第13話 幕間 1 ダミアノ
足音が聞こえたので、ダミアノが本のページから目を上げてドアへ目をやった時だった。
もう夜も深夜から朝に近い時間帯、ノックもおざなりに済ませたリカルドが、荷物のように肩の上にリヴィアを担いで部屋の中に入ってくる。
ダミアノが目を細めて心配そうにリヴィアを見たが、寝息が聞こえてきたのでただ眠っているだけのようだった。
「お返しします」
リカルドはそう言いながら、リヴィアをソファの上に寝かせようとする。そんな場所に放り出されても困るので、ダミアノは鼻の上に皺を寄せながら「リヴィアの部屋はそっちじゃ」と隣へ視線を投げた。
「どうじゃ、あやつは」
リカルドがリヴィアを彼女の部屋のベッドに寝かしつけてきた後、ソファに腰を下ろしたのでダミアノはそう訊いた。
「足を広げて寝てますよ」
「そういう話じゃないのう」
「解ってます」
リカルドは疲れたように笑った後、居住まいを正して自分の師匠であるダミアノを見つめた。「さすがの魔力量と、余計な知識もないせいか、水を吸い込むように覚えています。普通の人間であるならば、将来有望な子だと自信を持って言えるんですがね、本当に残念です」
「仕方ないのう。どんなに人間のように見えても、あれは神具に間違いない」
「前世を思い出したから人格も取り戻した、そんな話が本当にあるんでしょうか? それに、完全に前世のことを覚えているわけでもないらしいですし」
「解らんよ。所詮、あやつは神が気まぐれに作り出した武具でしかない。守ってやりたいとは思うが、どうじゃろうな」
ダミアノはそこでため息をつき、何事か考えこむ。その表情を観察していたリカルドは、躊躇いながら自分の師匠でもある彼に訊く。
「やはり、主従契約はなさらないんですか? 気に入っておられるのでしょう?」
神具を手に入れるためには、主従契約というものが必要となる。自分だけの武器として使うこと、しかしそれによって、魔蟲を倒すために積極的に世界に出て行かねばならないという責任が伴う。
誰かの手に――危険な思想を持っているかもしれない誰かに渡ってしまうよりは、ダミアノ自身がリヴィアの所有者となってしまえばいいのではないか。
しかし、安全で平穏な生活とは無縁となり、こんな風に炎の塔の地下に引きこもることはできなくなる。それに、ダミアノが戦いの中で死んでしまえば、所有者としての権限を失い、リヴィアは誰かに狙われる立場に戻ってしまう。
そう考えると、無理だと言わざるを得なかった。
「もうわしは年じゃからのう。神具を操って戦うのは避けたいのよ。腰も痛いし」
「またまたご冗談を」
リカルドが冷えた目で笑うと、ダミアノはいたずらっぽい笑みを返した。
「お主はどうじゃ。教師などの立場で満足できておるのか? あやつの主になるつもりはないかの?」
「現状に満足です。私こそ、神具など手に入れて目立ってしまえば、あっさり消されてしまいますので」
「厄介じゃの」
「仕方ありません」
リカルドは苦々しく呟いた後、少しだけ考えこんだ。「それより……リヴィアは普通の生活を送れると思いますか?」
その質問はダミアノにとっては返事に困るものだった。
今までは、リヴィアはあまり外に出ていかなかった。彼女は人間に対して嫌悪を抱いていたし、地下に引きこもることが多かった。
だが、今は違うのだ。
「……人間のような生活を送らせてやりたいとは思っとる」
そう言ったものの、それが難しいことくらいダミアノにも解っていた。
リヴィア――名前のない少女を拾ったのは、ダミアノが炎の塔の管理人になってすぐのことだった。
学園の購買では買えないものを買い出しに出て、グラマンディの路地裏にある行きつけの店に寄ろうとした時、珍しく喧騒の音が聞こえたのだ。あまり人通りのない裏通りだったが、怒声と荒々しい足音が響いていた。
「どこへ逃げた!?」
「探せ! 百万ルドの小娘だぜ!?」
ダミアノが「魔力の低い人間たちじゃの」と口の中で呟いた時、凄まじい魔力がそれほど遠くない場所にあるのも気づいた。今まで出会ったことのない魔力の塊。自分の背筋に這い上がる悪寒のようなものが、ただものではないと知らせていた。
導かれるようにして魔力の塊の方へ歩みを進めると、路地裏に無造作に積まれた朽ちかけた木箱のそばに、血だらけで倒れている小さなぼろきれのような影を見つけた。
「くそ! 死んじまってねえだろうな? 生け捕りにしろって命令だ」
