第1話

       ◯






「四年後、コウくんの目が覚めた時、絶対会いに行くから。それもとびきりの笑顔で!だからコウくんもとびっきりの笑顔で会おうね」

 俺はとても驚いた。

 スリープ期間が終わっても、必ず目が覚めるという保証はどこにもない。

 二度と話すことは叶わないかもしれない。

 それなのに、彼女は、朝倉ももは当たり前のように未来の約束をする。

 その約束も守れないかもしれないのに、ももは笑っていた。

 とても綺麗だと思った。

(ももはそういうやつだったな。何があっても信じて前を見る。そんなももを俺は好きになったんだよな)

「次会う時は、辛気臭い顔じゃなくて笑顔でね。じゃあ、私、今日は帰るね。また明日っ」

 言うが早いか、ももは握っていた手をほどき、慌てたように病室を出た。

「あーあ、ももを泣かせちゃったなー」

 正しく言えば泣かせてはいない。

 貼り付けた笑顔はちゃんと笑顔だった。

 ただ目は潤んでいたし、今にも泣きそうな感じではあった。

 次会う時はまず謝らないとだな。

「次会うときか、もしちゃんと目が覚めたら俺の気持ちをちゃんと伝えるよ。お前が好きだって。」

 閉じられた病室のドアを見ながらつぶやいた俺の声は窓から吹き込む風に紛れ、誰にも届くことなく消えた。




 翌日も、そのまた翌日も、ももはお見舞いに来てくれた。

 泣きそうな笑顔ではなく、いつも通りの綺麗な笑顔で。

「今日はコンビニの新作スイーツ、もちシューだよ!みてこのモッチリ感とずっしり感、ああ、おいしそう」

 ももは毎日俺の好きな物を買ってくる。

 そんな毎日いいよって言っても聞かないから、最近は諦めてありがたくいただいている。

 そんな風にももが買ってきた物を二人で食べるのが俺の日課になりつつあった。

 ももと一緒にもちシューを頬張っていると母さんと俺の担当医である柳沢先生が病室に入ってきた。

「あら、ももちゃんもう来てたのね」

「ひかりおばさん、先生こんにちはー」

「こんにちは。今からコールドスリープの話するけど、ももちゃんも一緒に聞くか?嫌なら部屋を出ててもいいけど」

 ももは一瞬ためらう様なそぶりを見せたが、何か決意をしたように、はっきりと「聞きます」と言った。

 先生からの話はもうすぐ準備が整うという内容だった。

 眠りにつくのは次の土曜日、三日後だ。

「眠りにつくまでの間にやりたいことがあるならなんでも言っていいよ。まあ、出来ないこともあるだろうけど」

「やりたいことは、・・・特にないです」

「はは、じっくり考えるといいさ。じゃあ最後にこの書類にサインしてくれる?月影さんもお願いします」

 俺と母さんは書類にサインをした。

 そのときのももの表情がとても苦しそうなのが気になったが、結局何も聞けなかった。

 すると、ももが途端に口を開いた。

「あの、先生。コールドスリープをするときに、コウくんのそばにいることってできますか?」

「まあ、出来なくはないけど。ももちゃんは煌牙くんのそばにいたいのか?」

「はい」

「とてもつらいかもしれないけど、それでも?」

「っ!」

 先生はももと視線を合わすように少しかがんで、優しい声でももに問いかけた。

 ももは泣き出しそうな顔をしていたが、はっきりと告げた。

「それでも、それでも私はっ、コウくんのそばにいたいっ!コウくんが眠るのをちゃんと、見届けたいんです!」

 その言葉を聞いて、俺が泣きそうになった。

 慌てて目に力を入れて堪えたけど。

「ありがとう、もも。そばにいたいって言ってくれて。めっちゃうれしい。先生、俺からもお願いします」

 俺が頭を下げていると小さな吐息が聞こえた。

 顔をあげると、そこには先生の笑顔があった。

「本当に二人は仲良しだな。別に俺は止めるつもりはないよ」

「「ありがとうございます!」

「じゃあそろそろ俺は戻らないとだから」

 そう言って先生は病室を出た。

 俺とももは顔を見合わせて笑った。

 ああ、やっぱり。

 ももは笑顔が似合う。

 悲しそうな、泣きそうな顔より断然ももらしいのは笑顔だ。

(でも、最近ももに悲しい顔をさせているのは俺か)

 悲しませたいわけじゃない。

 むしろ喜ばせたいのに。

 今の俺じゃ到底無理な話だ。

 だからまずは病気を治す事が第一、そのせいでまたももを悲しませるけど。

(こんな俺でごめんな)



