第4話 色々残念な美少女
「立ち話もなんだから、中に入りなさい」
この場にいる人間が動きをとめてから数十秒経って、老人が俺たちに部屋の中に入るよう促した。それはとまっていた時間が動き出した瞬間だった。
「では、私はこれで」
リカルド先生は部屋に入ることなく、すぐに元来た道を戻ろうとしたけれど、老人は素早く彼のマントを掴んで引き留めていた。
「……何でしょうか、導師」
先生がぎこちなく振り返り、そこにあった老人の意味深な笑みに怖気づいたように目を逸らす。
「何があったか教えてくれるのじゃろう?」
「いえ、私もこの状況が解らず」
「とにかく中へ入りなさい」
「全力でお断りします。中に入れと言われても窒息しそうなほど危険な匂いがしますし」
「慣れればどうということもないぞ」
「慣れたくありません」
二人がそんな会話を続けている間に、部屋の中からはさらにもこもことした怪しげな煙が廊下へと流れ出ていた。正直なところ、俺もこの部屋の中に入るのはごめんこうむりたい。しかし、じりじりと俺が後ずさっていこうとすると、老人は素早く俺の手首を掴んで強引に部屋の中へと引きずり込んでいた。
「あ、あの」
そう言いかけて、思い切り煙を吸い込んで咳き込む。何だこれ、火事か? それともサンマでも焼いてんのか? いや、サンマは焦げても香ばしい匂いがするからこれは違う。
「げほ、無理だと、思います。外、外へ」
涙ぐみながらも必死にそう言っているうちに、少しだけ部屋の中の様子が目に入ってくる。
意外と部屋の中は広い。快適そうなソファに年季の入った木のテーブル、本棚、衣類が入っているだろうタンス。部屋の奥にはちょっと広めのキッチンがあり、そこには大きな作業台もある。その作業台の上には、野菜なのか薬草なのか解らないものが山積みになっていて、料理の途中――いや、薬草の調合でもしていたのか、作業台の裏にあるコンロの上の鍋からはぽこぽこという音と共に毒々しい煙が立ち上がっている。
これが原因か!
何とか俺は自分の口と鼻を両手で覆い、咳き込むのが落ち着くと掠れた声で不満を訴えた。
「ここじゃ、まともに話せません。廊下じゃ駄目でしょうか」
「本当にお主、別人じゃのう」
老人は俺の顔を覗き込み、面白そうに目を細めた。「まともに話が通じるようになるとは思わなかったわい」
「え?」
老人は咳き込んでいるのか笑っているのか判断がつきにくい、かっかっか、という音を喉から立てながら、奥のキッチンに歩いていく。ヤバそうな音を立てている鍋に木でできたおたまを突っ込み、乱暴に皿にその謎の液体をよそうと、スプーンを添えてまた俺の方へ戻ってきた。
「とりあえず、飲むがよい」
「え、厭です」
目の前に差し出された皿の中は、煮詰まった草のようなものが未だに煙を上げていた。飲むというより食べるといった方が正しいかもしれないそれは、色だけなら抹茶色で綺麗だ。
しかし、明らかに毒物だろ。
食べたら吐くかトイレの住人になるか解らんけど、絶対にヤバいやつ。間違いない。
でも老人の口調は穏やかで奇妙な威圧感があった。
「匂いは酷いが、よく効く薬じゃからのう。これも、お主の身体のため」
「身体のため、とは……この怪我のせいですか」
俺が胸にある大きな傷の上に手を置くようにして言うと、彼は頷いたのだった。
しかし。
俺は受け取った皿を見下ろして唇を引きつらせた。
飲まなきゃ……食べなきゃダメかな、これ。マジか。
俺は助けて欲しいという意味を込めてリカルド先生に視線を投げたけれど、そのたびにいいタイミングで視線を外される。くそ。
絶望の淵を見下ろしている気分になりつつ、思い切ってスプーンに謎の液体を乗せ、自分の口に放り込む。
「馬鹿、吐くな!」
モザイクが必要な光景を引き起こしそうになった俺に気づき、リカルド先生が切羽詰まった大声を上げた。
それから、鍋の火は消されたので煙も薄くなっていった。それでも立ち込める匂いは散々ではあったけれども、ドアは開け放たれていたからすぐに消えていく。しかしこれ、生徒たちの居住区までいくんじゃないだろうか。いい迷惑だ。
リカルド先生は隙があれば逃げ出そうとしていたようだったけれど、何故か老人は彼を逃がさず、ソファに座らせて話を聞かせようとする。何となくだけど、否応なく巻き込んでしまえ、的な老人の考えが読み取れた。
