第22話 浮気男とは婚約破棄しましょう
嵐のように空気を搔き乱したラウール殿下が去っていった後、ほんの少しだけ沈黙が降りる。
そして、どちらからともなく俺とジュリエッタは顔を見合わせた。俺が口を開く前に、彼女は片頬で笑った。
「離していただけるかしら」
「え」
そう言えば俺、ジュリエッタさんの腕を掴んだままだった。慌てて手を引いて、曖昧に微笑んで見せると、深いため息が返ってきた。
「……あなた、印象が変わったわ。本当に記憶がないのね?」
「はい」
「とにかく、これで借りは返したから」
そう続けた彼女の表情は、悪役っぽく歪んだ笑みではあったけれど、顔立ちが綺麗だからか迫力はあっても怖くはなかった。だから、気楽にこう言ってみた。
「ラウール殿下を諫めたジュリエッタ様は、とても格好よかったと思います」
「馬鹿なことを言うんじゃないわ」
俺はそこで、目を細める。俺の言葉に動揺したのか目元を赤く染めている彼女は、デレ期に突入した美少女っぽい雰囲気を醸し出している。
もう一押しかとも思ったが、もう一押しって俺は一体何をやっているんだ、と唐突に正気に戻ることになる。
そしてさらに、次のジュリエッタの言葉に完全に絶望の底へ落とされた。
「あなた、貴族どころか王族に目をつけられたのだから、覚悟した方がいいわよ? ああいう押しの強いタイプはしつこいから」
俺はおそらく、顔芸で凄まじいまでの「厭だな」感を出したと思う。さすがのジュリエッタも苦笑したからだ。
「捕まらないように、わたしは地下に引きこもります。ご忠告、ありがとうございます」
ぐったりとそう返した後、そう言えば、と辺りを見回した。
随分と俺たちは騒いでいたと思うんだが、誰も気づかなかったんだろうか。例えば、ヴァレンティーノ殿下と淫乱ピンクとか。
そして、俺の無駄に視力のいい目が、二人の姿を捉えた。ゆっくりと二人並んで歩きながら、談笑している様子はまさに初々しい恋人同士。何かムカつく。
彼らは俺たちが騒いでいたことなど知らず、二人きりの世界を作っていたのだろう。だんだんこちらに近づいてくるものだから、俺とジュリエッタはまた木の陰に潜むことにする。下手に歩けば見つかるくらいの位置だ。
「ジュリエッタ様」
「何よ」
彼女の目はヴァレンティーノ殿下とヴィヴィアンに向けられていて、だんだん苦し気なものに変化していく。淫乱ピンク、許すまじ。そして、浮気男も死ねばいい。イケメンってだけでムカつく存在なのに、何だあれ。
「ヴァレンティーノ殿下の浮気の証拠を集め、婚約破棄しましょう」
「は?」
「ジュリエッタ様でしたら、もっといい男性がより取り見取りです。むしろわたしがもらいたいくらいです。まず、お友達からお願いします」
「あなた、やっぱり馬鹿なんでしょう?」
心の底からそう考えているような響きで、ジュリエッタが言う。馬鹿なのは否定できない。そう言えば、前世で……大して勉強ができなかった気がする。テストが嫌いだったし、似たような成績の連中と遊び回っていたような気もする。
と、そんなことを考えていたら、俺たちにこっそり近づいてくる気配を感じて眉を顰める。そちらに目をやると、木の陰から陰へと少しずつ近寄ってくるジーナの姿が見えた。
でもどうやら、ジュリエッタの存在を気にして声をかけることができないらしい。足をとめ、そわそわしつつ俺のことをちらちら見ているので、仕方なく俺は手を上げて彼女を呼んだ。
ジーナはジュリエッタに恐縮した様子を見せながら歩み寄り、彼女に深く頭を下げて挨拶をする。それに対して、ジュリエッタは鷹揚に手を振り、気にしない様子を返す。
「もしも必要でしたら、わたしが証言致します。ヴァレンティーノ殿下とヴィヴィアン様が人気のないところで二人きり、腕を組んで歩いていたこと」
――こいつ、聞こえていたんか!
