第21話 女性しか愛せない
「錯覚? 俺はそうは思わない。一目惚れってあると思う。特に君はとても綺麗だし、まずは名前を教えてくれないか」
ひー。
ヤバい、これは慣れていない展開だ!
ぐい、と身を乗り出してきた彼を避けるように、俺は身を逸らした。そして、掴まれた腕が痛い、と言いたげなそぶりをわざとして見せると、彼はやっとそこで俺の腕を解放する。
「いえ、あの、本当に無理ですから」
俺はじりじりと後ずさりつつ、何とか笑みを保とうとしたが、絶対に敵を見るような目になっていただろう。ラウール殿下は残念そうに俺を見つめているが、諦めた様子は見せなかった。
それどころか、目が据わっているのが危険な気がする。
「何故無理だと解る? まずは付き合ってみたらいいじゃないか」
「お断りします」
「俺はラウール・シャオラ。君の名前は?」
「いえ、だからその!」
俺は働かない頭を必死に回転させ、目の前の敵を追い払うための上手い言葉を考える。殴ったら駄目だ。後々のことを考えたら、正攻法で逃げろ。
「ラウール殿下とお見受けします」
俺は何とか礼儀正しく頭を下げた後、顔を上げて引きつる頬で笑って見せた。「わたしは平民ですので、どちらかの王族の方とは身分が釣り合わず……」
「ああ、正妃は無理だが側妃ならいけるだろう」
何ですと!?
俺は大口を開けて固まっただろう。ちょっと待ってくれないだろうか、いつの間にそんな話になった?
ちょっと落ち着け、落ち着いて考えろ!
「あの、わたしは、わたしは! 無理です無理です無理です」
全然落ち着いていなかったらしい、俺。余計なことまで叫びそうになりつつも、必死に『好みじゃない』とか『触られたくない』とかの言葉は喉の奥に飲み込んだ。
「無理かどうかは試してみればいい」
――どうやって!?
顔芸で拒否の意を示したい!
「わた、わたしは男性が駄目なので」
俺はそこで、傍観者よろしく口元を押さえながら悠然と立っていたジュリエッタさんに目をとめた。
その瞬間、厭な予感を感じたのか彼女の顔が緊張に歪む。
結構、勘がいいらしい。巻き込ませてもらいます、ジュリエッタさん。
「男性が駄目とは?」
そんな、困惑したラウール殿下の声を背後に聞きつつ、素早くジュリエッタの前に立って彼女の顔を覗き込んだ。
厭そうに顔を背けようとした彼女の腕を掴み、彼女にだけ聞こえるように低く囁く。
「貸しがありましたよね?」
「何のことかしら」
同じように小声で返す彼女は、相変わらず俺から目をそらしたままだ。
「階段から突き落とされたことを黙っている代わりに、話を合わせてください」
「はっ」
彼女はそこで俺を馬鹿にしたように鼻で笑い、小首を傾げて挑発してきた。「あなた馬鹿ね? そのくらいのこと、貴族だったら簡単にもみ消せるのよ」
汚ねえ! さすが貴族、汚ねえ!
「……じゃあ、殿下に浮気されて、ジュリエッタ様が一人ぼっちで泣いていたと噂を流します」
「ちょっと! わたしは泣いてなんか!」
「ないことないことばらまきます。だから助けてください」
「それが助けを求める人間のすること!?」
彼女が目を見開いて、怒りではなく羞恥で目元を赤く染めたのを確認した後、俺は彼女を信じてみることにした。
彼女の手首を掴んだまま、そっと背後を振り返り、眉間に皺を寄せて俺たちを見つめているラウール殿下に微笑んで言う。
「わたし、ジュリエッタ様をお慕い申し上げております」
「何?」
「え!? ちょっと!」
二人が驚いて声を上げる。でも俺の口はとまらない。とめてたまるか。
「大切なことなので二回言いますが、ジュリエッタ様を心からお慕いしております。わたし、女性しか愛せないんです。ですから、ラウール殿下のお話もお受けできません」
やっとここまできて、少しだけ俺の心臓も落ち着いてきたらしい。忘れていた忠告も頭の中に蘇ってきて、背筋が冷えた気がした。
こいつ、さっき何て言ってたっけ? 魔力がどうこう言ってなかったか?
俺、魔力を遮断するマントを身に着けてるってのに、こいつには効かないってことだろうか。
それに、殿下があの淫乱ピンクを見つけた時も、同じようなことを言ってたはずだ。凄い魔力量だから見つけた、そうじゃなかったか?
じゃあ、俺の場合はどうなんだ?
こいつ、俺が人間だと思ってるんだろうか。
もしかしたら、マントなんかじゃこいつの目は欺けなくて。
本当は女として俺を見てるんじゃなくて……神具として見ていたら?