やがてリカルド先生はソファにぐったりともたれかかり――げっそりしているようにも見えた――、疲れたような表情で部屋の中を当てもなく見回している。でも、こちらの話に興味がないわけでもないらしく、時折こちらに鋭い視線を向けていた。
「わたし、多分、前世の記憶があります」
そうやって口火を切った俺は、数少ない記憶の断片を語る。少なすぎてあっさりと終わった後、今度は老人から話を聞く。
老人の名前はダミアノ・フェルナンディ。塔の管理人になる前は、普通にこの学校の教師として働いていたらしい。
生徒として彼に学んだのがリカルド・フォレス。リカルド先生がこのじいさんを導師と呼んだ理由がここにある。
で、話に聞いたことを簡単にまとめると。
どうやら俺は、このダミアノじいさんに拾われて魔法学園にやってきたらしい。ダミアノじいさんは六十歳を超えてから、教壇に立つのが面倒くさい(!?)という理由で退職することにした。しかし、研究室で危険な毒草と戯れたり、壁や床を破壊する魔道具をうっかり造ったりという問題児(!?)でもあったため、退職後に無暗に放逐するのはまずいと判断され、いつの間にか塔の管理人として残ることが決定されたようだ。
手抜きでもいいから生徒たちの様子を見つつ、この地下の部屋で好き勝手にやっていいから大人しくしておいてくれ、という感じだろうか。
そんな自由な生活の途中で、魔法学園の外――街中で俺が大怪我をして倒れていたのを拾ってきたのだという。
やっぱり猫扱いだろ、俺。
グラマンティ魔法学園の外には、この学園を中心としてぐるりと円形に街が広がっているらしい。いわゆる魔法学園都市という感じなのだろうか、学園を含む都市全てが独立した領土なのだそうだ。
この世界にはいくつも国家が存在していて、それぞれ王が統治している。
しかし、このグラマンティはどの国にも属さず、王の代わりにグラマンティ学園長がトップに立っている。そして、学園長が都市を管理する。
都市の治安はかなり安全で、それもこの学園の魔法騎士団が交代で見回っているからなのだという。犯罪を犯せばかなりの高確率で捕縛され、この街から追放されてからその人間の出身国でしかるべき罰を受ける。
正直なところ、この街での生活水準は他国に比べて高い。追い出されることになれば、かなりレベルが落ちた生活に落とされるため、わざわざ危ない橋を渡る人間も少ない。そのため、犯罪率も低いらしい。
そんな状況で、瀕死の状態で見つかった俺の怪我は、ちょっと問題だった。明らかに誰かに攻撃されたもので、攻撃した人間を捕まえなくてはいけないのだが。
「だがのう、お主は目が覚めた時に何も覚えていなかったのじゃよ。自分を攻撃した相手が誰なのかも、自分が誰なのかも、何一つ覚えておらんかった」
ダミアノじいさんは枯れ木のような人差し指を立て、ちっちっちっ、と揺らして見せる。どうもお茶目さを演出しているようにも思えるが、その瞳の輝きは鋭さがそれを裏切っていた。
「まるで、今のような状況、なんじゃが……大きく違うこともある」
「え?」
「何しろ、目が覚めたお主はとても女の子とは思えない暴虐さと、乱暴な口調と、獣のような行動と、まあ、色々残念な」
「残念……」
っていうかどんだけ酷いんだよ、俺。いや、俺の元人格。
「だからの」
そこでダミアノじいさんがソファから立ち上がり、俺の目の前までやってくると手を伸ばして俺の首に触れた。「口を開けば男よりも男らしい暴言しか出ないので、まずそれを封じる魔法をかけた」
俺の首の周りに感じた違和感と、息苦しさ。丁寧な口調しか話せない状況は、じいさんのせいか!?
「じゃあ、魔法を解けば……元に」
戻るのかな、と期待しつつ彼を見上げていると。
「戻られても困る。本当に、お主はとてもまともな人間とは思えんかった。知識も常識も知らず、誰かれ構わず噛みつくような獣。だからせめて記憶が戻るまでは、と魔法でそれを抑え込んで、わしの目の届く場所で助手として使っていたのじゃが……今は全くの別人じゃの? 一応、普通の人間に見える。一体何があったのやら」
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