第24話 幕間 3 リカルド

 雷の塔の三階から、炎の塔の三階へは渡り廊下でつながっている。その廊下の南側には大き目の窓が連なっていて、ちょうど中庭が見下ろせる位置だ。

 リカルドは昼休みの時間、雷の塔の上にある自室へと向かっていた。渡り廊下を歩きながら横目で中庭を見下ろすと、新入生たちが食堂へと移動するため歩いていくのが見える。

 今年の新入生は、魔力の強い人間が多いというのが教師たちの間で話題である。

 事実、大ホールに集まった生徒たちを彼が観察した結果、目をとめざるを得ない者たちがいた。


 ――今の私は、ただの教師だ。それ以上でも以下でもない。


 リカルドは吐き出しそうになったため息を飲み込み、そのまま雷の塔の扉を開けて入ろうとした。


「お久しぶりです、リカルド兄さん」

 そんな声が彼の背後から響き、ドアに手をかけようとしたリカルドの動きがとまる。

 ゆるりと振り向くと、窓から差し込む光を浴びた少年が目に入った。

 肩の上で切りそろえられた黒い髪の毛と、灰色の瞳。リカルドのものと全く同じ色を持つ少年は、穏やかで冷徹な笑みをその頬に浮かべていた。


 随分と背が伸びた。

 それがその時、リカルドが感じた印象だ。ただ、その少年は元々小柄だったから、背が伸びたといっても世間一般的なものだ。その細身の身体に秘めた魔力の流れが若干停滞しているのが気になったが、それをわざわざ口にすることもなく、リカルドは礼儀正しく頭を下げた。


「お久しぶりです、オスカル・ファルネーゼ殿下。ご健勝そうで何よりです」

 そのまま静かに頭を上げ、十五歳になったばかりだろうオスカルの顔をじっと見つめた。すると、僅かに嫌悪のようなものが混じった声が飛んでくる。

「他人行儀ですね、兄さん。遥か昔は笑顔を見せてもらったこともありますが」

「もう、私はファルネーゼの名前を持っておらず、ただの一介の教師でしかありません。本来ならば、こうして殿下とお話することも歓迎はされないでしょう」

「何故ですか?」

 急に、オスカルはリカルドとの間合いを詰め、すぐ近くに立って低い笑い声を上げた。「本当は戻ってきたいのではないですか?」


 何故?

 それを訊きたいのはリカルドの方だった。だが、その言葉も、思い出したくない記憶も胸の内に飲み込んで自分より低い位置にある少年の頭を見下ろした。前髪に隠れてその瞳は見えず、口元だけが奇妙に笑みの形を作っているのが解る。

 歪んだ笑みだ。

 いつからこうなってしまったのか。

 どうしてここまで捩じれた関係になってしまったのか。もう修正はできないくらいの場所にまできてしまった。


「私はこのまま魔導士へと道を進め、グラマンティに骨を埋めるつもりでおります」

 だから敵ではないという意を込めてそう言っても、オスカルはリカルドの言葉を信用した様子は見せなかった。

 それどころか、少年は肩を震わせて笑いながら言うのだ。

「兄さんは嘘が上手だと皆から言われていますからね。何しろ、あの売女、いや傾国の美女の息子なのだから、やがて我が国の脅威になるかもしれない」


 ばん、と窓が揺れた。


 リカルドの表情が強張り、その手はきつく握りしめられている。色を失った頬のリカルドはその整った顔立ちもあって人形のようで、全ての感情を失ったかのように凍り付いていた。


「命は大切にした方がいいですよ?」

 く、と楽しそうに笑ったオスカルは、リカルドの身体を押しのけて雷の塔の扉を開けて中に入っていく。去り際に、その少年はさらにその場に毒を落としていった。

「どこかの売女は失敗したようですが、兄さんはそんなに愚かではないでしょう?」


 ――売女だと?


 扉が軋んだ音を立てて閉まり、リカルドは誰もいない渡り廊下を睨む。王族の末端とはいえ、一度はその場に身を置いたリカルドは、元々魔力量が多い。そのため、グラマンティに入学し、制御することを最優先に覚えた。

 それでも、こうして心の奥に潜んだ憎悪に触れてしまうと、魔力が流れだしてしまう。自分の未熟さを恨みつつ、そっと息を吐き、乱れた心臓の音を確認する。


 その時、リカルドの前に軽やかな足音が響いた。

「ああ、ヒビが入ってるー」

 そう、驚いたように、そして楽しそうに笑った少女が渡り廊下に姿を見せて、窓に近づいてその手を伸ばす。

 その途端、窓がしゃらん、という音を立てて一面が光り輝く。

 それは認めたくないことだが、美しい光景だった。

 リカルドが思わず目を細め、その少女に学園内で魔法を使うことに対しての注意をしようと足を一歩踏み出した時だった。


「修理完了!」

 と、可愛らしい声とポーズをして見せた少女は、誰もいないと思い込んでいたのかリカルドの存在に気づいて飛び上がるように驚いて見せた。

 どうやらリカルドの先ほどの魔力の暴走で、窓ガラスにヒビを入れてしまっていたようだ。それはリカルド自身の魔法で簡単に修理できるものだったはずだが……、と苦々しく思う。熟練が未熟な生徒に勝手に魔法を使わせるわけにはいかないのだ。

