第17話 使役獣ハリーと一緒に魔蟲石ゲット

「どちらにせよ、新入生で光魔法の講義を最初から受けられるというのは凄いことだ」

 殿下は少女二人の間に漂う空気を気にした様子もなく、見事な笑顔を作ったままだ。空気を読まない男なのか、それとも意外と腹黒く、演技をしているのか。

 ピンク――ヴィヴィアン嬢は間違いなく空気を読まない。殿下にそう言われて目元を赤く染め、嬉しいという感情を露に頭を下げる。

「ありがとうございます。あの、わたし、まだ学園のことをよく知らないですし、勉強もまだまだなので、その。機会があったら、色々教えていただいてもよろしいですか? お忙しいようでしたら結構ですので! その!」

 大きな瞳はきらきらと輝き、幼さの残る顔立ちはとても魅力的に映るだろう。そしてヴァレンティーノ殿下もまた、その無邪気さに負けたようだった。

「ヴィヴィアン」

 明らかに苛立ちを隠せていないジュリエッタが諫めるように名前を呼んだが、そんな彼女を手で押しとどめる殿下の顔は、若干だが苦笑が混じっている。

「かまわないよ。誰だって、解らないところから始めるのだからね」

 その途端、両手を自分の胸の前で組んで満面の笑みを浮かべるヴィヴィアンは、見事に『ヒロイン枠』の少女然としていた。

 そしてその二人を見守り、僅かに一歩引いているジュリエッタの瞳には、明らかにショックを受けているような輝きが灯っていた。


 うん、とりあえず俺はジュリエッタさん派かなあ。

 階段から突き落とされたけど。記憶がないせいか、あまりそれ自体に恨みはないし。むしろ、それがきっかけで前世のことを思い出したのだから、不幸中の幸いというやつではないだろうか。


 そんなことを木の陰でぼんやり考えていた時だった。

 背筋を這い上がるぴりぴりとした感覚に、俺はそっと身体を強張らせた。腰のベルトに差し込んである短剣に手を伸ばす前に、これからのことを考えて俺は頭上で大人しくしていたハリーをむんずと掴んで胸の前に持ってきた。

「きゅ」

 そんな、首を絞められたかのような声を上げたハリーは、何をするんだと言いたげに俺を見つめている。

「触れていれば大丈夫なのですよね」

 俺は言葉が通じるのかどうかも怪しいハリーにそう小声で言ってから、片方の手でブラウスの上のボタンを外した。空いた隙間に問答無用でその小さな使役獣を押し込むと、つい眉間に皺が寄る。


 いや、期待はしてなかったけどさ。

 胸が大きい女の子なら、小さい獣が胸の谷間に潰されるようにしながら、シャツからその顔が覗いている、という素敵な光景になっただろう。これが子猫とかだったら、女の子の豊満な胸を見るか可愛い子猫の顔を見るかで悩んだはずだ。


 しかしさ!

 胸がまな板すぎて、シャツから顔を覗かせるどころか、そのまま腹のところにまで使役獣が滑り落ちるってどういうことだ。

 羽根とハリネズミっぽいトゲトゲが腹に刺さって少し痛いし、しかも中で慌てたようにハリーが動くからくすぐったさも感じる。

 何だこの、夢のない結果は!

