話し声が響いていた。

 外に出れば、すっかり暗くなった中庭と、綺麗な星空が見えた。その星空の下、たまにアイテムが出現してキラキラ輝く様は幻想的でもある。

 この道連れが可愛い女の子だったら楽しいんだろうなあ、と思いながら前を歩く背中に問いかける。

「見回りって当番制なんですか?」

「そうだ」

 先生は相変わらず素っ気なく、振り返らずに応えた。その他人を寄せ付けない感じを崩したくて、わざと爆弾をぶつける。

「先生は弟さんと仲が悪いんですか?」

「何だいきなり」

 と、そこでさすがに先生が顔を顰めて振り返り、足をとめる。

 まあ、唐突だってことは俺も思ってる。でも、今まで何となく聞けなかったのだ。明らかに危険人物だとその名前を上げた時、不快感もその表情には混ざっていたから。


「子供の頃は仲がよかったんだ。まあ、ほんの一瞬だがな」

 やがて、先生は中庭へ向かうため歩き出し、静かに説明をしてくれる。「私と弟は母親が違う。私は側妃の息子、あいつは正妃の息子、立場が違うんだよ」

「年功序列というわけではないんですね?」

「ああ」

 リカルド先生の小さな笑い声が聞こえる。「正妃……オスカルの母は気性が激しい女でな。オスカルが生まれるまでの間は、私も随分と嫌がらせを受けたものだ」

「嫌がらせ」

「それに、オスカルに色々と吹き込んでくれた。私の母親がどんなに下賤な立場であるか、とかな。母も一応、貴族の出であったんだが……一度格下と蔑むようになってからは酷いものだった。オスカルも最初は私に懐いていたが、そういう言葉の毒はゆっくりと効いていく。そしていつの間にか、こうなった」

「仲直りはできないくらいに、ですか?」

 俺が首を傾げながらそう訊くと、暗闇の中で彼は肩を竦めて見せる。

「無理だな。私がグラマンティに入学し、魔法を学んでいる間に母が死んだ。病死と公表されたが、毒殺だった」


「え?」


 リカルド先生は淡々とした様子で中庭を見て回り、そこに誰もいないことを確認している。

 俺の足が止まっても、彼の言葉は途切れなかった。


「間違いなく、命令したのは正妃だろう。正直なところ、本気で殺してやろうかと考えた。ありがたいことに私は正妃よりも魔力が強かったし、やろうと思えばできたはずだ」

「え」

「だが、父にとめられた。まあ、王家としても醜聞は避けたいだろうし、父にあれだけ頭を下げられたら諦めるしかなかった。これでも、父には随分と大切にされてきたから。ただ、私は正妃を恨んでいるし、正妃と一緒になって私の母の死を喜んだ弟も許せるとは思えない」


 ――重いです、先生。

 いくら俺から切り出したことだとはいえ、とんでもない内容に背中に汗が流れるのを感じる。うっかり質問してしまったが、個人的なところに踏み込みすぎじゃないだろうか、俺。


「結局、私は逃げた形になる。身分を捨て、この学園で教師として一生を終えようと考えた。だが、弟にとっては目の上のたんこぶでしかない。私の存在は邪魔なんだよ」

「つまり……」

「そのうち、私は殺されるかもな」


「うう、申し訳ありません」

 俺は自分の頭を抱え込み、低く唸る。いつの間にか先生より随分と離れた場所で、俺はその場にしゃがみこんでいた。

「まあ、こんな兄弟関係は滅多にない。気にするな」

 先生が苦笑しつつ俺のそばにやってきて、俺が立ち上がるのを待ってくれている。のろのろと立ち上がり、先生の顔を見上げるといつもと変わらない表情があった。

「お前も前世のことを思い出したのか。弟がいるんだろう?」

「……多分」

 まだ全然思い出せていないんだよなあ、とため息をついていると、いつの間にか先生は中庭の外れに俺を誘い、ある木の裏を指で差した。


「ここには、何も見えないだろう?」

「え? ああ、はい」

 先生の手の平がぼんやりと輝き、何もない地面を照らし出している。

 何だろういきなり、と首を傾げていると、彼はポケットから小さな黒い鍵を取り出して俺の手の上に落とした。その鍵には紐がつけられていて、首にかけられるようになっている。

「つけろ」

 そう言われて、俺は鍵をネックレスのように首から下げた。そして、先生に言われるままに木の根元辺りに手を当てた。


 ――うわ。


 俺は声もなく驚いた。

 手は木に触れたと思った瞬間にその中に沈んで、気が付いたら見覚えのない部屋にいた。

 壁は木の幹のようで、部屋の形も円形だ。だが結構広く、八畳くらいはあるだろう。窓はなく、上を見上げると天井が遠すぎるものの明りが一つ灯っていて、どことなく温かみのあるオレンジ色で部屋全体が照らし出されていた。

 年季の入った木のテーブル、椅子、キルトのカバーのかかったカウチソファ、小さなキッチン、火のついていない暖炉。本棚にはジャンルごちゃまぜで変色した本も詰まっている。ちょっとした隠れ家みたいなものだ。

「何ですか、ここ」

 俺がぐるりと身体を回転しつつ一周すると、先生は片頬で笑った。

「変な男に襲われそうになったら逃げ込むといい。鍵を持っていれば入れる、学園関係者だけの隠し部屋だ。生徒には絶対に見えない」


 ――おお!


「今夜の見回りで、他のところにもある隠し部屋を教えよう。学園長には許可をもらってあるから、お前も好きな時に使うといい」


 おおお!


「ただし、他の誰かが使用していると入れない。その気配察知の魔法も今夜のうちに教えておく」

「ありがとうございます!」

 俺は思わず、先生の右手を両手で掴んでぶんぶんと上下に揺らした。こういう秘密基地っぽいのって男のロマンだよな!

 しかも、そんなことをしていると暖炉のそばにアイテムが湧いた。

 テンション高く回収すると、手の平の中には薄緑色の炎のようなものがあった。

「ドライアドの言葉だな」

 リカルド先生が俺の手の中を覗いてそう言った。「それほどレアではないが、優秀な素材だ」


 ――おおお!


 俺がまたリカルド先生の手を掴んでぶんぶん振ると、いつになく裏のない笑みが返ってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る