と、俺以外にも地獄耳がいたらしい、と表情で驚きを伝えると、彼女は頭を掻きながら気まずそうに笑う。
「わたし、風属性の魔法書を持っていまして、遠くにいる人たちの会話を風に乗せて聞くの、得意なんです」
しかし、ジュリエッタは困ったように首を横に振った。
「ありがたいけど、別にいいわ。下手に事を大きくしたくないの。このまま何もしなければ、殿下はわたしと……」
そこまで言って、彼女は口を閉じる。
そして俺たち全員が、身体を強張らせつつ木の陰にそっと座り込んだ。
近づいてくる足音と、楽しそうな笑い声。
「……ヴィヴィアンは前向きだね。それは強いということでもある」
「ありがとうございます! 悩んでくよくよするより、大変でも、苦しくても、チャレンジすることが好きなんです」
「困ったことがあったら、言うといい。私でも協力できることがあるだろうから」
そんな会話が、俺たちのすぐそばを通り過ぎていく。
息を詰めてじっとしていた俺たちが立ち上がったのは、彼らが去って少し経ってからだ。その頃にはジュリエッタの表情は暗くなってしまっていたし、俺がどんなことを言っても苦笑すら返してくれなくなっていた。
やっぱり、こうしてショックを受けるということは、彼女はヴァレンティーノ殿下のことが好きだったんだろう。
ちょっと、慰めたくなった。
俺がこの世界で男性として生まれていたら、もっと押せ押せでいけたんだろうか。
それとも今のままでも、まかり間違ったらワンチャンあるか?
俺たちは結局その場で別れることになった。ジュリエッタが硬い表情で塔の方へ歩き出した時、思い出したことをその背中に問いかけてみた。
「そういえば、さっきの……何とかの恋人っていう舞台、どんな話なんですか?」
すると、彼女がぴくりと肩を震わせ、足をとめて吐き捨てるように言った。
「義理の姉に虐げられている健気な少女が、その姉の婚約者と運命の恋に落ちる話よ。舞台劇ではとても人気らしいわね。平民の間では特に、ね」
シンデレラストーリーみたいなものなんだろうか。しかしそれは何だか……、と微妙な気持ちになる。
彼女が俺たちの顔を見ずに歩き出し、この場から姿を消すとジーナは「ジュリエッタ様がかわいそうだから、暇な時間があったら浮気現場を掴むために見張る」とか言い出して拳を振り上げる。そして、俺に手を振ってから中庭の中央の方へ駆けていった。
――あの紙片、おそらく淫乱ピンクの仕業だろ。
間違いなく、性格悪そうだし。
ジュリエッタを助けてやりたいが、今の俺には無理かもしれない。下手に動けばラウール殿下に見つかる。
じゃあ、とりあえずダミアノじいさんに相談してみるか、と思いつつ炎の塔の地下に戻ると、何故かリカルド先生が俺の帰りを待っていた。
「お前、何をした」
リカルド先生は俺がダミアノじいさんの部屋に入るなり、腕を組んで睨みつけてくる。ダミアノじいさんは相変わらず薬の調合中で、部屋の中はもくもくとした煙に覆われている。
そんな中で立ち尽くすリカルド先生は、その冷たい感じのするイケメンさ、迫力も相まって魔王様とでも呼んだ方がいい様相を示していた。
個人的にはロリ幼女魔王様の方が好みなんだが、この世界にはいないのだろうか。助けて欲しい、魔王様。
「わたしは何もしてませんが」
そう俺が首を傾げると、彼は問答無用で俺の頭を鷲掴み、ぐいぐいと揺らす。やめろ、一応俺、女なんだし! 超美少女に対して、この扱いは何だ!
「今年の新入生、ラウール・シャオラ殿下が銀髪の美少女の名前を知りたいと教師に声をかけてきていた」
――早っ! 剣の鍛錬に行ったんじゃねーのかよ!
俺が口を開けて驚きを示すと、リカルド先生は冷ややかに笑う。明らかにこの場に冷気が漂い始めている。天然の冷蔵庫みたいな先生だな、と頭のどこかで考えていると、疲れたようにため息をつきながら先生は俺を解放した。
そして結局、俺はこれまであったことを全部吐かされたのだった。
「目立つなと言っているのに」
話を聞き終わったリカルド先生は、ソファに座り込んでぐったりと背もたれに身体を預け、天井を見上げていた。何となく可哀想な気がしたので、俺は先生にお茶を淹れてやった。テーブルの上に湯気のたつカップを置いたが、彼は手を伸ばす元気もなさそうだ。
そして唐突に、俺は名案を思い付く。
「性転換する魔法とかないでしょうか? わたしが男性なら、ラウール殿下も諦めがつくと思います」
「幻を見せる魔法はあるが、王族ほどの魔力の持ち主には効かん」
先生は鼻で嗤う。
「じゃあせめて、男装します」
「お前は少し黙っていろ」
――くそ。
ラウール殿下は男に惚れる男色家、という根も葉もない噂でも流してやろうかと思ったのに。
でも、男装というのはいい考えじゃないだろうか。上手くやれば、すげー美少年になれそうだ。
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