「君は……確か」

 リカルドは少女に近寄り、眉を顰めた。

 目立つピンク色の髪の毛は、大ホールでもその存在感を放っていたと思う。今年の新入生である彼女は、最初の魔法書を光属性で得たということでも話題になった。

 元々、光属性の魔法というのは膨大でありながらも安定した魔力を必要とする。他の属性の魔法を熟練した後に得られるのが通常の流れだが、彼女は違うのだ。

 間違いなく他の生徒たちとは異質なのだ。


「ヴィヴィアン・カルボネラです。リカルド・フォレス先生」

 無邪気に笑う彼女は、可愛らしい顔立ちをしていて近寄るものを警戒させない何かを持っていた。

 生徒は勝手に魔法を使わぬようにと彼女に注意をすると、ヴィヴィアンは困ったように笑いながら頷いた。それから、話を逸らすかのように彼女は言う。

「あの、こちらの方へオスカル様がいらっしゃってなかったですか?」

「何?」

 リカルドが警戒したように目を細めて彼女を見ると、心配そうに両手を胸の前で組んだ少女は苦しそうに首を振る。

「さっきまで、中庭でお話をさせていただいていたんです。その、彼は……色々苦しんでいらっしゃるようで、その」

「苦しんでいる?」


 この場に誰もいなければ、嘲笑しただろう。

 リカルドは苦々し気に少女から目を逸らし、窓の外を見る。平和な中庭の日常は、どこか非日常的な色を持って彼の目に映った。そこで談笑している生徒たちの姿も、現実味がない。


「はい、とても悩んでいらっしゃいますよ。それでわたし、お守りを作るのが得意なので。もしよければ、オスカル様にお渡ししようと思って追ってきたんです」

「お守りか」


 そんなもので、あの少年が救われるとは思わない。弟が生まれてから、少しの間だけは一緒に暮らした過去がある。その頃は、オスカルも普通の子供だった。リカルドに懐いていた時期もあった。

 だが、リカルドが十五歳になる頃にグラマンティ魔法学園に入学し、離れている時間が多くなると、オスカルは周りの人間に色々と吹き込まれて、変わっていったのだ。半分だけ血のつながった兄を軽蔑し、自分の持つ権力を自慢するようになっていた。

 ――憐れむべきだろうか。周りの人間に恵まれなかったことに。

 リカルドはどこか他人事のように感じながら、怠惰な動きで頷いた。


「リカルド先生もどうぞ」

 と、少女がポケットの中から濃い緑色の宝石で作られた四葉のクローバーを取り出した。それは光竜の髭と水晶の欠片から出来上がるアイテムで、確かに色々な悪意から身を守るものとしては優秀なものだ。ただ、滅多に出来上がるわけではない。光竜の髭がなかなか手に入らないレアアイテムである上に、光魔法を極めていないと合成時に砕けて消えてしまうのだから。


「いや、教師は生徒から何かもらうわけにはいかない」

 リカルドが断ると、ですよね、と言いたげに少女は苦笑しながら手を引いた。そして、ヴィヴィアンは眉根を寄せてリカルドを見上げる。それは一見、とても心配そうな表情だった。

「リカルド先生はオスカル様とご兄弟なんですよね?」

「何?」

 棘のある声音でリカルドが睨むと、手をぱたぱたと振りながら彼女は弁解する。

「オスカル様がおっしゃってました。わたし、そういう……何ていうのか、悩みを聞き出すの、得意なんです。相手もわたしだったら話しやすいみたいで、色々なことを言ってくれます」

「オスカル……殿下が言ったと?」

「はいー」

 無邪気な笑みは、リカルドの心を別の方向から攻撃しているかのようだった。困惑する彼に、少女は重ねて言った。

「オスカル様、幼い頃から苦しんでいたみたいです。リカルド先生が、とても皆から認められている優秀な方だったから、その隣に立てるように頑張ったって言ってました。いつか、一緒に笑えたらいい、って」

「しかし」

「ええ、でも。周りの人間がそれを許してくれなかったって。兄であるあなたが、いつかオスカル様を殺して、王位を奪う可能性があると言われながら育ったって。最初はそんなことは絶対ないと思っていたのに、繰り返し言われるから……だんだんつらくなってきたみたいで」


 リカルドは言葉を失っていた。オスカルのことを聞いて驚いたわけではなく、目の前の少女に対してだ。

 ヴィヴィアンは表向き、何の悪意もあるようには思えない。しかし、恐ろしいことを言われている危機感と、何が起きているのか解らないという焦燥感が湧き上がっていく。


「きっと、まだ遅くないんですよ。先生は、まだ殿下と元の関係に戻れるはずなんです」


 その言葉がリカルドの胸に突き刺さる。

 この少女に関わるのは危険だ。

 それに。


 ――あんな目をしている弟とやり直せる?


 リカルドはとても少女の言葉に頷くことはできなかった。

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