 俺はちょっとだけやさぐれつつ、「大人しくしていてください」とお腹に向けて囁くと、僅かに大人しくなってくれたようだ。なるほど、こちらの言葉は解るらしい。

 そして、俺が短剣を抜いたその時。


 魔蟲の気配が膨れ上がった。


 俺、おそらく魔蟲に関しては凄い嗅覚、いや、感覚を持っているんだと思う。魔蟲が形を取らないうちに、その身体が靄のうちに『生まれるんだな』と解る。

 さらに、どこに出現するのかも目に見えるように解るのだ。


 俺が狙っているアイテムの近くに、黒い靄が僅かに立ち上った瞬間。


 俺の身体の中の神具が求めるのだ。魔蟲を倒すために生まれたのかもしれない『それ』が、敵を討てと叫ぶのだ。

 短剣を握った手が歓喜に震え、喉の奥から笑い声が生まれそうになる。それを必死に押しとどめ、ただ唇で笑うだけにする。


 それからは、俺の意志とは関係がなかった。

 俺は戦い方なんて知らない。微かに残っている前世の記憶も、ただの一般人だ。スポーツだってそんなに打ち込んでいた感じはなかったと思う。

 柔道や空手だって、知識としてしか知らないはずだ。


 でも、俺の身体の中の『狂える剣』は知っているのだ。自分が武器なのだということ。この身体こそがそうなのだ、と。

 軽く地面を蹴っただけで、俺の身体は人間では絶対にあり得ないくらいの跳躍を見せる。風を切る音くらいは響いただろう。

 俺の身体は木々の上すらも飛び越え、目の前にあったガゼボよりも遥か上空を飛んだ。僅かに身体を捻っただけなのに、俺の細い身体は回転し、目的地である地面へと足音すら立てずに降りた。


 綺麗な光景だった。

 バラに似た花が咲いた花壇。地面に立った瞬間に、花が茎ごと揺れる。

 ほんの僅かに辺りには風があったけれど、突風が吹いたかのようにそこだけざわりと音を立てる。

 俺は降り立った地面に素早く短剣を突き刺し、一気に引き抜く。黒い靄が霧散し、魔蟲石となって魔力が集まる瞬間に手を伸ばして掴み取った。

 ありがたいことに、すぐ近くにアイテムがあったからそれも回収。


 そして、地面を蹴った。


 風の音と、誰かの声が重なる。


 俺は素早く花壇を超えた場所にある木の裏に降り立って、息を止めて木の幹に寄りかかった。呼吸は乱れていない。

 そしてそっと、ガゼボの方を覗き込む。


「……凄い風でしたね」

 困惑したように言っているのは淫乱ピンクである。

 何故か彼女は殿下に寄り添うように立って、目を丸くして花壇の方を見つめていた。今更だが、俺がちょっと花壇を荒らしてしまったようで、飛び散った花の花弁が宙を舞っていることに気づいた。

「確かにそうだね」

 殿下も驚いたようにそう言ったけれど、その視線はすぐにその場から逸らされた。

 というのも、魔法花火が空に上がったからだった。


 派手な轟音を立て、暗い空に弾けた花火は、まさに花が咲いていくように絵を描いていた。地面から芽が出て、茎を天へと伸ばし、葉を広げ、蕾が膨らんで大輪の花を咲かす。ロマンチックとかダミアノじいさんが言っていた意味が解った。

 これは女の子の心を鷲掴みにするだろう。

 俺の無駄にいい視力が、色々な塔の上の階で、教師らしい人間が左手に魔法書を開き、右手を軽く上げているのを捉えた。何人もの教師がさらに魔法を放つ。

 それは歓迎の花火。

 花だけではなく、ドラゴンのような生き物が火花を散らしながら空を舞ったり、精霊のような姿の女性が空で踊ったり、さらにそんな精霊の周りで妖精みたいな小さな人が踊るのも見える。


 気が付けば、中庭には大勢の生徒たちが出てきていて、同じ空を見上げていた。


 これは、この場を離れるのにいいチャンス!

 俺は手に入れた魔蟲石とアイテム――恐らく超レアだろうそれを大切に抱え、お腹の辺りに沈んだままのハリーを引っ張り出して頭上へ戻すと、炎の塔へと一目散に駆け出したのだった。

 いいもんゲットしたぜ! と浮かれながら。


 後ろを見なかったので俺はその時気づかなかったが、ヴィヴィアンは殿下の隣で花火を見上げて歓声を上げつつも、少しだけ困ったように首を傾げていた。

 そしてジュリエッタはヴィヴィアンを苦々し気に見つめた後、婚約者以外の女性を隣に立たせている殿下に物言いたげな視線を送っていた。しかし、やがて諦めたように、全ての感情を消した顔でまだ乱れたままの花壇を見やり、眉根を寄せた。

 明らかに少女二人は、異変の残り香を感じていた。

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