意識を集中すると、それほど遠くない場所に三人の男性がぼやいているのが解る。魔法によって神経や聴覚を鋭敏にさせると、目を閉じていても彼らの様子が目に浮かんできた。
明らかにごろつきの類だった。薄汚れた服装と、安物の剣、剣とも呼べぬほどのなまくらを持ったいかつい男たちが、怒りと焦りを浮かべた顔で人目を避けつつ路地裏を歩き回っていた。どうやら彼らはグラマンティの人間ではないらしく、服装が旅人のそれである。
傭兵か、それとも流れの盗賊なのか、まっとうな仕事をしているわけではないだろう。
「片足を切り落としたんだから逃げられねえだろ」
下っ端らしき男が吐き捨てる。
足を切り落とした、という言葉に刮目して振り返り、少女を見下ろす。すると、一番最初に目に入るのが胸元――肩から腹へかけての大きな傷、右足の――。
おかしい、とダミアノは思う。
彼は少女と自分に隠蔽の魔法を張り、周りの人間から見えないように仕掛けをしてからしゃがみ込む。
少女は薄汚れた白いシャツと黒いズボンを身に着けていた。ただ、右足のふくらはぎの辺りで、ズボンの裾が切り取られている。まるで、刃物で一刀両断されたように。
裾は血で染まっていたけれど、右足はちゃんとそこにあった。靴は履いておらず、真っ白な肌の脚が見えていたが、それはぞっとするほど痩せ細っていた。
よくよく見てみると、少女は長い間まともな食事を取っていなかったかのように、顔も腕もどこもかしこも痩せていて、骨と皮という状態だ。
ぱさついて、長いこと洗っていないだろう銀色の髪。風呂にもずっと入っていないのか、顔も手も汚れきっている。
それでも、凄まじいまでの美貌は隠せていない。
見た目は十代前半くらいに見えるが、もしかしたら栄養失調で本当の年齢より幼く見えているのかもしれない。
これはまずいことになったぞ、と彼は舌打ちした。
足を切断され、それが――新しく生えてきたようだと直感で解ったからだ。目に見えている部分の腕の状態と比べて、赤子のように綺麗すぎる右足だけが違和感を訴えている。
つまり、これは人間ではない。
――人間でなければ何じゃ? まさか。
ダミアノはさらに彼女に近づき、そっと肩に触れて身体を起こした。そして、その身体の軽さに驚く。すっかり意識を失っている少女は、ダミアノになすがままの状態だ。
引き裂かれた白いシャツの中に、血だらけの肌と――切り裂かれた腹があり、そしてその傷口が『蠢いて』いた。
まるで、急いで傷口を修復しているかのように。
呼吸をするかのように動き、傷口がゆるゆると癒着していく。
そして一瞬だけ、傷口の奥の方にギラリと光る何かが見えた。それは巨大な魔石のような、いや、それ以上に恐ろしい何かの結晶体だった。
――これは聞いたことがある。知識としてはある。
そして、下手に関わってはいかんものじゃ。
捨てていこうか。
彼がこれまで関わってきた中でも、一番となるくらいの厄介ごとには間違いない。
ダミアノはそう考えた。彼が予想している通りなら、この少女は人間ではなく、ただの『モノ』扱いされる存在だった。それに、その予感が外れていたとするならば、魔物の類だ。だとすれば、ここで見捨てても問題はないだろう。
「役立たずめが」
遠くで誰かがそう言っている。ごろつきどもの頭だろうか、一番偉そうな口調の男が続けて言う。ダミアノはさらに感覚を鋭くさせ、じっと彼らの動きを見守った。
「客に引き渡す前に遊ぶつもりだったのによ」
「親方! その後は俺も楽しませてもらえるんですよね?」
「ああ、好きにしろ。だが、逃げられたら元も子もねえ。あれだけの上玉だから、絶対、客も気に入る。今度こそ、百万ルドもらえるはずだ」
「焦らなくても大丈夫ですって! 相手は気狂いの娘一人ですよ? しかも、手負いだ」
「……もう死んでるかもしれんがな。俺は死体と遊ぶつもりはねえぞ?」
「じゃあ、急がなきゃですね」
密やかに響く下卑た笑い声は、明らかにこの少女を凌辱しようと考えているもののそれだった。
――ああ、これはまずいぞ。
ダミアノはもう逃げ出せないところまで足を踏み入れてしまった、と頭を抱えた。こんな状況で、こんな少女を見捨てて逃げられるだろうか。
人間ではないのは間違いないというのに。
少女が苦しそうに息を吐くのが聞こえた。それはとても無力な――無音の叫びのようだった。
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