第6話

 記憶探しを始めて、俺の記憶はほとんど戻った。

 あとは俺の幼馴染の記憶だけ。

 水族館で光に包まれて、俺は目を閉じていた。

「着いたよ。目を開けてごらん」

 コウの声で目を開けると、そこには緑が広がっていた。

「ここは、一体どこだ?」

 困惑の眼差しをコウに向けると、微笑んで答えてくれた。

「ここは君にとってとても大事な思い出の場所。大事な約束の地だよ。時間もないし、さっそくハイキングに行こう」

 そう残してコウは歩き始めてしまった。

 約束の場所、大事な思い出。

 柔らかな風と共に甘い匂いが鼻をくすぐる。

 俺の大好きな、懐かしい匂い。

(ああ、俺はこの匂いを知っている。あいつとの約束の匂い)

 決して忘れてはいけない、大事な記憶。

 絶対に見つけなくてはならないという使命感に駆られて、こちらを振り返って待っているコウのもとに走って行った。




 山を登りだしてからどれくらいたっただろう。

 場所が変わるのと一緒に服装も海賊衣装から元に戻ってしまったので、時計などの小道具も消えてしまい、時間を確認するすべはない。

「なあ、あとどれくらい登るんだ?もう大分歩いてると思うんだが」

 もうすぐだよとしか言わないコウの後ろについて歩いて行くしかできないことに少しやるせなさを感じる。

 その時ふと目に入った花に俺は覚えがあり、立ち止まった。

「どうかした?」

「この花、見覚えがあると思って」

 俺のほうに近づいてきたコウにもわかるように、俺は花を指さす。

 小さな白い花が風に揺れている。

「ああ、これはリュウノウギクだよ」

 名前を聞いてもあまりピンとは来ない。

「秋の花でね、日当たりがいい山地とかに咲くんだよ」

「コウは花に詳しいんだな」

「これも君の記憶だよ」

「俺の?」

 そうだよと微笑むコウを見つめる。

「君は植物について調べるようになった。だから必然的に花にも詳しくなったんだよ」

 なんで調べるようになったのか聞こうとしたとき、頭に声が流れてきた。


『記憶を取り戻せば全部わかるよ。だから行こう』


 コウはまた歩き出してしまった。

「記憶を取り戻せば全部わかる、か」

 先を歩いているコウを追いかけようとした時、風が甘い香りを乗せて俺の頬を撫でた。

(またこの香り、なんの匂いなんだ?)

 俺はコウを追いかけて、この匂いのことを聞いてみた。

「なあ、さっきからするこの甘い匂いはなんなんだ?」

「これは金木犀だね。秋にオレンジ色の花を咲かせる木だよ。甘い匂いが特徴で、この匂いがしたら秋の訪れだと言われているんだ。君は金木犀の匂いは好き?」

 こちらを見ないで問いかけてきたコウに、俺は少し考えてから答えた。

「好きだと思う。懐かしい感じがして、落ち着くから」

「そうだと思った」

 コウはこちらを振り向いて「着いたよ」と笑顔で言う。

 到着したのはだいぶ開けた場所で、山の麓が見渡せる場所だった。

 今は日暮れ時で、太陽が沈んでいく様子がよく見え、あたりの葉っぱが光に反射して光っている、とても幻想的な場所だ。

「すごい…」

「ここが最後の場所。どう?」

 コウがこちらを向いて問いかける。

「すごく、懐かしい。ここで俺はあの子と約束をした。とても大事な約束を」

 俺がしばらく夕日を見ていると、コウが歩き出したので、俺もついて行く。

「これが金木犀だよ」

 少し横に入った場所には、背丈が俺と変わらないくらいの金木犀が小さなオレンジの花を揺らしていた。

(そうだ、この木の前で誓ったんだ)





『コウくん!おっきな金木犀があるよ!』

『本当だ!いい匂いだね!』

『コウくん、これからもずっと一緒だよね?』

『?当たり前でしょ。僕達は大人になっても一緒だよ』

『うん!約束だよ!』






 あれは、小学生の頃か。

 俺の家族とあの子の家族で出かけた時、近くの山を探検してたんだ。

 山に入るなりあの子は目をキラキラさせて山菜や花を見ていた。

 それで植物に興味を持って、あの子と一緒に調べるようになったんだ。

「そっか。だからコウは植物に詳しかったのか」

「思い出した?」

 俺はゆっくり頷いて、コウをまっすぐに見つめる。

「もも。それが俺の幼馴染の名前。俺の大事な人で、初恋の人」

 そうだ、この約束の時に気づいたんだ。

 おそらく出会ってすぐの頃からもものことは好きだったと思うが、それが恋だと気づいたのが、あの約束の日。

 ずっと一緒だよと言ったももが、とても綺麗で、儚く見えた。

 この子をずっとそばで守って行きたいと、同じ速度で隣を歩きたいと思った。

 俺は静かに目を閉じて、もものことを思い浮かべる。

 いつも笑っていて、元気な姿がいくつも浮かんでくる。

 体の弱い俺の事をいつも気にかけてくれる、とても優しい人。

 誰にでも好かれる明るさが、俺を照らしてくれていたんだ。

 ゆったりと目を開けると、コウが静かに微笑んでいる。

 ももに似た笑顔で。

「やっと、全部思い出せたね」

 そのつぶやきと共に、空にヒビが入った。

「君が記憶を取り戻したから世界の崩壊が始まったみたい。やっと目覚められるね、おめでとう」

 ヒビの入った部分からパズルのピースのように、空が落ちてくる。

 落ちたピースは瞬く間に花びらに変わり、風と共に去っていく。

「本当に、全部終わったんだな」

 記憶を取り戻し喜ばしいはずなのに、俺の心は凪いていた。

 この世界が消えて、コウもいなくなる。

 ここでの記憶もなくなる。

 覚えていたいのに、それが叶わない。

 泣きそうなのをこらえて、コウは言う。

「今までありがとうね。すっごく楽しかった!」

 少しずつコウの体が光り、時間が迫っていることを知らせてくる。

 涙が溜まったコウの瞳はとても綺麗だった。

 夕日に照らされてきらめく涙が、コウの頬をつたい、俺の頬にも涙が零れる。

「俺こそ、案内をしてくれてありがとう。一緒に記憶を探してくれてありがとう。たとえ忘れてしまうとしても、出会ってくれてありがとう」

 俺の気持ちを乗せた言葉はちゃんとコウに届いただろうか。

 それはあいつにしかわからないが、コウはとても嬉しそうに笑った。

「そろそろ時間だ。楽しかったよ、ありがとう。コウくん!」

 初めてコウが俺の名前を呼んだその瞬間、コウは光となって消え、足下の地面が崩れ、俺は光の中へと落ちていった。

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