 特にやりたいことが見つからないまま土曜日、コールドスリープの施行日当日。

 先生は俺に問いかけた。

「やりたいことは見つかったのかい?」

「あはは、とくにはないですね。」

「何か一つくらい思いつかなかったのか?」

 柳沢先生は苦笑交じりに聞いてきた。

 やりたいこと、少し考えてみてもやはり何も思いつかない。

 しいて言うなら、目覚めから最初に見る顔はももがいいってことくらい。

 そんな欲がだだ漏れの言葉は口に出していたようで、先生が声を上げて笑っていた。

「ははっ!本当に仲良しだな。煌牙くんはももちゃんが好きなんだな」

 ももに対しての気持ちをあっさり見抜かれ、ギクッとしたが、否定しても意味はないと思いうなずく。

「はい。とても、大好きです。小さいころからずっと一緒で、ずっと好きなんです。だから、絶対病気治したいです」

 俺が真剣な声音だったからか、先生も真剣な顔つきになった。

「そうだな。絶対病気治そう。今の技術じゃ無理でも、必ず薬は作られる。それまで、待ってろ。俺が助けるから」

 先生は俺の目を見て、力強く言った。

(え、かっこいい)

 めちゃくちゃかっこいいんですけど。

 先生の言葉は俺の心に深く刺さった。

 ただ眠って待ってるしかできないのは歯がゆいが、先生の言葉はとても頼もしく、少し心が軽くなる。

「何をボケっとしてるんだ?そろそろ機材いれるから煌牙くんも準備始めてな」

「あ、はい。先生」

「なんだ?」

「ありがとうございます」

 先生は片手っをひらひらさせて部屋を出てしまった。

 きっと大丈夫。

 ちゃんと目覚められる。

 ももの顔を見るのを今日が最後になんて絶対にしない。

 そう決意して、俺は施行の準備を始めたのだった。




「コウくん来たよー」

 施行の準備が着々と進められる中、母さんとももが入ってきた。

「いらっしゃい。はい、母さん。荷物まとめておいたよ」

 俺はまとめておいた自分の荷物を母さんに渡した。

「コウくん、これ」

 ももは俺に小さな袋を渡してきた。

 お守りだ。

「ありがとう。じゃあ俺のも」

 俺とももは小さいころにおそろいのお守りを母さんとももの母さんに作ってもらった。

 もちろん俺たちも手伝いながら。

 そのお守りを交換したのだ。

「ねえ、なんで急にお守り交換したいなんて言ったの?」

「んー、なんとなく?」

「なにそれー」とももは笑った。

「もものお守り持ってると、寝てる間もずっと、ももがそばにいてくれそうな気がしてさ。何ていうか、安心できそうだから」

 俺は少し照れながら本当のことを言う。

「それに、ももに俺のお守りを持っててほしかったから」

 ももは驚いたと思ったら、少し赤くなって「そっか」とつぶやいた。

 その時、先生が病室にやって来た。

「お待たせしました。準備が整いましたので、コールドスリープを施行したいと思います」

 その呼びかけを合図に、看護師さんたちがてきぱきと動き出す。

 俺もベッドに横になり、準備万端だ。

「煌牙くん、今から薬打つ。打ってしばらくしたら苦しくなると思う。それにプラスして、あちこち痛くなる。特に頭。安定するまでの時間が辛いけど、大丈夫か」

 事前に先生から聞かされた内容だった。

 俺はそれを聞いたうえで、コールドスリープを希望した。迷いなんてない。

「はい。大丈夫です」

 先生は俺にうなずいてから注射器を刺し、中身を全部、俺の体に打ち込んだ。

「うっ」

 しばらくしてから猛烈な吐き気とめまいに襲われた。

 息も苦しい。

(ああ、確かにこれは、思ってたよりもつらいな)

「こ、コウくん!コウくん、しっかりして!」

「ももちゃんだめだ、今は煌牙くんに触れないで!」

 俺をゆすろうとしていたももを先生が止めている。

「あ、あああ、ううっ」


 痛い。

 痛い痛い、痛い。

 どこが痛いとかじゃなくて全身痛い。


 もう眠る以前に俺死なない?

 そんな不安が頭をよぎったが、深くは考えられない。

 ああ、思考が止まっていく。

 少しずつ、本当に少しずつ痛みは引いていき、息苦しさも、吐き気やめまいも、治まっていった。

 俺の思考が止まるのと引き換えに。

「コウくん?」

「煌牙?大丈夫?」

 ももと母さんが心配そうな表情を浮かべている。

「だ、いじょう、ぶ」

 ああ、声も出にくくなってるのか。

「煌牙くん、よく耐えた、偉いぞ。あとはまかせろ。必ず助けるから」

「はい」

 俺は意識がかすれゆく中で、ももを捉え、呼びかける。

「もも」

「なに?コウくん」

「そばに、いれ、なくて、ごめん。俺が、いなくても、ちゃん、と、前、みろ、よ」

「うん、うん、わかってる。私、前見る。それで、コウくんのこともずっと待ってるから!」

 その言葉を聞いて、俺は緩く笑顔をつくって、意識を手放した。

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