第25話 幕間 4 リカルド

「オスカル様は多分、先生の気を引きたいんです。そのためには手段を選ばないと言うか……」

「手段、か」

 リカルドはそこで意図的に表情を消し、ふわりとした雰囲気の少女の心を読み取ろうとする。だが、奇妙なことに彼女を疑えば疑うほど、自分の感情が乱れるのも感じて彼は不安に駆られることになった。

「それに……手遅れになったら大変なんです」

「手遅れとは?」

 そこでヴィヴィアンは不安げに彼を見上げ、口に出していいのかどうか、僅かな逡巡を見せる。だが結局、思いつめたような瞳でリカルドの手を握った。

「殿下は他の誰よりも強い力を持つことを求めています。それは先生も懸念していらっしゃいますよね? わたし、『解って』しまうんです。『見えて』しまうんです。このままでは、殿下は暗闇に落ちてしまう。それをとめなきゃいけないんです」


 リカルドの目がさらに鋭くなる。捕まれた手を振り払うことすら忘れ、彼は少女の次の言葉を待った。


「まだ未来の話ですし、必ず起こると証明はできませんが、殿下はいつか、ファルネーゼ王国の神具を欲するようになります」


 ぴくりとリカルドの腕が震え、それが少女にも伝わる。落ち着いて、と言いたげにヴィヴィアンは優しく微笑んだ。


「殿下の心を支配する、お母さまへの反逆なのかもしれません。お父様……ファルネーゼ国王陛下の『沈黙の盾』を一日でも早く手に入れるために、殿下は……」

「待て」


 信じられない、という感情がとうとう隠せなくなったリカルドは、掴まれた手を振り払い、今度は彼がヴィヴィアンの手を掴み、引き寄せた。

「何故、君が知っている? 『あれ』は機密事項だ」

「だから、『見えて』しまうんです」

 二人の顔は酷く近く、それを誰かに見られてしまえば誤解を受けるだろう格好だった。だが、それに配慮する余裕は彼にはもうなかった。

「あれは父の――ファルネーゼ陛下の秘匿品で、国外の人間には見せないようにしている」

 リカルドはそこで少女の手を放し、一歩後ずさる。

 彼女が言っている『沈黙の盾』というのは、リカルドの父が主従契約を結んでいる神具だ。

 ファルネーゼ王国は遥か昔より軍事国家として名を馳せており、幾度も戦争を繰り返してきて領地を広げてきた。

 だからこそ、王族に代々伝わる神具『沈黙の盾』は、国の守りの要。絶対に奪われてはならない存在だ。必要以上に王族以外の人間の目に留まらぬよう、陛下の傍に密やかに控えるように命令されているはずだとリカルドは知っていた。


「でも、完全に隠しておける秘密なんてないです。ほら、他の国に未来を見通す占い師みたいな人だっているじゃないですか。きっと、色々なところで知られてますよ」

 ヴィヴィアンが眉根を寄せて言うと、リカルドは唇を噛んで考えた。

 ――確かにそうかもしれない、と。

 未来を見通す神具がライモンド王国にあるという話は有名だ。


 だがそれでも、『沈黙の盾』を奪うのは難しいはずだ。ファルネーゼ王国にも優秀な騎士たちがいる上に、当の『沈黙の盾』は強い。

 そう結論が出ると、少しだけリカルドの心に余裕が生まれたが、次のヴィヴィアンの台詞に困惑することになった。


「でもそれより、オスカル殿下の方が問題です! ファルネーゼ王国の次期国王になれば、その『沈黙の盾』というのが必然的に手に入りますよね? でも、オスカル殿下は、先生が王位を狙っているのではないかと疑念を抱いていて」

「何?」

「だから、先生が行動を起こす前に手に入れようとするんです。その手を血で汚してでも」


 ――それはどういう意味だ。手を血で汚してでもというのは、陛下を手にかけてでも、という意味か?


 オスカルはファルネーゼ王国の正妃の息子であり、リカルドは側妃の息子だ。

 オスカルが生まれる前は、側妃が産んだリカルドが次期国王となる可能性があった。だからこそ、幼い頃から王になるべく厳しい教育を与えられてきた。


 しかし、正妃がオスカルを産んだことで、リカルドの玉座につながる未来は消えた。

 長い間、子供を宿すことのなかった正妃がリカルドの存在を疎んでいるのは有名な話であり、たとえ王位継承者としての地位を失ったとしても、事故に見せかけられて暗殺される可能性があった。だからリカルドはファルネーゼの名前を捨て、母親のものであるフォレスの姓を名乗ることになったのだ。


 つまり、このまま何もしなくても王位第一継承者であるオスカルが神具を手に入れる。


 ――だが、オスカルが警戒しているということか。私が王位を狙い、自分を殺すのではないか、と。そしてその考えを、この少女に漏らしたと? もしくは、目の前の少女がそれを『見た』と? 予言でもするみたいに?