「ちょっと……大丈夫?」
気づけば、ジュリエッタの手首を掴んでいる俺の手が震えていた。それに驚いたように、彼女が小声で確認してくる。
こうしてみると、彼女は根っからの悪人じゃない。階段から俺を突き落としたという前科はあるとしても。
「わたし……」
どうしよう、何て説明すべきか。
黙り込んでしまった俺を困惑しつつ見つめていたジュリエッタだったが、やがてため息をついて顔を上げる。
「申し訳ありません、ラウール・シャオラ殿下。発言をお許しください」
「……何だ」
「この学園に入学する際に、風紀を乱すようなことは慎むよう、学園の規則が説明されたと存じます。細かいことを申し上げるつもりはございませんが、卒業するまでは勉学、そして騎士としての鍛錬に勤しむべきでは?」
背筋を伸ばし、凛とした表情を見せるジュリエッタは、ラウール殿下にも負けない力をその双眸に秘めていた。
一瞬だけ、ラウール殿下もその迫力に押されたのか言葉に詰まって唇を噛んだが、ふと意味ありげに笑う。
「ジュリエッタと呼ばれていたな?」
「……何でしょうか」
「ヴァレンティーノ・レオーニ殿下の婚約者が確か、ジュリエッタと」
「ええ、そうですわ」
それが何か? と挑むように見上げたジュリエッタを、ラウール殿下は見つめながら楽しそうに肩を震わせて笑った。
そして、彼は俺に視線を戻す。
「お前が『お慕い申し上げ』ている女は、売約済みだ。諦めろ」
どうしてそこに戻るんだ!
こっちが断ってるんだから、引き際ってもんがあるだろーによ!
ジュリエッタの手を掴んだまま、俺がじりじりと彼女の背後に逃げようとしていると、そこにまた別の声がかかる。
「ラウール殿下。探しましたよ」
俺がそっと顔を上げると、そこにいたのはラウール殿下よりも小柄でどこか幼さの残る顔立ちの少年だ。彼もラウール殿下と同じ刺繍が制服にあるから、魔法騎士科の生徒なんだろう。女の子と言ってもおかしくないくらい端正で柔和な顔立ちだから、男女問わず人気が出そうな人間である。
それは別として、とにかく髪の毛が目に痛いくらいに青くて目立つ。色彩の暴力とはこのことか。
何だよこいつも淫乱ピンクと同じで、生物学的にあり得ない髪の毛してんのかよ!
あまりにも何でもありなこの世界に驚きすぎて、俺は身体を硬直させていた。
「ああ、すまん。探させたか」
ラウール殿下は明らかに『しまった』という表情でその少年を見下ろしていた。それと同時に、殿下の表情が今までの優しい雰囲気から、少しだけ粗野な感じに変わった気がする。こっちが素の表情なのかもしれない。
「ええ、探しました。よくご存知で」
どうやら少年はラウール殿下のただの友人ではなく、側近か何かだろうと思われる。ただ、青い髪の少年は笑顔ではあったけれど、有無を言わせぬ力を持ってさらに殿下に詰め寄った。どうやら、かなり強気な性格らしい。
「剣の鍛錬のお時間です。どうぞ、こちらへ」
「いや、ちょっと待ってくれ。俺はこの子を」
「殿下」
その威圧に負け、ラウール殿下が折れた。舌打ちしつつ、残念そうにため息をついてから俺を見た。その時には、また優し気な笑顔に戻っていたが――演技だろうな、これ。
「じゃあ、また後で会おうか、銀色の君。その時、君の名前を教えてくれるか」
「お断りします」
彼の視線を避けてジュリエッタの背中に隠れると、青い奴が地を這うような声で言う。
「さすが歩く女性の敵ですね、殿下? 地位を利用して身分の低い女性に言い寄っていたこと、陛下に報告させていただきます」
「おい」
そこで、青い髪の少年は俺たちの方に歩み寄り、礼儀正しく頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしたようで、大変申し訳ございません。もしまたうちの殿下が何か問題を起こすようでしたら、ぜひお知らせください。女性を騙すためには無害そうに装う方なので、こちらもほとほと手を焼いているのですが、いざとなったらシャオラの獅子王陛下にお伝えし、回収していただきますので」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
俺とジュリエッタが同時に同じ言葉を口にすると、僅かにその少年の顔が緩んだ。そして彼はまた一礼すると、不満げなラウール殿下を引き連れて魔法騎士の訓練塔の方へ歩き出した。
その青い髪の少年の名前を訊くのを忘れたから、とりあえず心の中でブルーハワイと呼ぶことにした。頑張って殿下を閉じ込めておいてくれ、ブルーハワイ。頼りにしているぞ、ブルーハワイ。
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