 リカルドは得体の知れないものを見るかのように少女を見下ろし、言葉を探した。


「わたし、殿下と先生の力になりたいんです」

 少女は必死な声音で続ける。「絶対、まだ間に合うから。今ならまだ、取り返しがつく段階だから」

「私は」

 リカルドは額に手を置いて、ふ、と息を吐いて心臓を落ち着かせる。「少し、考えさせて欲しい。これは君には関係のない話だから、こちらで」

「でも先生!」

「すまないが、そろそろ」

 リカルドは窓の外を見やり、随分とここで時間を取ったことに気づく。ヴィヴィアンは僅かに悔しそうにその顔を見上げたが、すぐに諦めたように弱々しい笑みを浮かべた。それは見る者の庇護欲をそそるものであっただろうが、リカルドの目には入っていなかった。


 リカルドはヴィヴィアンをその場に残し、雷の塔の扉を開けて中に入る。

 それを見送った少女は、その場に静寂が訪れると深いため息をこぼした。

「手強い! 頑張ったのに、どこが悪かったんだろ?」

 肩を落としつつ、彼女は苦笑する。そして、彼女が持つ前世の記憶を引っ張り出して、一つ一つ確認していった。


 グラマンティ魔法学園を舞台とする、恋愛ゲーム。

 それが彼女が転生して得た、新しい世界だ。つまらなかった前世――平凡で、魅力など何もない会社勤めをしていた日本人としての生活よりも、ずっと魅力的な未来がある世界。前世では十人並み以下の容姿でしかなく、学校ではいじめられた記憶しかない。他人が恐ろしく、必要最低限の付き合いしかしてこなかった。

 だが、この世界での彼女は違うのだ。誰からも――素晴らしい男性から愛されて、大切にされる存在なのだ。そうなる未来が約束されていたから、前世の記憶を取り戻した直後から頑張ってきた。

 自分がどの角度から見られたら一番魅力的なのか、笑い方や仕草、全部鏡の前で練習を繰り返した。人間の心を掴むための言葉選びも考えた。


 幼い頃は貴族の愛妾の娘として不遇で衣食住にも事欠くような生活を送ってきたが、ゲームのストーリー通り、今は明るい道を歩き始めている。

 彼女が求める一番のハッピーエンド。あらゆる男性から愛される、幸せで満ち足りた世界。そこへたどり着くために正しい行動と言葉選びをしているはずなのに、上手くいかないことに少女は不満を感じていた。


 彼女にとって、この世界はただのゲームの世界であり、主人公は自分自身。自分以外の存在は、ただの『脇役』であり、『攻略対象』であり、ゲームの駒でしかない。


 彼女は本当の恋を知らなかった。


「今日の授業はここまで。レポートは出来上がり次第提出するように」

 リカルドは午後の授業を終えて、そう締めくくる。いつもと同じ流れだから、心が乱れていても間違えようがない内容だ。

 だがそれでも、職員室で銀髪の少女とやらが話題になっていると聞いた時には、頭痛を覚えた。話を聞けば聞くほど、あの『神具』である。


 ヴィヴィアンの話を聞いた後であったから、万が一、リヴィアの存在がオスカルに知られたら――と胃が痛くなる。ただでさえ沈黙の盾が手に入る予定であるのに、さらに狂える剣を手にしたらオスカルがどうなるのか。

 考えたくはなくとも、過ぎた力を持った子供がどんな結末を迎えるのか、ファルネーゼ王国がどんな道をたどるのか思い描いてしまう。


 だから、彼はリヴィアに忠告をした。

「オスカル・ファルネーゼ殿下にはできれば接触してもらいたくない」

 ――と。


 最初、怪訝そうにしていたリヴィアは、だんだんその瞳から精彩を失っていった。


「弟、ですか?」

 ぼんやりとした口調で首を傾げる少女は、どこか危うげなものを持っていた。

 リヴィアが前世の記憶を取り戻したとかいう話を聞いた時は馬鹿馬鹿しいと思っていたが、最近はそうでもないと感じ始めている。リカルドが知っている『神具』はリヴィア以外には『沈黙の盾』しかないが、人間の形をしていても人間とは違う人格を持っているはずだった。

 だが、最近のリヴィアはどこからどう見ても普通の人間だ。しかも、その辺りによくいるような、一般人的な存在でしかない。

 だが問題なのはその容姿。ほとんどの男性の目を引く眉目秀麗さ。

 神具ということを抜きにしても、彼女を狙う男は多いだろう。少し接しただけで解るが、リヴィアは恋愛に疎いせいもあり、男性に対して隙が多すぎた。

 だからリカルドは彼女から目を離すのが不安だった。

 彼の師匠でもあるダミアノが少女のお目付け役として自分を望んでいることも理解していたし、仕方ないと考えていたから何かと関わってきていたが、珍しく自分が彼女に入れ込んでいることも気づいていた。

 それは彼自身、意外な感情でもあった。


「どうした?」

 彼がリヴィアにそう声をかけると、のろのろと彼女は首を傾げて見せる。


「わたし……わたしには、弟がいたような、気がします」

 彼女は前世の記憶を辿るように、虚ろな表情のままそう言った。

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